公開企業破綻情報

破綻公開企業が物語る日本の会計制度敗北の歴史

2000年倒産会社
現在、上場公開あわせて8社
ミレニアム破綻企業は何処?!

2000年7月
そごう
監査法人太田昭和センチュリー
 東証1部上場の大手百貨店、(株)そごう(資本金144億4044万円、大阪府大阪市中央区)ほかグループ21社は、7月12日東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。 同社は、1830年(天保元年)「大和屋」の屋号で古着屋を目的として創業、その後「十合呉服店」に改め、大阪市中央区心斎橋に進出していた。その後、1919年(大正8年)12月に(株)十合呉服店として法人化し、昭和15年4月に(株)十合に商変、昭和44年4月に現商号となった。大阪本店のほか神戸店、東京店の3店舗を運営し、65年頃からは「駅前巨艦主義」をモットーに子会社方式による多店舗展開を強力に推し進め、非上場のそごうグループ27社29店舗の中核企業として役割を担ってきた。また、国内のほか、タイ、香港、バンコク、シンガポール、マレーシア、イタリアなどに現地法人を設立するなど業容を拡大、91年2月期には年売上高約3134億4900万円を計上していた。 しかし、バブル崩壊以降は、百貨店業界全体が苦戦を強いられるなか、同社を含めグループ全体の業績は低迷。94年にはグループ総帥の水島氏が代表取締役会長に退き、主要金融機関の興銀、長銀から副社長を迎え立て直しを図っていたものの、その後も個人消費の冷え込みから売り上げはジリ貧を余儀なくされ、99年同期には年間売上高約1544億円にまで落ち込み、最終赤字は約256億円となっていた。また、グループ27社のうち半数以上が債務超過となり、金融債務はグループ全体で約1兆7000億円に達していた。 この間、第一次計画(94年3月〜97年2月)、第二次計画(97年〜01年2月)のリストラ計画を実施していたが、大阪本店のリースバック、閉店などの実施も計画倒れとなり、抜本的な対策に迫られていた。このため、今年4月にはメーンの興銀主導で取引行73行に対する総額約6390億円の債権放棄を要請し、経営失敗の責任をとる形で、水島会長の退任や現経営陣の総退陣なども表明。サブメーンの新生銀行が旧・長銀の破綻処理による特約の問題から、預金保険機構が同行の債権約2000億円を買い取り、うち約970億円の放棄に応じる方向でまとまりかけていた。 しかし、公的機関が民間企業に対し債権放棄することに国民からの批判が高まるなか、自民党の亀井政調会長から預金保険機構に対する債権放棄要請を自主的に取り下げることを検討するよう要請されていた。また、同社の企業イメージが大幅に傷ついたことで業績に深刻な影響を受け、再建計画の前提条件が大きく崩れたことから計画実施は困難と判断し、今回の措置となった。 負債総額は、グループ22社合計で約1兆8700億円となる。 また、(株)多摩そごう(資本金164億3800万円、東京都多摩市落合1-46-1、東田博社長)は、同日付で東京地裁へ特別清算を申請し、(株)そごう物産(資本金32億円、港区白金台3-19-1、岡部光博社長)は、同日付で東京地裁へ破産を申請している。負債は、多摩そごうが約553億円、そごう物産が約398億円。

2000年7月
ナガサキヤ
個人会計事務所
 大証2部・京都上場の高級洋菓子メーカー、ナガサキヤ(資本金10億6614万978円、京都府京都市中京区)は、7月9日に京都地裁へ会社更生法適用を申請した。 同社は、大正13年9月に「長崎屋」の屋号で創業され、昭和17年11月の法人化後、20年9月にナガサキヤ糧食工業(株)から現商号へ変更した。62年6月に京都証券取引所へ、63年10月には大証2部へそれぞれ上場を果たしていた。 チョコレート・キャンディー、バウムクーヘン、カステラなどを中心に取り扱う老舗の高級洋菓子メーカーで、菓子問屋を通じて全国の百貨店やスーパー、コンビニエンスストアなどへ販売するほか、直営店および喫茶店での小売もおこない、1991年9月期には年間売上高約165億円を計上していた。 しかしその後は、バブル崩壊後の長引く不況による法人需要の低迷や消費者の嗜好の変化などから売り上げは減少傾向をたどり、99年同期には年売上高が約87億円まで低迷していた。加えて、この間の98年には再建計画を策定し経営改善に努めていたものの、95年同期以降5期連続の当期損失計上を余儀なくされ、同期末の債務超過額は約26億円にまで膨張、2000年9月期で上場廃止となる恐れが生じていた。 このため、その後も店舗の統廃合や工場売却などのリストラに注力する一方、新商品開発や新規開拓を進め売り上げの回復に努めてきたが、今年8月の社債償還(約5億円)を控え取引金融機関の融資体制の足並みが揃わなかったことから、資金調達は限界に達し、自主再建を断念した。 負債は2000年5月末時点で約108億円。

2000年5月
第一ホテル
和泉監査法人
 東証1部上場のホテル経営業者、(株)第一ホテル(東京都港区)は、5月26日、東京地裁へ会社更生法の適用を申請した。 同社は、1937年1月設立、38年に「新橋第一ホテル」を開業して以来、都市型ホテル経営のパイオニアとして、着実に業容を拡大、61年10月には東証2部へ、73年2月には東証1部へそれぞれ、上場していた。92年7月に品川に「第一ホテル東京シーフォート」を開業、さらに93年4月には、総工費350億円をの高級ホテル「第一ホテル東京」を開業するなど積極的な設備投資を展開、他に「第一ホテルアネックス」、「銀座第一ホテル」などの直営店をはじめ国内43店、海外3店を運営、ピーク時の94年3月期には売上高233億円を計上していた。  しかし、ホテル建設資金を全面的に借り入れに依拠していたため、高水準の金利負担や関係会社への多額の債務保証と保証予約が収益を圧迫、さらにバブル崩壊後の不況の長期化による集客不振もあって、96年3月期以降4期連続欠損を計上するなど財務内容が悪化、99年3月期には売上高も160億円に落ち込んだ。また、98年10月には、同社のメインバンクであり筆頭株主の日本長期信用銀行が破綻し、一時国有化されたため、資金調達力が著しく低下した。こうした中、99年9月中間期には、株式評価損や関係会社への貸倒引当金の計上などで約46億円の債務超過に転落。2000年3月期も子会社への出資金の評価損などで巨額の特別損失が発生し、債務超過額は約230億円に膨らむことが確実となった。  このため、抜本的な再建策として、4月4日には、金融機関に総額約230億円の債権放棄を要請し、その債務免除益で債務超過を解消すると共に、いったん減資をした後、長銀に次ぐ第2位の大株主の阪急電鉄グループを引受先に第三者割当増資を実施、財務体質の強化を図るという再建案を打ち出した。しかし、メーンバンクの長銀が、2月に米国の投資組合リップルウッドホールディングスグループに正式に営業譲渡されたこともあって、債権放棄の交渉が難航、結局、金融機関の合意を得るには至らなかったことから自主再建を断念した。負債は、保証債務及び保証予約353億円を含め約1170億円。  なお旅館・ホテル業者の倒産としては戦後最大。

2000年5月
ライフ
朝日監査法人
東証1部上場で信販業などを行なう(株)ライフ(東京都千代田区)は、5月19日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。同社は、1948年3月に和洋紙の販売加工を目的として平和紙業(株)として設立された。1952年10月には割引販売斡旋事業を開始、その後(株)職域互助会に商号変更し、広島職域クーポン協同組合と業務提携し、融資事業を開始した。長銀系の信販業者として同行のほか大手銀行や生保などから出資を得ていた。70年には割賦債権買取業務を、72年にはキャッシングサービスを開始していた。この間、数回に渡る商号変更を経て76年4月に現商号となった。78年には広島証券取引所に、79年には大阪証券取引所2部に株式を上場、その後東京本社を新設し、広島、東京の2本社制をとるほか全国的に店舗展開して業容を拡大、ピーク時の92年3月期には年収入高約1206億3100万円を計上していた。 しかし、バブル崩壊後はクレジット業務など個人向け業務に特化するとともに、法人向け融資やリース部門の縮小を余儀なくされていたことから、業績はジリ貧となり、94年3月期の金融収入高は942億円に落ち込んだ。その後も業績は一進一退を繰り返し、99年3月期には金融収入高847億円を計上していたが、貸倒引当金の積み増しや有価証券の評価損を計上したことで、18億円の当期損失となっていた。 この間、98年11月にはメーンバンクの日本長期信用銀行が破綻、一時国有化となったことから、99年11月には米国大手ノンバンクのGEキャピタルとの提携を発表していた。しかし、法人融資の未収債権の増加などにより保有する債権資産が劣化、2000年3月期には約968億円の債務超過に陥ることから自力再建を断念した。 負債は9663億円。 なお、戦後では日榮ファイナンス(株)(負債1兆円、神奈川、96年10月、商法整理)に次いで4番目の負債規模となる。

2000年4月
日貿信
京橋監査法人
東証1部上場で、4月1日付で監理ポストに割り当てられていた金融業の(株)日貿信(東京都中央区)は、4月25日に東京地裁へ民事再生手続きの開始を申請した。 同社は1957年4月、一般銀行業務および発券業務を手がけていた台湾銀行が終戦とともに閉鎖機関として指定され、その残余財産を引き継ぐ形で設立された。主に外国銀行からの資金調達で、商業手形割引および手形・証書貸付など金融業を手がけ、81年2月に東証2部へ、82年9月には東証1部へそれぞれ上場を果たしていた。 その後、バブル経済の到来とともに順次業容は拡大し、ピーク時の91年3月期には年収入高1,291億円まで伸長、ノンバンクとしてはトップクラスの業容を誇っていた。 しかし、91年4月に静信リース(株)(負債2562億円、静岡県、更生法)が倒産するなど、バブル崩壊にともなう融資先の相次ぐ倒産で多額の不良債権が発生し、一気に経営不振に陥った。 このため、92年3月に「経営改善計画」を策定。これに基づき、当時代表だった斎藤礼士氏をはじめ旧経営陣が総退陣する一方、大蔵省出身の水口昭氏ほか新経営陣のもとで取引金融機関の支援を受けながら再建を進めていた。 ところがその後も業況は好転せず、95年9月に「各年度毎に無担保借入比率に応じて債務を免除」「計画期間内の借入金利息は原則全額免除」「計画期間内の借入金の返済原資は貸出債権の回収元金ならびにその他資産の処分代金を充当」を骨子とした「新・再建計画」を策定。その後、95年10月に系列ノンバンク2社、東京抵当信用(株)(負債3,000億円、東京都、商法整理)と協和商工信用(株)(負債600億円、東京都、商法整理)の清算を進めるなど抜本的な経営改善に乗り出し、97年3月期中には2000年3月までを期限とする同計画に対し、取引金融機関からの同意を100%取り付けていた。 しかし、98年3月期は年収入高60億円、当期損失35億円と業績は好転せず、債務超過に転落。さらに99年3月期は年収入高が39億円まで落ち込み、債務免除益879億円を特別利益に計上したものの、貸倒引当金1,871億円を計上したことにより、当期損失は1,001億円にのぼり、債務超過額は1,035億円まで膨らんでいた。 こうしたなか、5ヵ年の新・再建計画が2000年3月に終了するのを受け、84の取引金融機関へ2,387億円の債務免除を要請していたが、要請額が巨額なうえ、4月以降の収益計画にも問題があるとして主力5行を含む10数行から同意が得られず、2000年3月期決算で2,000億円を超す大幅な債務超過に陥ることが確定。3期連続の債務超過により上場維持は不可能となり、4月1日付で上場廃止へ向けて監理ポストに割り当てられていた。 その後、他の金融機関からも同社に対する債務免除を撤回する動きが相次ぎ、業界環境も依然として先行きの見通しが立たないことから、ついに自主再建を断念した。 負債は約3,000億円。 上場企業の民事再生法申請は東洋製鋼に次いで2社目。

2000年4月
東洋製鋼
中央青山監査法人
 東証2部上場の電炉メーカー、東洋製鋼(株)(茨城県石岡市)は、4月14日、東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。同社は、1944年(昭和19年)4月、日本精工(株)から分社し日出製鋼(株)として設立、その後70年6月に現商号に変更された。翌71年4月には東証2部へ上場。普通鋼・棒鋼の専門メーカーとして80年には石岡工場の第2電炉を完成させるなど業容を拡大させ、91年9月期決算では売上高206億円を計上。 しかし、その後は主力得意先である建設業界の需要低迷の影響を受け売り上げは低迷、94年9月期の売上高は73億円にまで落ち込んでいた。加えて、販売価格も低下したことから赤字決算を余儀なくされていた。この間、中国と製鋼の合弁会社を設立するほか、人員削減や作業工程の見直しなどコスト削減に努めていたが奏効せず、99年9月期の売上高は49億円となり、凍結していた中国合弁会社の整理損などにより約84億4500万円の大幅な当期損失を計上、6期連続の欠損となっていた。 このため、2000年1月には資材の共同輸送や調達などを目的として大手電炉メーカーや商社など6社共同出資による「デーバー・スチール企画」の設立参加に合意するなど立て直しに着手していたが、ついに自主再建を断念した。 負債は約59億円。 なお、上場企業の民事再生法申請は初めて。

2000年2月
エルカクエイ
中央監査法人
 東証1部上場の中堅デベロッパーで長銀の大口融資先として知られたエルカクエイは2月15日、東京地裁へ会社更生法の適用を申請した。 同社は1958年10月設立の角栄建設を母体として、1963年6月に株式を店頭公開、1968年6月に東証1部上場を果たしていた。以前は団地開発の不動産デベロッパーとしての知名度が高かったが、借入金負担などから経営難に陥り、87年からは長銀の傘下に入ったのち、戸建住宅分譲中心の事業内容にシフトしていた。
 89年9月には角栄建設から現在のエルカクエイに社名変更、メーンの長銀とは資金面、人事面で極めて密接な関係を築いていた。ピークの97年3月期には、消費税率アップ前の駆け込み需要から、近郊型住宅「アルモヴィラ」、マンションの「ハイホーム」シリーズの好調を受け、売上高482億円をあげていた。しかし98年3月期は前期の反動と、景気の不透明感の強まりで、売上高約320億円(前年比33.7%減)と大幅な減収となっていた。
 近年は開発用地の取得を抑制していたが、借入金が年商の3倍を超えるなど債務過多の状態からは脱せないままにいた。こうした中、借入総額の80%近くを占めてした長銀が98年10月に特別公的管理となったことで、エルカクエイの信用不安が表面化していた。続く99年3月期も年売上高は約278億円にまで落ち込み、分譲物件の採算悪化から最終損失18億3000万円と赤字に転落していた。  さらに、2000年3月期に入った直後の99年4月には筆頭株主だった長銀系列の長ビルが特別清算を申請、6月には取引先のベルコーポレーション、ユニラック、山武観光開発、東総地所が特別清算を申請したことで約105億円の不良債権が発生していた。更に、メーンバンクの長銀と同行の株主である預金保険機構が、米国リップルウッド・ホールディングスを中心とする投資組合と2月9日長銀譲渡に関する最終契約書を締結、支援体制の先行きが不透明な中、自力再建を断念し今回の措置となった。

2000年2月
長崎屋
監査法人トーマツ
 東証一部上場で大手スーパーの長崎屋と子会社の長崎屋エステート、関連会社の金沢長崎屋、聖籠長崎屋の4社は2月13日、東京地裁へ会社更生法を申請し、保全命令を受けた。負債総額は4社合計で約4324億円(但し、うち保証債務524億円を相殺すると連結ベースで約3800億円)。長崎屋単体では約3039億円(保証債務約524億円を含む)  長崎屋は、元会長の岩田長八氏が経営してきた「長崎屋ふとん店」の事業を母体とし、1948年(昭和23年)1月に呉服反物の販売および製綿業を目的として、(株)長崎屋蒲団店の商号で設立。52年3月に現商号へ変更し、業態も衣料品・日用雑貨などの卸小売業へ転換した。その後、63年7月に東証2部へ、67年7月に東証1部へ、77年9月には大証1部へそれぞれ上場を果たしていた。この期間、業容の拡大のため衣料品、生鮮食料品、日用雑貨など総合スーパー「サンバード長崎屋」の店名で全国に展開、ピーク時の平成4年2月期年商4374億3800万円をあげていた。
 しかし、バブル崩壊後の急速な個人消費の冷え込みで売上は減少、更に暖冬による衣料品部門の落ち込みが業績低下に追い打ちをかけていた。また、昨年来ブームになったイトーヨーカ堂などが仕掛けた消費税還元セールや閉店セールなどに対抗せざるを得なかったことも売上低下と収益悪化の一因になった。
 平成12年2月期の年商は前期比7%減の2920億円に低迷、さらにバブル期に取り組んできた多角化経営のひとつである遊戯施設運営子会社の(株)サンファンタジーなど関連会社に対する特別損失241億円の引き当てを監査法人から求められた事により、同期の期初予想の2億円の黒字から、一転して239億円の赤字に下方修正となった。
 こうした経営環境の悪化した状況に対応して経営陣は、不採算店の統廃合、希望退職300人募集、子会社・関連会社10社の清算、再建などを骨子とする新リストラ策を打ち出したが、ここ数年来の再建案がことごとく実らなかった長崎屋に対する不信感が、今春「みずほFG」傘下となるメインの第一勧業銀行に広がっており、これ以上の融資拡大を行わないとの最終通告が行われ、更生法申請の事態となった。一方、メインバンクとして唯一長崎屋を支えた第一勧業銀行は2月13日、長崎屋に対し786億円、長崎屋エステートに対し240億円など合計1076億円の貸出金について取立不能の恐れが生じたことを公表した。  


1999年倒産会社
上場公開あわせて5社
トップは2社破綻の中央監査法人♪に決定。

1999年10月
ピコイ
中央監査法人
店頭登録企業の害虫防除木材防腐工事を手がける(株)ピコイ(資本金5億2325万円、新潟市高志)は、10月6日、新潟地裁へ和議開始を申請し保全命令を受けた。ピコイは、1970年2月、現社長の近藤建氏が白アリ駆除を創業、1972年1月に法人化し、96年10月には株式を店頭公開した。白アリ駆除を主体にハウスリフォーム工事、防音断熱工事、ホテル管理システムや監視テレビ設置などの情報機器工事を手がけるほか、ハウスクリーニング、建築金物及び薬剤卸も行い、全国各地に34ヶ所の支店、営業所を設け、一般個人および官公庁、建設業者を対象に積極的な営業を展開し、98年1月期には売上高約103億7000万円をあげていた。しかし、長引く不況にともなう住宅着工戸数の減少や設備投資の冷え込みから、白アリ駆除、防音断熱工事、ハウスケア工事部門の受注が低下、99年同期の年売上高は約103億1000万円にとどまり、投資有価証券の評価損や相次ぐ取引先の倒産による焦げ付きの発生から、2期連続の当期損失を余儀なくされていた。この間、金融機関からの借入れも増加傾向をたどり、余裕のない繰り回しとなっていた。 このような環境のもと、取引先であった(株)石井機械産業が8月5日に自己破産を申請したことで約6億円の不良債権が発生。8月26日には大口取引先への支払い延期要請を行ったことなどから対外信用の低下を招いていた。さらに、当社が資金支援を行っていた(株)アスカ(新潟県)が、9月30日に営業を停止し事実上倒産したため、同社に多額の焦げ付きが発生するなど資金繰りがひっ迫。これら各社に元・財務担当専務取締役が独断で支援金額を急増させ(会社発表)、17億円の貸倒損失と20億円の保証債務が発生、多額の損失により資金繰りの見通しがつかなくなり、今回の措置となった。倒産時負債は約100億円。

1999年5月
アイコー
個人会計士
店頭登録企業のアイコー(株)は鉄鋼化学品製造会社。冶金関連化学品68%、同耐火物11%、ファインケミカル製品13%、ファインセラミック8%を扱い、鉄鋼商社・商社を主力販売先としてピーク時には年商108億円をあげていた。また、平成5年より産業廃棄物処理業にも進出、しかし、建設市況落ち込みになどによる鋼材需要の減少と製品価格の下落で7年3月期の年商は52億円に減少。このため、人員削減、販管費の圧縮、固定資産売却などリストラに取り組む一方、事業再生策として鍛造金属アルミニュウム「フォージド・メタル・アルミ」の開発に取り組んだ。7年には事業革新法の適用による7億円の設備投資、9年には民活法の認定を受けて5億円の設備投資を実施した。しかし、9年4月のリサイクル法の制定がきっかけとなり、原料の使用済みアルミ缶の高騰、他方では円安の影響でアルミ製品価格の低下という「原料高製品安」をきたし、損失が増加。10年3月期の年商は66億円に対して累積赤字は17億円に拡大していた。 この間、大津製造所跡地の売却で累積赤字の一掃を目指していたが、買い手がつかず難航。そのため主力支援先にジャンプ要請を行うなどで凌いでいたが、支援先の援助も限界に達し今回の事態となった。

1999年4月
佐々木硝子
麹町監査法人
東証一部上場で老舗の大手ガラスコップメーカー、1902年(明治35年)3月の創業で、ガラス食器メ−カ−の老舗大手として、特に「佐々木クリスタル」ブランドのガラスコップはトップクラスのシェアを誇るほか、ワイングラスや灰皿類、セット詰め商品の販売も手がけ、業務用をはじめ百貨店、専門店、ギフト市場など幅広い販路を有していた。  61年6月に東証2部に上場を果たした後、62年9月には千葉県八千代市に工場を建設する一方、国内販売網の強化と並行の債務免除要請を柱とした再建計画を発表していたが、同要請は合意が得られず99年3月期で約90億円の債務超過に転落する見通しとなっていた。この間、信用不安から取引先の撤退が続くなど自主再建を断念、今回の措置となった。

1999年4月
日興電機工業
中央監査法人
東証2部上場の電装品メーカー、日興電機工業(株)は、ディーゼルエンジン用電装品メーカーとして、自動車メーカーや建設機械メーカーを対象に内燃機関用電装品62.8%、電動機・油圧関連機器12.0%、電源関連機器2.0%、車載品及び付属品20.0%、その他3.2%の比率で手がけるほか、一部輸出も行い、97年3月期は年売上高約134億7100万円を計上していた。この間、88年にはインドネシアで生産子会社を設立したのに続き、92年10月には現地の鋳造会社の経営権を取得するなど、海外進したが、業況は厳しい状況が続いていた。このような中、会社と従業員との話し合いが続けられていたが、自主再建が可能と主張する会社側と、これが困難とする従業員側の溝は埋まらず、今回の従業員側からの会社更生法の申請となった。

1999年3月
コムソン社
個人会計士
大証2部上場企業の(株)コムソン社は、農機の「ノダ」として成長し、61年8月には大証2部に上場。しかし、その後は減反政策や農業離れから業績はジリ貧傾向を辿り、80年代には年売上高が20〜30億円と低迷。工場敷地の一部売却や希望退職者の募集など減量経営を余儀なくされ、89年11月には(株)共和(東京都)と業務提携して建築用鉄骨の製造に業種転換していたものの、翌90年11月に共和が和議開始を申請し(その後破産ヘ移行)倒産したことで、信用不安が表面化していた。このため、91年7月に現商号へ変更するとともに、社有不動産の大部分を売却して経営の立て直しを図る一方、積極的に新規事業へ進出し、従来からののため、3月1日付の手形決済約2億円について取引金融機関へジャンプ要請していたが、不調に終わったことで、今回の事態となった。


1998年倒産会社
上場公開あわせて8社
栄えあるトップは3社破綻の朝日監査法人に決定。


1998年12月,
日本国土開発
明治監査法人
バブル期に積極的に取り組んだ開発事業がバブル崩壊で経営を圧迫、グループ会社を中心にした保証債務は10年3月期で288億5900万円、保証類似行為527億3200万円(うち約40%がグループ会社の国土興栄に対するもの)と合計815億9100万円(10年9月末現在は772億2400万円)に及んだ。また、和解したものの本間ゴルフに対する債務保証履行訴訟で(実際は本間ゴルフの関連会社エイチ・ジー・シーに対するもの)工事未収金113億円が50億円の回収に止まったり、滞留債権が847億9000万円におよぶことなどがなどが対外信用を失墜した。

1998年9月
ヤハギ
無限定適正または有用
監査法人トーマツ
上に同じく、コメントは差し控えます。
ヤハギは売上高の約八割を占める鉄鋼事業から事実上撤退し、子会社を含め従業員約九十人を解雇する大幅なリストラで経営再建を目指したが、一部経営陣による手形の乱発などで資金繰りが行き詰まった。
鉄,肥料が続落。下期に人材派遣業増加も想定外の人員増で経常赤字増加。株式売却で益出しも。

1998年9月
ロンシャン,
無限定適正または有用,
中央監査法人
苦しい決算状況は素人目にもわかる。
,5期連続赤字、債務超過という状況から自力再建はきわめて困難であり、企業の継続能力が第3者である三菱商事や三和銀に委ねられていた以上、差控え意見か特記意見を出すべきでは?
,昨年十月には、不振のアパレル事業から撤退、同事業関連商品を直売する店舗二十一店舗を閉鎖したほか、配送センター用地の売却や人員削減などのリストラ策を進めていた。メーンバンクの三和銀行や主要取引先の三菱商事の全面支援を受けて経営の建て直しを図っていたが、個人消費低迷が長引く中で自力での再建が困難と判断、更生法適用申請に踏み切った。,
期初累損44億、債務超過、三菱商事や三和銀の支援必要。

1998年8月,
大倉商事
無限定適正または有用,
朝日監査法人
有価証券の含み損は当然注記あり。,
一九九八年三月期で土地の含み損などの不良資産は、総資産の約三分の一にあたる九百八十億円に上った。130億の有価証券含み損、土地等の含み損290億、固定化貸付金等300億及び米国オークラを始めとす関係会社株150億の評価の甘さなど破綻後明らかになった資産劣化額は980億円。,
本業の収益低迷やバブル期の不動産投資の失敗や株式の含み損などによる不良資産がグループで980億円に及んでいた。さらに97年2月頃から検討していた他社との合併が不調に終わったうえ、9月末に予定していた100億円の第三者割当増資の合意が得られなかった。そのため、メーン銀行及び一部銀行を除く金融機関から資金の引き揚げを受けたことが破綻の引き金となった。,自動車、鉄鋼は東南アジア減退を欧米でカバー。人員削減進めるが、不採算事業、関連会社整理損続く。債務超過寸前。

1998年7月
淺川組
無限定適正または有用
朝日監査法人
販売用不動産の評価減の必要性に付いては触れず,販売用不動産の評価がでたらめ。240億の資産に200億の含み損があり、また関係会社長期貸付金42.8億の評価の甘さと長期営業外未収入金43.2億の税法基準半額引当はどう見ても不足。
,約200億円の含み損を抱えた不動産在庫や、関係会社への保証債務問題の抜本処理は進まず、完工高も近年は500億円を割り込む状態が続き、この間の懸命のリストラも奏功せず、金融情勢の激変で資金調達力は益々細った。7月17日には主力銀行から追加融資を拒絶され進退きわまった。
,受注は景気対策に期待。完工減る上、工事採算改善も一服。不動産処分損続くが株評価損消え最終黒字化。

1998年6月,
三井埠頭
無限定適正または有用
監査法人トーマツ
手形乱発は犯罪的であり、相手が役員であることから、監査うんぬんの問題では無いため、コメントは差し控えます。
四月に同社の手形が不渡りとなり、同社は元常務が社内の決済を経ずに振り出したものだとして五月十二日に、この元常務らを有価証券偽造などの疑いで神奈川県警に告訴、同県警が捜査している。同社などによると四月三十日、額面約三億四千万円の手形が川崎市内の銀行に持ち込まれ不渡りとなった。手形交換所に不渡り報告の取り消しを求めたが、その後も別の金融機関に手形が持ち込まれ、手形の総額は三十億円以上に上るという。,港運堅調、倉庫も97年11月稼動の新倉庫が寄与。営業黒字も有証益減り経常減益。,

1998年4月
第一コーポレーション
日本橋監査法人
バブル期に拡大した不動産担保融資が経営を圧迫したため取締役会で特別清算を決めていた独立系ノンバンクの第一コーポレーション(本社東京、松井謙典社長)は二十六日、株主総会で解散を決議、東京地裁に特別清算を申請した。負債総額は保証債務などを合わせ約四千五百億円。たくぎん保証(札幌)に次ぐ今年二番目の倒産規模となる。

1998年2月,
大同コンクリート
9703特記あり9709特記無し
朝日監査法人
香港関連会社は注記引当とも万全。インドネシア関連は2.6億分の保証債務のみ記載。
48億円の債務保証(類似行為)は記載無し。アジア関連会社は実質子会社であったにもかかわらず、連結されておらず、連結財務諸表は作成されていたものの役に立たなかった。
81年に設立した香港の関連会社「大同コンクリート(HK)」が、コンクリートパイルの需要低迷を受け、一昨年ごろから業績が大幅に悪化。さらに90年代に相次いで設立したインドネシアの関連会社二社が、インドネシア・ルピアの急落もあってドル建て借入金の負担が重くなり、業績不振に陥った。大同コンクリート工業は、アジアの各関連会社が金融機関から借入れる際、返済で迷惑を掛けぬよう関連会社を指導するとの趣旨の経営指導念書を銀行に提出していた。しかし、関連企業の経営悪化で銀行側が念書の債務保証への切り替えや肩代わり返済を要求。公共事業の抑制などから本体の経営環境も厳しく、資金繰りに行き詰まったとしている。和議や会社更生法による事業継続を目指したが、当面の資金調達のめどが立たず断念、自己破産に追い込まれた。,"パイルの老舗、業界トップクラスパイル,ヒューム管に次ぐ柱を模索中。経常減益か。


1997年倒産会社
上場公開あわせて13社
栄えあるトップはトーマツ・中央・センチュリーがそれぞれ2社ずつで分け合いました。

1997年12月,
東食
9704中間有用,
監査法人日栄
100%出資子会社の東食ファイナンスがグループ会社向けに財テク資金を貸し付けたが、バブル崩壊で不良債権化し、回収できなかった

1997年12月
,日東ライフ
,無限定適正または有用,
センチュリー監査法人
,資金繰りは苦しそうだが,95/09期には150億あった現金預金が97/09期には僅々16億にまで減少。増えつづける預託金返還請求と日東興業及び子会社東海開発の資金繰り状況から資金ショートの恐れは大きく、特記事項の対象としてよかったのでは?
,和議の申し立ては会員のプレー権の保護を最優先に考えたためとしており、同社は今後もゴルフ場は通常通り営業を続ける方針という。両社によると、負債総額は日東興業が二千七百六十二億円、日東ライフを含めた二社の合計は約三千四百五十五億円。ゴルフ場会員権の預託金返還請求が続出し、資金繰りが行き詰まったことが引き金になった。,
雪不足でスキー場売上伸びず、ホテル、外食も厳しい。昨年開業のゴルフ場は来期から収益に寄与。受取利息減少し借入れ負担重い。,

1997年11月
山一證券
中央監査法人
四大証券の一角、山一証券で約二千六百億円もの巨額損失が発覚、経営破たんに追い込まれた。山一で巨額損失の原因になったのは、有価証券の含み損を隠すため顧客間で複雑な転売を繰り返す「飛ばし」取引で、六年前から行われたものだったという。それ以後、大蔵省による検査、証券取引等監視委員会の調査などでは発覚を免れていたことになり、その間の当局の検査が不十分だったと言える。

1997年11月
北海道拓殖銀行
センチュリー監査法人
政府・日銀は十七日午前、巨額の不良債権を抱え経営危機に陥っていた都市銀行最下位の北海道拓殖銀行(本店札幌市、河谷禎昌頭取)の自主再建は困難と判断、営業基盤である北海道内の預金や貸出金を第二地方銀行の北洋銀行(同、武井正直頭取)に譲渡する破たん処理策を発表した。信用力の低下から資金繰りに行き詰まったためで、都銀の経営破たんは初めて。拓銀の預金量は約六兆円、公表不良債権だけでも約九千三百億円に上り、日本の金融史上最大の破たんとなる。

1997年11月
三洋証券
海南監査法人
系列ノンバンク・三洋総合キャピタル(株)が不動産融資の焦げ付きから多額の不良債権を抱え経営が悪化

1997年9月
ヤオハン
無限定適正または有用,
中央監査法人
,(調査中保留),
一連の関連会社への投資は平成9年3月期では684億円に達し、平成4年に比べ5年間で450億円の増加で、3倍規模に拡大され設備投資への速度は緩まなかった。特に、9年3月期の特別損失370億円の中の194億円は子会社への貸倒引当金として計上され、実質焦げ付きとなった。
大型店舗は売却しスーパーに特化。従業員の大量転籍出向により人件費減少目指すが粗利減少を補いきれず。無配転落。,

1997年8月
大都工業
9703,
個人会計士
ゴルフ場子会社・桂ヶ丘開発(累損62億円)に対する債務保証76億円を含めた債務保証は429億円に膨れ、しかも保証先の関連会社の事業が不調になったため急速に業績が悪化。そのため借入金など有利子負債は728億円を抱え自己資本に対する有利子負債の大きさでは建設業界でも上位にのぼり、業界内でも信用不安が拡がっていた。特に、桂ケ丘開発が経営するゴルフ場「桂ケ丘カントリークラブ」(茨城県)が、今年5月に約70億円の預託金の償還期限を迎えたが、資金調達が出来ず会員541人に対する返還が進まないため、トラブルになったことが大きな要因となった。

1997年7月
東海興業
9704本
明和監査法人
オフィスビル用地やマンション用地を抱えた。その土地購入に伴う多額の借入金負担

1997年7月
多田建設
9703,
個人会計士
債務保証の履行請求に伴う代位弁済で、平成5年以降借入が急増

1997年3月
オールコーポレーション
無限定適正または有用
監査法人トーマツ

1997年2月,
IGS
無限定適正または有用,
太田昭和監査法人,

1997年2月,
理化電機工業
日本橋監査法人
受注不振

1997年1月
京樽
無限定適正または有用
監査法人トーマツ
150億の京樽商事への債務保証注記あり,引当は81.4億円、所要額を合理的に見積もった結果だそうだが、220億の保証総額と子会社資産の劣化状況からして妥当だったかは疑問
海外投資の急速な拡大、ファミリーレストランの急激な出店拡大による資金負担に加え、バブル期に元子会社京樽商事が負った多額の債務の一部(150億円)を連帯保証したことが重荷,
主力の持帰り寿司は客数減少。O157騒動の追い討ち受けて初の経常赤字に。米国子会社売却。