「狂気の毒ガス戦を体験して」 金子安次さん 
   
  


     
    私は、昭和15年11月に中国山東省に上陸し、初年兵教育を受けた後、山東省の各地 
    を転戦しました。昭和16年10月頃、山東省新泰県と菜無県の県境のある部落を包囲 
    しました。その際、ひどい抵抗を受けたため、毒ガス弾を使用しました。すると薄い霧の 
    ようなものが広がり、そのうち、城壁からゾロゾロと八路軍の兵士や部落民、女、子ども 
   が顔を押さえて逃げ出してきたのを、機関銃で掃討しました。 

   その後、残兵の掃討、捜索をしていたところ、ある家のオンドルの隅に女の人が子どもを      抱いていました。上等兵は子どもをもぎとるようにして女から放すと、私に子どもを預け、 
   外に出ているように言いました。しばらくの間は家の中から上等兵の怒号と女の悲鳴が 
   聞こえてきましたが、その内に眼の血走った上等兵が女の髪の毛を引っ張って外に出て     きました。 

  井戸の所にくると、「おまえは女の足をもて、井戸の中にぶち込んでやる」。上等兵が胸 
  のあたりを押しつけ、私が足を持ち上げると女の人の体は井戸の中に落ちていきました。 
  ところが、私たちの後についてきた子どもは気が狂ったように泣きながら井戸の回りを走っ   ていました。まだ小さくて井戸の縁に背が届きません。するとその子は近くから箱のような 
   ものをもってきて、井戸の縁に置き、中を覗き込んで、「ママ、ママ」と叫んでいましたが、 
   いきなり両足で台を蹴り、井戸に落ちていったのです。 

 
   (聞き取り後記) 

  この話をされると金子さんは、「自分にも、母の後を追って井戸に落ちていった子供と同じ    位の歳の孫がいます。あの場面を思い出すと、本当に胸が苦しくなります」と語られました。 
  金子さんは現在、中国帰還者連絡会の一員として、日中友好のための活動をなされ、 
  また「自由主義史観」のような歴史修正主義者らに対抗して、日本による中国侵略の真実 
  を語りつづけておられます。 
 


 
 
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