●小林よしのり・西部邁 反米迷走年表

《年表の更新終了について》
好評をいただいてきた「小林よしのり・西部邁 反米迷走年表」ですが、こちらもニュースコーナー同様更新を終了させていただくことになりました。小林・西部の意見が反米・親中国・首相の靖国神社参拝反対・北朝鮮による拉致被害者攻撃という立場になり、朝日新聞などの左翼メディアと大差ないポジションで固定したために動きがほとんどなくなってしまったのと、西部の雑誌「発言者」の廃刊が確定したことがその理由です。小林関連本の部数がわずか3万部というところまで激減したことを考えると、小林・西部の世論に与える影響力はほとんどなくなったと見てよいでしょう(カルト左翼誌「週刊金曜日」の発行部数は4万部)。

落ちぶれて朝日新聞グループの子飼い論壇人(つまり朝日ポチ)となってしまった小林や西部をこれ以上ウォッチしていても仕方がないので、西部の雑誌の廃刊を一つの区切りとして年表の更新を終了します。今後、何らかの大きな変化があった場合にはまた更新することもあるかもしれません。(2005/2/28)
《この年表について》
軍事板の方には「戦争論」スレなどから派生した、小林・西部が唱える珍説に関するFAQがあり、マスコミ板の方でも同様のFAQを作ってほしいという要望があったのですが、客観的事実によって判断が付く軍事関係と違い、小林や西部に関して直接FAQを作ると、設問・回答などに主観が入り込む事がどうしても避けられません。そこで、小林・西部が反米珍説を唱え始めてから既に2年以上が経過していることを考え、また多くの事実関係を整理する目的もあり、これまでの経過をまとめた年表を作ってみました。日付は関東地区における雑誌の発売日を基準としています。日付がはっきりしない事柄は空欄になっています。2003年以降の出来事に関してはニュース欄でも取り上げているものがありますので、そちらと合わせて読むと小林・西部の迷走の実態がより明らかになることでしょう。

※ニュースコーナーと年表コーナーの統合に伴い、パソコンの画面上で新しい情報が容易に見られるようにするため、時系列の方向を下から上に変更しました。(2004/6/13)

2005年2月28日 最終更新
2004年5月9日 初版



2005年
2005年3月16日 西部の雑誌「発言者」が廃刊
2005年2月23日 小林、大月氏の批判にまともに答えず、欄外でアシスタントを使って大月氏を誹謗中傷する
2005年2月15日 西部、極左出版社の左翼運動懐古本に登場し、左翼活動家時代を懐かしげに語る
2005年2月5日 西部、朝日新聞の「論座」3月号で大アジア主義を語る
2005年2月2日 かつて「つくる会」で共闘していた大月隆寛氏が「諸君」3月号で小林を批判する
2005年1月31日 西部の雑誌「発言者」の廃刊が読売新聞でも取り上げられる。詳しくはニュースコーナー
2005年1月26日 沖縄の左翼の大物が「沖縄タイムス」紙上で小林の沖縄論を糾弾
2005年1月15日 西部の雑誌「発言者」が廃刊になることが、毎日新聞でも報道される
2005年1月5日 小林、「SAPIO」2月2日号巻頭の反日中国人との対談で、再び「国益のための小泉靖国参拝中止論」という珍説を唱える。中国政府の「赤い小林よしのり」製造作戦に見事なまでに陥落してしまった模様。「戦争論」廃刊も時間の問題か(w

2004年
2004年12月22日 小林、西部が雑誌「発言者」を廃刊することを欄外で明らかにする(廃刊時期は2005年3月か)。極端な反米左傾路線で読者が離れ、部数が激減して財政的に困窮したためらしい
2004年12月18日 小林、またもポチコロ精神丸出しで「サイゾー」1月号で宮台と対談。そこでついに「アメリカが日中の対立を煽るために中国の反日感情に火をつけた」という妄想珍説を展開。反米が昂じて完全に「ムー」の世界に旅立ってしまった模様
2004年12月10日 小林、「わしズムVol.13」刊行。「日中友好のためなら小泉の靖国参拝はやめた方がいい」と言い出す。ついに反米を究めて支那ポチになった模様。また、八木秀次氏が「つくる会」会長に就任したことを反映してか、八木氏の連載が打ち切りに。
2004年12月4日 小林・西部、「本日の雑談4」刊行。西部がついに「日中戦争を侵略と認めることもやぶさかではない」と言い出す
2004年11月18日 小林、「サイゾー」12月号掲載の宮台真司の連載コーナーに特別ゲストとして登場。落ちぶれた小林は完全に宮台のポチコロに
2004年11月10日 小林、沖縄特別編第6回で、中核派活動家・知花昌一の反米運動を一部批判したふりをしつつ絶賛。またイラクでアルカイダに惨殺された香田証生さんを「危険な地域に行ったのだから殺されたのは自業自得」という論旨で糾弾し、その直後に例のイラク三バカを礼賛した挙句に自分の本を宣伝。バランス感覚が完全に狂っている
2004年11月5日 小林、朝生に出演。親中国派・田原総一朗に対し、チベット問題を鋭く切り込んだ勝谷誠彦を「日中友好のため」と称し放置プレイしたことを後に自ら明らかにする。
2004年10月27日 小林、早稲田大の講演で本宮ひろ志の漫画を徹底的に擁護したことに関して、「ゴー宣」欄外で必死に軌道修正。以下該当部分を引用。保守派攻撃が自己目的化しているので、文章の論理が支離滅裂。堂々と左翼に転向したことを宣言すればさぞ楽だろうに(w

本宮ひろ志の漫画に抗議殺到で休載に追い込まれたというので、また保守派オタクのバッシングかと思って、作品を見てみたら、確かにデタラメだったのでしょうがないと思った。商売に徹する姿勢はえらいと思ったけど、やっぱり商業倫理ってものもありますな。しかし、イラク戦争を支持し、「戦争に大義も正義も無い、国益だけ」と言ったポチが本宮の漫画に怒るのは変だぜ。シナ事変も大東亜戦争もむしろ「国益」を損じた戦争だったはず。「大義も正義も国益も無い戦争」に「名誉」があるはずないじゃないか。つまりアメリカのいってるとおり、日本は「悪の枢軸」であり「旧日本軍は悪」ってことになる。論理矛盾も甚だしい。

2004年10月13日 小林、早稲田大の講演で南京大虐殺捏造マンガを書いた本宮ひろ志を徹底擁護。
以下要旨

・本宮ひろ志さんが南京虐殺の描写で抗議を受け、連載休止に追い込まれた。
・本宮さんは商売で南京虐殺を描いているだけだから、全く悪い点はない。完全に商売に徹するのは非常に偉大だ。
・わしが慰安婦問題を描いたときは40数団体から抗議が来たが、今は左の人たちが攻撃を受ける。(右の奴らは)本当にせこいことをする連中だ。わしはどうして「ゴー宣」でこんな連中を育ててしまったのだろう。

他にも早稲田大構内の革マル派の立て看板に激しく共感を示したり、「国連決議があった湾岸戦争も反対だった」「2ちゃんねるもネットもわしに『造反』しはじめた」「フセイン政権はイラクの歴史から自然に出てきた」などデムパ発言のオンパレード
2004年10月5日 小林・西部、「本日の雑談3」発行。ここでも曽我ひとみさんのことを「不埒な女」と中傷し、横田夫妻も含めて北朝鮮による拉致被害者や関係者全員を口汚なく罵り誹謗中傷。北朝鮮の日本人拉致の犯罪性を、米軍のイラク・ファルージャ空爆を持ち出して矮小化するありさま。小林・西部が「週刊金曜日」と完全に同一のスタンスであることが明らかに
2004年9月25日 小林「わしズムVol.12」刊行。北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんを名指しして「公衆の面前で堂々とキスをする恥の概念を失った日本人女性」と3ページを割いて徹底的に誹謗中傷。さらに冒頭で宮台真司と香山リカに深々と土下座して全面謝罪し、連載スペースを提供。これまでの恨米同人誌から、空虚な詭弁ばかり述べて誰からも相手にされなくなった90年代サブカル左翼系言論人の墓場雑誌へと移行しつつある模様。書店への入荷部数も前号の2/3程度に減っており、そろそろ廃刊も近いか
2004年9月22日 小林、「新ゴー宣」沖縄特別編第3回で「戦前の大日本帝国は沖縄の宗教を弾圧した悪の国家」という自虐史観論を展開。また、9月初めに放映された朝まで生テレビで村田晃嗣氏に論破されたことを欄外で「沖縄の人を傷つけないために核武装による自主防衛論を唱えなかったのだ」と見苦しい言い訳(実際には、ここを見れば分かるように、小林は朝生で「(妄想)核武装論」に言及している)。ウソまでついて自分を美化しなければならないとは悲惨すぎ、ぶるるるる(w
2004年9月19日 小林、沖縄の地元紙「沖縄タイムス」の反米・反基地特集に登場。このシリーズで他に登場したメンバーはあの「噂の貧相」元編集長の岡留安則、凶悪犯罪者擁護でおなじみの浅野健一など、どうしようもないゴリゴリの左翼ばかり。小林もめでたく左翼にお仲間と認定されたということで。「沖縄タイムス」といえば、小林が絶賛する「大東亜聖戦碑」を激しく糾弾していたはずなのだが…(w
2004年9月3日 小林、「朝まで生テレビ」に出演。前半では米軍ヘリ墜落事故に関して、小泉首相が稲嶺沖縄県知事に事故直後に会わなかったことを批判するなど、妥当と思われる反米主張も散見されたが、番組終盤でデムパ反米軍事論を展開し、同志社大学助教授・村田晃嗣氏に完膚なきまでに粉砕される(詳細はこちらに。久々に音声付き)
2004年8月15日 小林、フジテレビ「報道2001」に出演。ここでもマイケル・ムーアの「華氏911」を絶賛し、長野県知事・田中康夫と反米で仲良く意気投合
2004年8月14日 アメリカ民主党シンパのマイケル・ムーアが製作した反共和党・反ブッシュを目的としたプロパガンダ映画「華氏911」が日本でも公開される。同映画公式HPなどで小林は「ポチ日本の飼い主の正体が見られるかと思うと、不安で夜も寝られない。勇気を出して見に行くぞ!」と、アメリカ人のムーアに惜しみない賛辞を送る。結局、小林は筑紫哲也同様アメリカ民主党のポチに過ぎなかったことが判明
2004年8月5日 小林、幻冬舎より過去の「わしズム」の連載を寄せ集めた「ゴー宣 EXTRA1」を発売。新しく付け加えた章で、拉致被害者の曽我さんの母親に関する発言で石原慎太郎・東京都知事を名指しし、似顔絵を描いた上で「口の軽い政治家」と糾弾(他の糾弾対象も自民党の政治家のみで、自民党以外の政治家批判は完全にスルー)。今のところは石原氏の似顔絵は抑えたタッチだが、すぐ醜悪に描き出すのが小林の常なので、醜悪な石原氏の似顔絵が登場するのにそれほど時間はかからないだろう。石原嫌いの極左カルト誌「週刊金曜日」に再び連載する日も近いか
2004年7月29日 小林、朝日新聞の雑誌「AERA 臨時増刊〜自衛隊どうするどうなる〜」に登場。「イラクで改憲許さない」と言うインタビュー記事で、日米同盟を基本とする憲法改正に全面反対し、自衛隊がイラクから撤退するまで改憲議論を一切してはならないと言うのがその主張。「わしはイラク派遣を改憲への手段にするような動機をみとめない」「日本の安全保障は、何から何まで米軍と一体化している」「こういうきっかけで改憲ということになれば、侵略が改憲の動機と言うことで、GHQによる憲法の押しつけと同じようにおかしなことになりますよ」などと、左翼言論人と見紛うような、いかにも朝日読者が喜びそうなコメントを連発。完全に時代に取り残された朝日系言論人に成り果てた模様
2004年7月18日 最高裁で小林に敗訴した左翼活動家が「声明文」なるものをHPにアップ。驚くべきことにこの左翼活動家は小林が119章で主張した「慰安婦問題にかかわったから政治的圧力がかかって敗訴した」という珍説と全く同じウルトラデムパ理論を展開(小林との立場の違いから方向性は多少違うが、拉致問題やイラク問題で小泉政権を糾弾しているところまでウリ二つ)。言論の場で物事を解決できない似たものエセ言論人同士の電波裁判だったということで、裁判所もさぞ迷惑だっただろう
2004年7月15日 小林、左翼活動家との名誉毀損裁判で最高裁で逆転勝訴。しかし判決の内容は、左翼活動家の本が小林と同程度の罵倒であるという事を示し、そのために小林の表現には違法性がないと判断したもの。これ、素直に喜べるんだろうか…
2004年7月9日 小林・西部、わら半紙対談本「本日の雑談2」を発売。しかし、ある程度の新鮮味があった前回と違い、たった2ヶ月で話題が増えるはずもないのでネタのほとんどが「わしズム11」の使い回し。注目すべきは、反米問題ではあれだけ“饒舌”な西部が、中国が日本の領土を不当に侵犯している尖閣諸島問題に関して全く無知であることを自ら曝け出してしまった点で、単なる「エセ保守」であったことを自分で証明した。あとはミラーマン植草の逮捕ネタなど、酒場のオヤジの愚痴レベルのどうしようもない話ばかり。部数も実際伸びていないようで、今後はどうなることやら
2004年7月1日 西部、「諸君」8月号で再び田久保忠衛氏を相手に60年代安保闘争テイスト全開の反米論を開陳。国連で承認された現在のイラク政権を「アメリカの傀儡政権」と中傷。また、田久保氏の「あなた(西部)はアメリカに原爆の一発でも落とさないと気が済まないわけでしょう」という追及に対して西部は「まぁ、簡単に言えばね(笑)」と答えるなど、かつての保守論客の地位をかなぐり捨てて完全に反体制極左活動家に戻った模様。雑誌内での西部の扱いは明らかに副島隆彦などと同じ「論壇の珍獣」扱いで、以前とは扱いが全く変わっていることすら西部自身は理解できていない様子
2004年6月28日 共産主義への憧れを隠し切れない台湾人エロタレント・インリンの公式掲示板で、石原慎太郎東京都知事とともに名指しで敵視されていた小林の名前が消え、その部分が西村眞吾衆議院議員の名前に変わっていたことが発覚(Part63スレの241氏が発見)。インリンは「台湾論」の頃から小林を激しく敵視していた。もはや小林は左翼勢力にとって全く脅威でなくなったことを象徴する出来事
2004年6月26日 小林、「朝まで生テレビ」に出演。「徹底討論!皇室とニッポン!」というテーマで、西部もアメリカも関係ないテーマだったために比較的正論と思われる主張を述べた。しかし最後で天皇制を無理やり反米にこじつけ、全てを台無しに。もはや反米なしでは生きられない模様で、逆の意味でのアメリカ中毒か
2004年6月25日 小林、「わしズムVol.11」を刊行。ついに反米が高じたのか、玄洋社を引き合いに出して「日本はアメリカに対抗するためにアジアの国々と手を携え大アジア主義を実現するべき」という荒唐無稽な説を唱え始める。また、西部とともにイラク“人質”事件の“被害者”を大絶賛し、「政府が2ちゃんねるに影響されて自作自演説を信じ込んだ」という、オカルト雑誌『ムー』も真っ青の陰謀説を再び展開し、2ちゃんねる攻撃(あまりにデタラメな内容なので、攻撃にすらなっていないが)。また“人質”家族は左翼ではないという珍説も繰り出し、もはや小林本人は完全に左翼陣営に戻った気になっている模様。(かつて井沢元彦が対談で「私たちは中立的な発言をしているつもりだけど、左翼の朝日新聞から見れば右翼に見えるのでしょう」という趣旨のことを述べていたが、結局小林自身が左翼に戻ったので“人質”家族の異常な言動が左翼的に見えなくなっただけだと思われる。もっとも、左翼の間ではいまだに小林は「戦争論」の頃のイメージだけで捉えられており、全く相手にされていないが)
2004年6月23日 小林、第210章で長崎小学生殺人事件と絡めて「ネットの利用者は異常者の共同体」と断じ、ネットの存在意義を全否定。2ちゃんねるが「ポチホシュ」の巣窟と思い込んでいるなど、ロクに調査もせずに妄想だけで書いたことは明らか。ところが『発言者』7月号掲載の西部のコラムによって、実は小林のネット攻撃のネタ元が西部であったことが判明(「『噂の真相』が2ちゃんねるの台頭によって廃刊になった」などの珍説)。小林は恨米路線に転向以後、自分で思考することを完全に放棄して西部のスピーカーとして生きていく決意を固めた模様。また、産経新聞や週刊新潮を「御用マスコミ」と言い出すなど、左翼化がどんどん進行していることが伺われる
2004年6月18日 雑誌「サイゾー」7月号発売。「小林よしのり〜論壇のスターへの鎮魂歌?思想・運動・漫画の賞味期限を検証」と題し、浅羽通明・呉智英・大月隆寛らの小林に対する意見を見開き2ページで掲載。以下、発言の概要。
・浅羽「小林ほどの影響力を持った言論人は他にはいない」とかなりヨイショ気味。
・呉「ゴー宣はスタイルもテーマも陳腐化した。今こそ“厳格に訊け!”のスタイルを復活させるべき」と、漫画評論家らしい批評。
・大月「ゴー宣は2ちゃんねるの出現以前に存在した2ちゃんねるみたいなもの。(薬害エイズのときに)厚生省の食堂に集合をかけたら実際に集まったのも2ちゃんねるのオフ会みたいなもんでしょ。実は、あたしは小林さんと一緒にアメリカに行こうと誘ったことがあって、実際にアメリカに行けば田舎の集合体だということが分かると思ったんだけど…」

まさかこの1週間後に発売される「SAPIO」「わしズム」が2ちゃんねるとインターネットに関するウルトラ珍説のオンパレードになろうとは…
2004年6月13日 小林、「サンデープロジェクト」に出演。しかし、小林の主張は全て西部邁と渡部陽一(人間の珍盾カメラマン)の珍説の受け売りで、小林の珍説を田原総一朗と朝日新聞論説委員がフォローして元タイ大使の岡崎久彦氏を追及するというスタイル。そのため、岡崎氏は全く相手にせず、最後には司会のうじきつよしからまでバカにされる始末。新聞のテレビ欄に「小林・岡崎対決」と仰々しく書かれていたものの、実質的な「対決」はたった20分しかないという羊頭狗肉なインチキ企画で、小林は完全にテレビ朝日の視聴率獲得の道具に成り下がった
2004年6月5日 小林、韓国映画「シルミド」の広告で「くやしいことだが、今、日本映画は韓国映画に完全に負けている」「(韓国の)俳優たちがハリウッドや日本映画のように甘い顔をしていない」と、何の根拠もなく日本映画を誹謗中傷、完全に自虐史観に戻ったか。新聞広告版では俳優の役所広司や中谷美紀のコメントも載っているせいか、上記の部分は完全にカットされた。ちなみに、プロの映画評論家の間では「シルミド」の評価はかなり低い
2004年5月28日 小林、「朝まで生テレビ」に出演。前回共演し、「わしズムVol.11」に寄稿予定のジャーナリスト・橋田信介氏が甥とともにイラクでテロリスト(小林が「レジスタンス」と美化して激賞していた連中)に射殺されたことを知り号泣
2004年5月26日 小林、207章でインターネット掲示板「2ちゃんねる」に対し宣戦布告。しかし既に2ちゃんねるでも小林は忘れられつつあり、小林を専門に扱うコヴァ板は5月に入りスレッドの数がわずか100個未満という悲惨な状態に。また、同じ章で、分かりにくい形ではあるものの石原慎太郎・東京都知事と西村眞吾・衆議院議員を「戦争の大義がなかったことを開き直るポチ」と誹謗中傷
2004年5月12日 西部と小林、対談本「本日の雑談」を出版。950円もする高価な単行本なのに、週刊誌よりもひどい紙質のザラ紙で作られているという衝撃の体裁。小林の人気凋落に伴う部数の減少に対応して原価を下げるためか。まさに恨米ちり紙(w
2004年5月1日 西部、「現代」で田中康夫とブサヨ対談(ネタは「朝日新聞」「週刊金曜日」インタビューの使いまわし)
2004年4月30日 小林、「朝生」に出演。「アクセス」「スーパーモーニング」よりは“被害者”擁護がトーンダウン。産経陰謀説は相変わらず
2004年4月28日 小林、205章でイラク拘束事件の“被害者”を擁護、インターネットを「大衆の狂気」と定義し、徹底的に攻撃。客観的証拠がないにもかかわらず、“被害者”の家に嫌がらせをしたのは産経新聞の読者と決めつける。北朝鮮の拉致被害者の家に多数の嫌がらせがあったときに小林が完全にスルーしていたのとは対照的
2004年4月21日 小林、テレビ朝日「スーパーモーニング」に出演。「アクセス」同様、イラク拘束事件“被害者”を「弱者」と呼んで徹底的に擁護
2004年4月20日 小林、TBSラジオ「アクセス」に出演、イラク拘束事件“被害者”を「弱者」と呼んで徹底的に擁護。「(和歌山毒カレー事件主犯の)林真須美は痩せたら美人」というドキュソ発言もあり。もはや、今の小林はビンラーディンを初めとする犯罪者の方に感情移入を始めた模様
2004年4月14日 小林、204章で中国人の尖閣諸島不法上陸問題を矮小化
2004年4月1日 西部、「正論」でも日米同盟破棄・日中韓軍事同盟構想をぶち上げる
2004年3月26日 小林、「朝生」に出演
2004年3月25日 小林、「わしズムVol.10」で人間の珍盾カメラマン・渡部陽一とともにイラクに派遣された陸上自衛隊を誹謗中傷。「わしズム」の凋落は激しく、Vol.10の印刷部数は推定でVol.9の8割程度に減らされる
2004年3月24日 小林、203章欄外で「南京虐殺はアメリカが日中分断を目的としてデッチ上げた」という珍説を開陳
2004年3月19日 西部、ついに極左カルト誌「週刊金曜日」に登場。「イラク派兵反対メッセージ 親米保守の首を獄門にさらすべし」というトチ狂った題名
2004年3月10日 小林、202章欄外でアメリカ民主党のケリーが大統領になることを期待していることを白状(アメリカ民主党が親中反日なのはともかくとして、ケリーも4月13日付の「ワシントンポスト」紙で、仮に自分が当選しても米軍のイラク駐留を継続させると主張しているわけだが…)
「噂の真相」、廃刊号でも小林を激賞
2004年3月2日 田中康夫、西部の「週刊金曜日」の記事を事前に入手し、「SPA!」で激賞
2004年3月1日 オウム麻原死刑判決報道で、各マスコミとも小林襲撃事件の存在を完全に無視
(Yahoo!のトーハンランキングでも「わしズム」は多くの宗教団体の関連本と同じ扱いでコメントが一切付いていないので、マスコミ的には小林に触れないことになっている模様)
2004年2月25日 小林、201章で古森義久氏を醜悪に描いて中傷
2004年2月18日 小林、アメリカ民主党のスピーカー・筑紫哲也の「News23」で憲法改正否定論をぶち上げる(ビデオ出演)
2004年2月14日 小林、陸上自衛隊のイラク派遣に便乗して「新ゴーマニズム宣言13巻」を刊行。フセイン政権のプロパガンダを無修正で垂れ流した部分が注記もなしにそのまま収録され、あまりの電波な内容に小林ファンを辞める人続出
2004年2月4日 小林、200章で「墨子の思想はアルカイダの自爆テロに通じる」との珍説を展開
西部、朝日新聞で日中軍事同盟構想を発表
2004年1月30日 小林、「朝生」に出演。完全に左翼側の席に固定される。陸上自衛隊のイラク派遣が確定したせいか、ヒステリーを起こして「日本はイラク国民にどんどん銃を水平撃ちして殺せばいいんだよ!」と発狂
2004年1月 西部、会合に古賀誠を招いて大いに反米論を語る
2004年1月10日 「噂の真相」、またまた小林を激賞する
2004年1月7日 小林、たった2ページしかない199章でフセインが拘束されたことに触れる。今までのフセイン政権への惜しみない賛美はどこへやら
2004年1月1日 小林、「朝生」に出演する。左翼側の席に座り、全共闘運動を絶賛。社民党の福島瑞穂と在日朝鮮人の姜尚中が小林の反米論を激賞する

2003年
2003年12月23日 小林、ついにアメリカ民主党のスピーカー・筑紫哲也の「News23」にビデオ出演する
2003年12月10日 小林、これまでの寄せ集め「よしりん戦記」を発売。過去を懐かしむ人にそこそこ売れる
2003年12月5日 小林、「わしズムVol.9」を刊行。これまで国際レポートを寄稿していた大高未貴が突然消え、イラクでフセイン独裁政権を守るために「人間の盾」に参加していた左翼カメラマンの渡部陽一が初登場。この号で、これまで隔月ペースで発行されてきた「わしズム」が季刊に格下げされることが判明。ここでも「同和利権の真相」の著者の一人、寺園敦史氏を誹謗中傷
2003年12月1日 西部、「諸君」で田久保忠衛氏と対談。電波理論を振りかざして完全に自爆。これ以降、西部は小林同様「諸君」から放逐される
2003年11月29日 小林、「朝生」に出演。左翼側に座らせられる
2003年11月14日 古森義久・田久保忠衛の両氏が西部・小林・左翼の反米論を批判した「反米論を撃つ」を発刊
2003年11月12日 小林、195章で151章以降、「古事記」を除くと初の反米路線以外のテーマとなる「ブラジャー男」ネタを発表(差し替え原稿との説もあり)。あまりのくだらない内容に失笑を買う
2003年11月10日 「噂の真相」、カナモリ嬢を攻撃しつつ小林を激賞。この記事でカナモリ嬢放逐の真相が判明する
2003年10月22日 小林、193章でイラクに派遣される自衛隊員を応援(実際に自衛隊がイラクに派遣された後の翌年3月に出た「わしズム」では、人間の珍盾カメラマンと一緒になって自衛隊を中傷)
小林、194章で「同和利権の真相3」中で小林の解放同盟従属の姿勢を批判した寺園敦史氏を中傷
2003年9月25日 小林、「わしズムVol.8」を刊行。「戦争論3」出版を煽るも全く売れず
2003年9月24日 小林、191章で金美齢さんを醜悪に描き、「戦後民主主義信奉者」と事実無根の中傷を行なう
2003年9月10日 「噂の真相」、これまで対立していた小林のことを、反米路線に転向して保守言論人攻撃を開始したことを受けて応援開始
2003年8月29日 西部と小林が仲良く「朝生」に出演。西部の醜態を見せないために生放送ではなくビデオ収録。ここでアメリカを巡って西部・小林と台湾総統府国策顧問・金美齢さんとの対立が始まり、反日主義の在日朝鮮人・姜尚中に対しては逆に小林の方から「在日朝鮮人は姜さんもそうだけど違和感がない」とわざわざ媚を売る
2003年8月5日 小林、またまた「大東亜聖戦祭」に登場
2003年7月31日 小林、名誉毀損裁判で、東京高裁で左翼活動家に敗訴
2003年7月25日 小林、「わしズムVol.7」を刊行
・カナモリ嬢による「戦争論3」インタビューあり
・小林、「わしズムVol.7」でこれまで否定してきた「つくる会」と「キリストの幕屋」の関係の存在を認める(この問題を指摘した左翼活動家や「噂の真相」を、小林が以前「デマ屋」呼ばわりしたのは一体なんだったのかと)
・左翼NGO「ペシャワル会」の医師・中村哲と対談し、アフガン問題について電波を垂れ流す
2003年7月25日 小林、「戦争論3」を出版(増刷が1回しかかからず、あまりの電波な内容に論壇からも完全に無視される。初版が売れ残っている書店も多数あり)
2003年7月23日 小林、188章で新秘書を意味もなく激賞(溺愛ぶりがキモすぎ)
2003年7月9日 小林、187章でカナモリ嬢を放逐したことを明らかにする。後の「噂の真相」の報道で、「戦争論3」の出版に際して反米路線を巡りカナモリ嬢と対立して、逆切れした小林がカナモリ嬢を放逐したことが判明する
2003年7月5日 小林・西部、「アホ腰抜けビョーキの親米保守」を出版。左翼読者にそこそこウケたマイケル・ムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人」の題名を剽窃した実に情けない便乗反米本。内容もくだらない罵倒のオンパレードで、話題にすらならず。初版と、初版とほぼ同時に印刷されたと思われる第二刷以降は増刷もされず、初版が売れ残っている書店も多数。同じ出版社から出た「マンガ金正日入門」が大ベストセラーになったのとは大違い
2003年7月1日 西部邁、田原総一朗・姜尚中との対談本を講談社から出版。その本の中で西部が昭和天皇の戦争責任を糾弾し、北朝鮮に対する武力攻撃を否定
2003年6月25日 小林、186章でも「北朝鮮の拉致はテロではない」と言い出す
2003年6月12日 小林、朝日新聞直営のCS放送で「拉致被害者を救う会」「家族会」を「気に食わない」と中傷攻撃。「北朝鮮の拉致はテロではなくただの犯罪」「北朝鮮に対する異論を許さない現在の日本は気色悪い」と断言し、朝日新聞の論説委員と反米で仲良く意気投合
2003年6月11日 小林、ラジオ番組「アクセス」で北朝鮮船の臨検に反対し、北朝鮮の脅威も完全に否定する
2003年6月1日 小林、「諸君」の新連載「麹町電網観測所」でボロクソに叩かれる。匿名コラムだが、後の「諸君」の記事などから同コラムの筆者は同誌のネット担当のライター・中宮崇氏と判明。中宮氏は以前は小林の熱心な愛読者で、小林の著作権裁判を傍聴したこともあった。小林が元の読者から見捨てられたことを象徴する出来事
2003年5月28日 小林、184章で岡崎久彦・中西輝政の両氏を中傷
2003年5月21日 小林、再び「朝生」に出演。自民党の平沢勝栄議員を中傷
2003年5月14日 小林、183章で親中国のGLAY・TAKUROメンバーと自民党の古賀誠を激賞。「イデオロギーよりは人格だ」と言い出す
2003年4月26日 小林、「わしズムVol.6」を刊行
2003年4月25日 小林、「戦争論」出版後にもう二度と出ないと断言したはずの「朝まで生テレビ」に出演。これ以降、完全にレギュラー化。この時点では一応保守論客側に座っていた
2003年4月23日 小林、182章で原稿差し替え。コピーを切り貼りしたプロ意識ゼロの原稿を発表する
小林の中傷のせいで、「SAPIO」の中央見開きに長年掲載されてきた産経新聞の広告がついに消える
2003年4月9日 小林、181章でイラク戦争に関してデタラメを書く。この日にバグダッド陥落。フセイン政権のプロパガンダを鵜呑みにして垂れ流したことが確定
(この章は単行本13巻初版には無修正で収録)
2003年3月21日 小林は「朝まで生テレビ」における「戦争論」の扱いを不満としてテレビにはここ数年出ていなかったが、突如としてテレビ朝日の朝の電波番組「スーパーモーニング」に出演。これ以降、テレビ朝日の反米広告塔と化す
2003年3月1日 西部、岡崎久彦・田久保忠衛の両氏から「諸君」の対談で叩かれる
2003年2月27日 小林、「わしズムVol.5」を刊行。自民党きっての中国シンパ・古賀誠と対談し、古賀のことを「真の保守」と絶賛。この号あたりから「わしズム」は売り上げが急激に下がり始める
小林、「わしズムVol.5」で副島隆彦と再び対談(副島と対立している西部から圧力がかかったのか、副島の登場はこの号限り)
2003年2月5日 小林、「古寺記」で「明治政府がやった廃仏毀釈は文化大革命と同じ」という珍説を唱える
2003年1月15日 小林、反日アメリカ人のマイケル・ムーアが監督した「ボウリング・フォー・コロンバイン」に激賞コメントを寄稿。朝日新聞夕刊にのみ広告が掲載される

2002年
2002年12月3日 小林、「わしズムVol.4」を刊行。中国で共産党官製のライブを敢行したGLAYのTAKUROメンバーと対談する
2002年12月1日 小林、雑誌「諸君」で副島隆彦と「ポチ・ホシュへの『宣戦布告!』 聞け!聞け! 我らが『反米』という作法について」という題の電波対談を行なう。これを最後に、小林は保守論壇から完全に放逐される
2002年11月27日 小林、「SAPIO」も含めて北朝鮮の拉致問題報道がヒートアップする中、なぜかそれに背を向けるかのように「古寺記」の連載を開始
2002年11月17日 小林、「新ゴーマニズム宣言12巻」を刊行
2002年10月9日 小林、176章で小泉訪朝を糾弾しつつ、拉致被害者の家族を擁護(この8ヵ月後に立場を180度変え、朝日新聞の論説委員と一緒になって家族会や救う会を中傷し始める。家族会の訪米が原因なのは言わずもがな)
小林、欄外で「大東亜青年塾」の名誉塾長に就任したことを表明
2002年9月27日 小林、「わしズムVol.3」を刊行。女優の高木美保との対談で「アメリカ人は牛を多く食べるからアルツハイマー病の患者が多い」という珍説を開陳。また、スローフードを礼賛しマクドナルドの牛肉を勝手にアメリカ産と思い込んだ上で事実無根のデータを元にマクドナルドを中傷(2003年末のアメリカ狂牛病騒動でも分かったとおり、日本マクドナルドが使用している肉は100%オーストラリア産。この頃に刊行され、1年ほどで廃刊になった本多勝一の雑誌「あれこれ」も小林と酷似した反マクドナルド論を展開。小林ともどもソースは「買ってはいけない」の捏造記事あたりか)
2002年9月25日 小林、175章で「小泉訪朝はアメリカのイラク戦争支援が目的」という珍説を唱える
2002年9月11日 小林・西部、同時多発テロ1周年に便乗して中核派活動家の知花昌一や反戦作家の小田実らと共同で「イラク戦争反対メッセージ」を出し各マスコミに送りつけるが完全に無視される
2002年8月31日 小林、西部との電波本「反米という作法」出版
同書の中で西尾幹二氏らを徹底的に中傷・人格攻撃(大して売れず)
2002年8月4日 小林、「大東亜聖戦祭」に参加。その様子が統一教会の機関紙「世界日報」で大々的に報道される
2002年7月25日 小林、幻冬舎から「わしズムVol.2」を刊行。西尾幹二氏や今は亡き坂本多加雄氏を醜悪に描いて誹謗中傷
2002年7月24日 小林、171章でパレスチナの自爆テロを激賞
2002年7月10日 小林、170章でワールドカップにおける韓国の反日攻勢を完全に無視
2002年7月8日 2ちゃんねるマスコミ板に小林よしのりの反米路線を批判するスレが立つ(後に「わしズム」スレへと発展する)
2002年6月17日 小林、「新ゴーマニズム宣言11巻」を刊行。読者が徐々に離れ始める
2002年5月22日 小林、166章で西尾幹二氏を名指しで中傷
小林、レーガン政権時代に共和党政権内で「日本異質論」を主張してアメリカの反日感情を煽り、ブッシュ(父)の代になってから民間に放逐されたプレストウィッツと対談したことを自慢げに語る(プレストウィッツはそのことを根に持ってブッシュ政権を中傷している。現在プレストウィッツはアメリカ民主党のスピーカー・筑紫哲也と親交が深いので、反日主義の民主党に宗旨替えしたものと見られる)
2002年5月8日 小林、165章で脱脂粉乳をネタに反米論を展開
この章から欄外の「応援レター」が消える(そのままの状態で現在に至る)
2002年4月25日 小林、幻冬舎から「わしズム」を創刊。ZEEBRA(ラッパー)、秋本治(漫画家)らとの対談や、カナモリ嬢が「国本沙希」というペンネームで書いたコラムなどなかなか豪華。まさか、あと数号で悲惨な状態になろうとは…(w
2002年4月1日 小林、「正論」で「『思想』は『政治』の前に沈黙せねばならぬのか」という珍説を展開
2002年3月27日 小林、162章で小学館の連載スペースを私的に使い、他社である幻冬舎から出版される「わしズム」創刊を必死で宣伝
2002年3月13日 小林、161章で韓国スケートのキム・ドンソンの不正審判問題に徹底的に同情し、アメリカを「不正な審判をやる汚い国」と攻撃
2002年3月1日 「正論」に2月の「つくる会」シンポの様子が収録される
西部が珍説を振りかざして西尾幹二氏を攻撃
2002年2月27日 小林、159章で「つくる会」脱会を表明
2002年2月7日 小林、「つくる会」シンポジウム「『戦争論2』を読む」でアルカイダを激賞
・自爆テロに対して「その手があったか〜!」と発言
・「「アメリカざまあみろ」と言った社民党の原陽子は真の愛国者」と発言
・「つくる会」のメンバーで親ユダヤの宗教団体「キリストの幕屋」の信者から小林に対して激しい罵声が飛ぶ
2002年2月1日 西尾幹二・田久保忠衛の両氏が「正論」で西部に反論
2002年1月23日 小林、158章で日米同盟を否定し始める
2002年1月9日 小林、156章で「伊勢神宮は日本のメッカ」と言い出す
小林、157章で初めて「ポチ・ホシュ」という言葉を使用する
(初期は小林の造語「サヨク」に対応させるためかカナ書き、後に漢字表記の「ポチ保守」になる
2002年1月1日 西部、「正論」でアルカイダの自爆テロを徹底擁護

2001年
2001年10月31日 小林、「戦争論2」発売(「その手があったか〜!」)
冒頭に急遽追加されたアルカイダ擁護論に違和感を覚える読者が多数
2001年10月10日 小林、新ゴー宣151章「アメリカ帝国主義VS.イスラム原理主義」発表。アルカイダの自爆テロを全面擁護
2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ発生
2001年9月5日 小林、「FLASH」に登場。「戦争論2」の前宣伝
2001年8月 「つくる会」歴史教科書、採択校がほぼゼロという結果に


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