大久野島での毒ガス被害者の
治療にあたって
                               
行武正刀先生(忠海病院院長)
 
  


 
  私が、忠海病院に赴任したのは、1962年7月です。忠海病院は、約40年にわたり毒ガス障害者に対する臨床治療をしており、大久野島で働いた約6600人の内、入通院した約4200人の方のカルテがあります。私が赴任した時、話には聞いていましたが、これほどひどいとは思わなかった、というのが、正直な印象でした。
 
 毒ガスによる慢性気管支炎、そして肺気腫に進行していった患者など、当時26あったベッドは満杯の状況でした。以来、35年間にわたり勤務してきましたが、現在も、外来患者の約9割は大久野島の関係者が占めており、入院患者の半数以上が70歳を超えた毒ガス患者です。現在、44あるベッドは通常一杯になることはありませんが、風邪が流行する冬には、すぐ一杯になります。
 
  昭和27年に広島大学に大久野島の関係者で肺ガンの方が訪れまして、それをきっかけに研究が始まったそうです。そして、忠海町周辺で集団検診をするようになり、この病院に医師が派遣されるようになりました。最初の検診の時、どういう訴えがあったかと聞くと、ほとんどの人がセキやタンを訴えます。つまり呼吸器に強い障害を残していたということです。その障害というのは、最初の障害であり、毒ガス工場で生じた障害でもあります。それまでに、どういう病名がついていたかというと、93.5%の人が、気管支炎、肺結核、肺炎といった呼吸器の病名がついています。毒ガスの障害というのは、呼吸器に強く残っています。

  広島大学の重松先生の統計資料によると、慢性気管支炎(タンを伴うしつこい咳)を起こした人は、当然、イベリット、ルイサイトの工程に携わった人や焼却といった毒ガスに触れる作業をした人で、勤続年数に応じて高い発症率を示しています。ところが、医務や事務といった毒ガス地帯に居なかった人でも、勤務年数が進むにつれて高い発症率を示しています。つまり、薄くても悪い空気を長年吸いつづけると、発症しているということです。つまり、大久野島では典型的な大気汚染地域だったといえると思います。

  1952年から広島大学の研究が始まり、大久野島の関係者がどういう病名で亡くなったかをみると、最初の10年は、呼吸器疾患で亡くなった人が半分近くあり、その中でも悪性腫瘍(肺ガン、喉頭ガン)で亡くなった方が多く、それから後でも呼吸器のガンの割合は多いようです。その後は呼吸器疾患の割合は減り、循環器や消化器の疾患、脳血管障害といった一般的な死亡原因にだんだん近づきつつあるんですが、初期の頃は、イベリットの影響が強く残っていました。

  比較的最近の研究なんですが、49名の亡くなった方を解剖させて頂いた資料によると、病気のタイプでいいますと、慢性気管支炎、肺気腫、細気管支炎、気管支拡張症といった基本的なパタ−ンがありますが、ほとんどの方が慢性気管支炎に罹り、それに肺気腫が重なっており、さらに細気管支炎や気管支拡張症の4つの病気が重なっているという複雑な呼吸器障害をもっている方も中にはおられました。

 また、毒ガス障害が、遺伝子に支障をきたすものかどうかということですが、広島大学の研究チ−ムが、被爆者と同じ手法で、いわゆる700人の毒ガス2世の方を調査しておりますが、そのデ−タを比較してみると、原爆より影響が非常に少ないということがハッキリしたようです。しかし、全く遺伝子に影響がないとはいえないとされています。

  毒ガス兵器は、例えばイペリットは染色体毒で発癌物質であり、また自然破壊もひどく後遺症も長く残ります。その意味で、核兵器と同様皆殺しの兵器だと思います。二度と使われることがないよう、人類の英知に期待します。
    



 
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