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二十世紀の謎
ホロコーストはなぜ起きたか(全四回)
 
 
第二回 ヒトラーとレーニン
 

 南京大虐殺や従軍慰安婦をめぐる日本国内の論争に似たような論争が、80年代以来欧米でも起きている。いわゆるホロコースト修正主義をめぐる論争がそれで、修正主義者は重箱の隅をつつくような"検証"に基づいて「ナチスがユダヤ人を迫害したのは事実だが、ガス室は実在しなかった。毒ガスのチクロンBによる殺害は終戦直後の混乱が生んだ錯覚やデマの産物」と主張する。日本でも欧米の事情にうとかった文芸春秋社の雑誌「マルコポーロ」が、安易にこの手の議論を掲載したおかげで欧米世論の抗議にあい廃刊に追いこまれた。
 しかし私には、この議論の真偽以前に、なぜ修正主義者がガス室の問題に偏執狂的にこだわるのかが分からない。万々が一、ガス室は存在しなかったとしよう。それでもナチス支配下でドイツ、東欧、ウクライナのユダヤ系人口がほとんど消滅したという事実に変りはない。歴史家がこだわるべきは、この厳然たる事実がもつ意味である。ナチスや皇軍の名誉回復につながるだけの「歴史の再検証」は、タブーへの勇気ある挑戦などというものではなく、品性下劣なあげ足とりにすぎない。
 修正主義が生まれる背景には、欧米に根強い反ユダヤの感情があるようだ。しかも最近は、ユダヤ人の中からもホロコーストを相対化する発言が出てきている。あるユダヤ系のアメリカの作家は「ホロコースト産業」という本を書き、ホロコーストは今や一大商売ネタになっていると論じた。またイスラエルでは、常日ごろ主流の東欧系ユダヤ人(アシュケナジー)に比して二級市民として扱われているという不満がある北アフリカ系ユダヤ人(ミズラヒ)の中から、「ホロコーストで殺された連中は前世の悪業の報いを受けたのだ」と説くラビも現れた。何かといえば「ホロコーストの被害者」をカサに着る東欧系が気にくわないのである。
 思うに、こうした議論が出てくる最大の原因は、ホロコーストが比較を絶した事件、孤立した異常な出来事と捉えられていることにあるのではないか。恐怖とショックがホロコーストを神話化しているといえないか。そして世間一般のそうしたイメージや印象に巧みに乗って作られたのが例の「シンドラーのリスト」である。要するにあの映画はナチスを「ジョーズ」のホオジロザメのような存在として描いたもので、ユダヤ系のスピルバーグも所詮ハリウッドの興行師にすぎないことがよく分かる駄作である。この映画監督はホロコーストを人間の理解を越えたスキャンダルとして描き出し、修正主義者はそんなスキャンダルは作り話だという。
 しかしホロコーストは、突出した異常な出来事ではなかった。大虐殺もやはり、明確な歴史の連関の中で起きたことだった。そしてホロコーストをはじめとするナチスの全体主義と暴力には歴史的な先例があったことを証言しているのは、ほかならぬヒトラー本人である。彼は「わが闘争」の中で「私はボルシェヴィズムから最も多く学んだ」と公言している。まさしくナチスはボルシェヴィキの赤色テロルに多くを学びその戦略戦術を模倣した点で、ヨーロッパの伝統的な右翼とは区別される。
 ボルシェヴィキは十月革命と称するクーデターで政権を奪取すると、すぐさま反対党を一掃し、チェカ(反革命取締非常委員会、後のG・P・UおよびK・G・Bの前身)を設立した。このことが示すように、彼らは初めからテロルとしての政治を行った。政権奪取にひき続く内戦は彼らにとっては、強いられた不幸な非常事態というより、敵を抹殺する絶好の機会だった。そして内戦がボルシェヴィキ独裁の地盤を固めた。
 労働者のストや民衆のデモの成果ではなく世界大戦と内戦の落とし子だった点で、ボルシェヴィズムとナチズムはよく似ている。ナチ党もその起源は、第一次大戦におけるドイツの敗北と敗戦直後の内戦状態にあった。しかしテロルとしての政治は、こうした状態が偶然に生んだものではなく、ボルシェヴィキの指導者レーニンの狂信的な信念の産物だったといえる。特定の社会層を人類の敵と規定し彼らを抹殺することをもって革命的な政治とする----そうした虐殺型の政治を創始したのはレーニンなのである。彼の敵は”冨農”や”ブルジョア”だった。このレーニンという御手本なしには、ナチスのホロコーストもなかったろう。
 ホロコーストが孤立した異常な出来事に見えるのは、このレーニンとヒトラーをつなぐ歴史的な連関が明確に認識されていないせいである。ボルシェヴィズムとナチズムの類似点については、すでにハンナ・アレントが「全体主義の起源」の中で言及している。しかし彼女の思想家としての直感的な発言を別にすれば、奇妙なことにレーニンがヒトラーに及ぼした影響を資料や証言に基づいて徹底的に調べあげた決定的な研究書といったものは、いまだに存在しない。ガス室の有無などよりこちらのほうがよほど重要な研究課題と思えるのだが。
 ところで中央公論社の「世界の名著」シリーズには「レーニン」の巻があるが、もちろんヒトラーの「わが闘争」はこのシリーズには入っていない。現代人のこうした無意識なレーニンびいきも、ホロコーストが謎になってしまう一因である。
ヒトラーの人種概念は非科学的だがレーニンの階級概念は「科学的」だとか、ヒトラーは極悪人だがレーニンは間違いを犯したとしても善意の人間だったといった見方は、相変わらず根強い。もちろん私も階級の存在を否定しない。それどころか現代社会の根本問題は「持つ者による持たざる者の支配」にあると考えている。このことは、このサイトの別のコーナーで紹介されている私の訳書H・ベロック著「奴隷の国家」に付した私の解説を読んで頂ければ分かることだ。しかし階級支配の現実を的確に認識し、それを克服する方途を考察することと、「階級闘争は一切の歴史の謎を解く鍵」であり「階級なき社会において人類は必然の領域から自由の領域に飛躍する」と信ずることは全く別の事柄である。後者は社会の批判的分折には何の関係もないドグマであり狂った千年王国論である。そしてテロルとしての政治は、ひとえにこうした狂った千年王国論によって正当化され、テロルは人類救済のために積極的にやるべき正義の行為とされてしまう。「汝殺すなかれ」はボルシェヴィキやナチのような新人類が登場する以前の旧人類の倫理にされてしまう。
 もちろんホロコーストが起きた理由をヒトラーからレーニンに遡ったところで、それですべてが解明された訳ではない。今度はボルシェヴィズムとは何だったのかが問題になる。そして我々は、レーニンの精神を形成した十九世紀ヨーロッパの思想と社会から、さらにはフランス革命のさ中の「美徳にはテロルが、テロルには美徳が必要」というジャコバン派のロベスピエールの言葉にまで歴史の糸をたぐっていくことになるだろう。その場合も、歴史の解釈はさまざまだろう。しかしヒトラーとレーニンをつなげることで、少なくともホロコーストは明確な歴史の連関の中に置かれて孤立した異常な出来事ではなくなり、改めて我々がその歴史的な意味について考えることが可能になってくる。テロルは、そうした考える能力を人間から奪う。我々が恐怖とショックに打ちのめされてホロコーストについて考えることが不可能になっていたことこそ、戦後の世界におけるヒトラーの亡霊の勝利だったといえそうである。
 それにしても二十世紀という時代には、近眼と虫歯の人間を人類の敵と規定してその絶滅をはかる政治家が出てきてもおかしくはなかった。そんなことが起きなかったのは、近眼と虫歯の人間が多すぎたせいにすぎない。

 (次回は「"社会的なるもの"というカテゴリー」)

   
 
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