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  2001年9月11日の世界 (その一)  
     
 1979年のイラン革命以来、世界はイスラムに振り回されている感がある。同じ年のソ連軍のアフガニスタン侵攻も、旧ソ連邦内でイスラム系の人口が急増しつつあることが政治的不安定の要因になりかねないというクレムリンの不安が原因だった。そしてこれにイラン=イラク戦争、湾岸戦争、イスラム教徒のアルバニア人がからんだユーゴ空爆がつづき、さらに今度の同時多発テロである。
 こうしたイスラム世界の激動の背景には、世界的にも突出した人口の増大と長年の社会の停滞ゆえの近代化の困難さがある。この状況は、たとえ大学を出ても職のない若者の大群を生み、彼等は政治的に過激化してやりどころのない怒りとエネルギーをぶちまける。ボルシェヴィキ革命前夜のロシアも丁度こんな状況だった。とにかく1980年代以来、現代世界はイスラムという要素ぬきでは理解できなくなっているのだが、我々にはまだその準備ができていない。
 ところで今度のテロをひときわ不気味なものにしているのは、実行犯たちが沈黙したまま自爆し、犯行声明のようなものを一切残していないことだろう。そして注目されるのは、彼等がみな大学教育を受け海外での留学や生活の体験も豊富な近代的エリートであることだ。無知蒙昧な文盲の狂信者などではない。そして19人の犯人のうち12人までがアラブ世界の中心サウジアラビアの出身である。
 テロという言葉はラテン語の「恐れさせるTERRERE」に由来する。テロの目的はショック効果である。この世に不正や苦難があるのにそれが世に知られていない場合、なにか兇行に訴えればビラを渡しても読まない人々があわてて振り向いてくれる。そうした「行為による宣伝」という意味では、アメリカ中をパニックに陥れた今度のテロは大成功だったことになるだろう。だが私見では、このテロにそうした「弱者が切れた」という要素は全くない。犯行声明がないのは、テロの意味を改めて説明する必要がなかったからである。おそらく犯人たちにはアメリカ人の反応の仕方など、どうでもよかったし、何かを国際世論にアピールしようという気もなかった。彼等の狙いはあくまで、空前のテロがテレビで現場中継され、アメリカンパワーの象徴が砕け散る様をイスラム世界の民衆に見せ、民衆に自己の力を確信させ奮い立たせることにあった。もうひとつ、アメリカを挑発して中東諸国の腐敗した支配層をアメリカと民衆の間の板挟み状態に追いやることも、テロの戦略的な狙いだった可能性はある。ともあれ、あのテロは「決起せよ!」という呼び掛けだったといえる。
 そしてこのプロパガンダのためには、犯人たちは数千人の人間をテロの巻き添えにしても平気だった。アメリカは我々アラブ人を人間扱いしてこなかった。だから我々もアメリカ人をテロの小道具に使うのだ−−というのが彼等の答えだろう。国際正義とか国際世論の力といったものを一切信じないこの態度は、コーランにもアラブ文化にも関係がない。こうした態度は、久しい前からアメリカが世界中に広めてきたものである。

 本来なら、今度のテロは国連が国際法に基づいて対処すべきものだった。そしてどのみち究極的には、国連以外にテロの問題を包括的に解決できる組織はない。しかしながら今や国連は政治的には死んだも同然である。その人道的活動は別として、国際紛争解決のための組織としての国連は、かってなく無力化している。東西冷戦の期間も国連の力は弱かったが、冷戦終結後に国連は一層無力化している。これはなぜだろうか。実は、その理由ははっきりしている。国連の意義と存立基盤をゆるがすような紛争が、半世紀以上も事態が悪化するままに放置されてきたからである。国連の存立という観点からすれば、イスラエル=パレスチナ紛争はたんなる局地紛争とはいえない。
 第二次大戦後に国際社会は、日独の侵略戦争の事例を踏まえて、既定の国境の変更を一切許さないことを国際政治の原則にした。つまりこれ以後領土の拡張や新国家の創設はできなくなった訳である。だから戦後には、バングラデシュや旧ソ連が分解してできたその継承国家など既存の国家から分離独立した国はあっても、無から生じた新しい国はない。ところが、この原則に反して戦後に建国された国が一つある。シオニズムが産み落した国イスラエルである。
 シオニズムは、ユダヤ教には全く関係がない。その創始者のテオドル.ヘルツルは啓蒙主義的、社会主義的なジャーナリストで、彼は自由と平等の国である筈のフランスでドレフュス事件にみられたような悪質な反ユダヤ主義が台頭する様を見て、ユダヤ人も国家を持つ必要があると考えた。しかしイスラエルの建国を加速化させたのは、シオニズムの影響というより、ホロコーストを体験したヨーロッパのユダヤ人の恐怖と絶望である。世界のどの国もナチのユダヤ人迫害に抗議せず、それどころか難民としての受け入れさえ渋ることを知ったユダヤ人は、自分たちが世界から見捨てられていることを痛感した。そんな彼等がイスラエルの建国に生存の保障を求めたことは、無理もないかもしれない。しかし彼等は、パレスチナを現地アラブ人とユダヤ人の居住地に分割する1947年の国連決議をはみ出すようなことをやった。彼等はできるだけ均質なユダヤ人国家を作ろうとし、その結果、アラブ人は二十世紀でも有数の局地的な民族浄化の対象になったのである。
 かってのユダヤ人は、ユダヤ系のOO人やXX人であることに満足していて、均質な「ユダヤ人」が存在するとは考えなかった。にもかかわらずそうした「ユダヤ人」が存在すると主張してユダヤ系の人々を迫害と虐殺の対象にしたのはナチスである。その点で、均質なユダヤ人国家というイスラエルの発想はナチの影響を受けたものとしか思えない。この発想のゆえにイスラエルは事実上軍事占領によって成立する国になり、その後のアラブ諸国との戦争に勝って占領地を拡大して今日に至っている。建国の動機はまるで違うが、その有り様はかって日本が満州国を作り、そのために中国との泥沼の戦争に陥った経過を思い出させる。そして軍事占領によって存立している国であるだけに、このイスラエルほど国連決議や国際法に対する違反を重ねてきた国はない。
 アメリカは英国と共に「大西洋憲章」の理想を掲げて第二次大戦を戦い、戦後は国連、IMF、世界銀行の創設を主導して、公正で平和な国際秩序をつくり出そうとした。だが同時にアメリカはこのイスラエルの建国を後押しすることで、国際秩序破壊の種を播いてしまったのである。私はユダヤ人だけを非難しているのではない。それにユダヤ人の中にも高名なラビやマルティン.ブーバー、アインシュタインなどこの建国に批判的な人々も少なくなかった。問題は、ナチに勝った欧米諸国がユダヤ人問題という臭いものにフタをしたことなのだ。反ユダヤ主義はナチの産物とされ、問題解決のツケは何の責任もないアラブ世界に回された。思うに、イスラエル建国の代わりに国連がユダヤ人を実力で保護するとか国際法に特別にユダヤ人条項を設けるといった解決策もありえたろう。パレスチナ紛争は、欧米諸国がユダヤ人問題を本気で解決しようとしなかったために生じたのである。
 そしてもしもイスラエルの建国が止むを得ないことだったとしても、それを後押ししたアメリカには少なくともパレスチナ人に対して公正な紛争の解決に努める道義的責任がある筈だ。ところがアメリカは一貫してイスラエルのパトロンとして振舞い、同国を非難する国連決議を安保理常任理事国として葬り去ってきた。このようにアラブ.イスラム世界は、他所ものが入り込んで国を作ってもいい無人地帯であるかのように扱われた。今日オサマ.ビンラディンらはパレスチナ紛争を自らの野望の口実にしているとされる。そうなのかもしれない。しかしパレスチナ問題がイスラム世界全体の無力感と屈辱感を要約していることは否定できない。そしてこの問題をめぐるイスラム社会の怒りはコーランには関係なく、人間なら当然の怒りといえる。国際的な不正という問題を”文明の衝突”にすり替えてはならない。
 9月11日の事件は、国際秩序をいずれは腐食解体させるであろう紛争の解決をアメリカが怠り、解決を妨害さえしてきたことの一つの帰結だった。そして今や全世界がガザ地区やヨルダン川西岸になってしまった。グローバリゼーションどころではない。国際秩序といえるようなものは、崩壊寸前の状態にある。そしてテロに対するアメリカの反応は、アメリカが国際イスラム戦線そこのけで国際秩序破壊の動きの先頭に立っていることを示している。この点でアメリカのアフガン攻撃は、レーガン政権以来の国際法無視や国連蔑視、国際協定離脱というアメリカ中心主義の延長線上にある。アメリカの対応はカシミール紛争その他の活断層を揺り動かし、世界は大混乱に向かっている。

 冷戦が終わった以上、日本はもう”西側の一員”ではないし、日米軍事同盟の意義も不明である。この不透明な状況の中で起きた今度のテロは、冷戦後もこの同盟を続けていることの危険さを浮き彫りにした。今のアメリカは海外からの資本の流入で食っている国である。アフガン攻撃も、テロに対し強い態度をとらないと外国の投資家に逃げられてしまうからだろう。こんな国にくっついているのは、安全保障どころか日本の破滅である。自国の安全だけを利己的に考えろというのではない。現在のアメリカとの同盟は、アメリカによる国際秩序破壊の動きに加わることを意味する。日本のとるべき途は、安保を廃棄して中立国になり、北欧諸国などと共に国連と国際法の復権と発展に努めることである。日本は国連の力なしには生き延びられない国である。そして国際テロの問題自体も、国連に刑事部門を設けるといった方向でしか解決されえないだろう。最後に強調しておきたいのは、国連主導で国際社会が早急に「テロ」の明確な定義をすることの必要性である。そうした定義の欠如が、国際秩序を崩壊させる原因になりつつあるからである。次回は、今度のテロをめぐり、近代世界における宗教と政治の関係について十六世紀のヨーロッパに遡って考えてみたい。

     
 
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