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二十世紀の謎
ホロコーストはなぜ起きたか(全四回)
 
 
第一回 親衛隊国家
 

 二十世紀は過ぎ去った。しかしこの世紀は、「去る者は日々にうとし」では済まされないさまざまな謎を残した。私見では、そうした謎の筆頭にあるのが、ナチ・ドイツによるホロコーストである。なぜこの出来事が二十世紀最大の謎なのか?ホロコーストは、少なくとも三つの点で謎である。第一に、この出来事はヨーロッパ史上でよくあったユダヤ人迫害とは質的に異なっていた。伝統的な迫害はもともとキリスト教会が種をまいたもので、宗教に起因する「ユダヤ教徒に対する迫害」だった。だから改宗すればユダヤ人は迫害されなかった。ところが時代を下るにつれエスニック集団としてのユダヤ人に対する迫害が生じてきて、その最悪のものは十九世紀のロシア帝国におけるポグロムだった。しかしこの場合でも、ロシアや東欧のユダヤ人は特定の職業(商業、金融業など)に就き仲間うちでかたまって集落(シュテートルという)に住んでいる社会的に目立った集団として迫害された。こうした迫害や差別は、伝統的な社会が解体し動揺する時期には珍しくない。だがナチの場合は、話しが違う。ひっそりと生きているごく普通の人間が、例えば祖母がユダヤ系だったというだけの理由で虐殺の対象になったのである。
 第二に、ナチ・ドイツは米ソ両大国を敵に回した敗色濃い戦争を続ける中で、ホロコーストに莫大な人員、資源、エネルギーをつぎこむことを止めなかった。これは、軍略的には無意味どころかマイナスだった筈である。収容所の囚人たちが奴隷労働力として酷使されたのは事実だが、そんなことでは埋め合わせがつかないほどドイツの戦争経済にとって虐殺は大きな負担になった。そして第三に、ホロコーストに見せしめや政治宣伝の要素は全くなかった。それどころかナチは、ホロコーストのことを敵側はもちろんドイツ国民に対してもひた隠しにしていた。
 更に言えば----とくにユダヤ人にとっては----ホロコーストは倫理的にも謎である。もしもこれを「神がユダヤ民族を見捨てたしるし」と受けとるならば、ヒトラーが死後に勝利を収めたことになる。そう考えないのであれば、今度はホロコーストの中に神の測りしれない意図を見なければならなくなる・・・・。しかしこの一文では、そうした問題には立ち入らず、一つの政治的決定としてのホロスコートについて考察してみたい。だがそうした考察のためには、まず押さえておかねばならない事実が二、三ある。
 第一に、ナチ・ドイツに最も多く殺されたのはユダヤ人ではなく、人種的にはアーリア系(とくにロシア人)、宗教的にはキリスト教徒の人間である。また収容所の犠牲者にはジプシー(最近はこの蔑称を避けてロマとかシンティという)、同性愛者、共産党員なども含まれており、ナチはユダヤ人の”最終的解決”の後にはドイツ人の精神障害者や身体障害者も殺害する予定だった。第二に、ヨーロッパの中でとくにドイツがユダヤ人に対する差別と偏見がきつかった訳ではない。むしろナチス抬頭以前の近代ドイツは、ユダヤ人が最ものびのびと水を得た魚のように活躍し高い地位を得た国だった。その結果、当時の人口六千万のドイツがもらったノーベル賞の半分を僅か五十万人のユダヤ系がとっていた。第三に、ナチは初めからホロコーストを計画していた訳ではない。当初は、アフリカに植民地を作ってユダヤ人を強制移住させるという哲学者フィヒテ以来の案があり、ついで迫害によって国外に追い出すことが試みられた。(ちなみに、「ユダヤ人」の定義の恣意性にも注意すべきである。ヒトラーが人種について何を言おうと、金髪のユダヤ人もいたし浅黒くてカギ鼻のドイツ人もいた。混血も多かったが、混血でもドイツに貢献した者はドイツ人とされ、外見がユダヤ的な者はユダヤ人とされた)。
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 ホロコーストが決定された直接的な原因は二つあると私は考える。それは、親衛隊という存在と独ソ戦である。まず親衛隊について。ヒトラーは家柄も肩書きも学歴もない人間で、おまけに外国人(オーストリア人)だった。この独裁者は自分の権力基盤の弱さをよく知っていたので、権力維持のために巧妙な手を使った。まず彼はワイマール共和国の民主的な憲法を改正せず、憲法を停止して総統の命令ですべての政治を行った。そして彼は、似たような国家の組織を複数作り、それらに総統への忠誠を競わせるようにして、万事がヒトラー中心でなければ動かないようにした。こうした体制の中で急速にのし上がった組織が親衛隊である。1920年代末に300人程度のヒトラーのボディガードとして生まれたこの組織は、その後ナチ党内では先輩格のレームらの突撃隊を「血の粛清」で倒し、戦争末期には国家の主要部門を一手に掌握するまでになった。ユダヤ人関係のことは、おもに親衛隊の管轄になっていた。
 この親衛隊と独ソ戦とのかかわりの中でホロコーストが起きる。1941年6月にドイツ軍がソ連に進攻すると、親衛隊は直ちにいわゆる出撃部隊Einsatztruppenを東部戦線に送り出し、彼らは行く先々でユダヤ人を狩り立ててまとめて銃殺した。そして42年1月にはベルリン近郊で悪名高いヴァンゼー会議が開かれ、個々人をユダヤ人と認定するための血統上の基準が決められた。これによって毒ガスによる殺害をふくむ”ユダヤ人問題の最終的解決”が軌道に乗ることになった(この会議にヒトラーは出席していない)。銃殺がガス室に替わったのは、東部戦線で出撃部隊の仕事ぶりを見学した親衛隊長官ヒムラーの気分が悪くなったせいとも言われている。
 ナチ・ドイツにとって英仏に対する戦争は、前の大戦の勝者に対する報復にすぎなかった。だが独ソ戦においては、ソ連というイデオロギー国家を敵とする以上、ナチもそれなりのイデオロギー戦争をやる必要があった。おそらくこれが、独ソ戦と共にユダヤ人虐殺が始まる理由である。そしてヴァンゼー会議の日付にも注目しなければならない。独ソ開戦当初ヒトラーはソ連を侮り戦争は一ヶ月で片がつくと思っていたが、この時までにドイツ軍はソ連軍の手強い反撃にあい、さらに前年12月には日本の真珠湾攻撃と同時にドイツはアメリカにも宣戦していた。米ソ両国を相手にドイツが死にものぐるいの決戦体制を敷かざるをえなくなったときに、ヴァンゼー会議は開かれたのである。これ以後ドイツは、親衛隊が国家の主要部門を一手に握る親衛隊国家になっていく。そしてナチ・ドイツの中でもこの組織だけは、「わが闘争」におけるヒトラーの教義を総力をあげて実行に移す必要があった。そうしてのみ、第三帝国の他の組織との競争で勝ち取った地位と特権を守り、別格の存在としての威信を亨受することができたからである。それゆえにホロコーストは、ナチ・ドイツが独ソ戦をつうじて親衛隊国家に変容していく過程で生じたことと捉える必要がある。
 そしてこの点で、ホロコーストを扱った文献や映画の多くには少し問題がある。例えば映画「シンドラーのリスト」を見た人の多くは、登場するドイツ人が殆ど親衛隊関係者であることに気づかず、「ドイツ人はひどいことをする」とだけ思ってしまうのではなかろうか。もちろんナチを政権につけユダヤ人の迫害を黙認したドイツ国民の責任は問われねばならない。しかし親衛隊という組織の特異性をぬきにしてホロコーストを論ずることはできない。そして改めて親衛隊にピントを合わせてみると、ドイツ人をけなしているだけでは見えてこない問いが浮上してくるのである。例えば、親衛隊トップのヒムラーもハイドリッヒもサディストどころか、中産階級の恵まれた家庭で育った教養のある人物だった。そんな人物がなぜホロコーストの首謀者になりえたのか?これはきわめてしんどい、そして二十一世紀にもずっと後をひきそうな問題ではないだろうか。

                 (次回は「ヒトラーとレーニン」)

     
 
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