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  2002年の日本に未来はあるか  
     
 新年を迎えた世界は、昨年九月の同時多発テロの次には何が来るのかという不安に包まれている。しかし昨年末のアルゼンチンの国家的破産もテロにまさるとも劣らない不安要因ではなかろうか。二十世紀の前半には世界の七大富裕国の一つといわれたタンゴとガウチョの国が、中産階級が食事にこと欠くような破局に陥ったのである。アルゼンチンというそれなりに身綺麗に暮らしていた中流家庭は、1970年代以来IMFや国際金融資本というサラ金の誘いにのったばかりに一家離散の憂き目を見ることになった。中南米ではもっとも先進国に近いこの国の破産は、いかに今日の世界経済が不安定になっているかをまざまざと示している。日本の生産能力、外貨準備高、国民総貯蓄はアルゼンチンとは比較にならないとはいえ、日本人も大船に乗っている訳ではなく、むしろ日本経済の規模の大きさ自身がとてつもない不安定要因になりうる。明日は我が身でない保証はどこにもない。

 原理的にいえば、世界経済の危機の根本原因は、やはり資本主義にある。では資本主義のどこが問題なのか。(1)資本主義が発達すればするほど、資本は空気のように誰にも必要なものになってくる。自給自足の生活は大昔の話で、今や資本なしには日常の生活もやっていけない。ところが資本=空気は商品化されていて、空気を買えない貧乏人は窒息死して下さいということになっている。つまり利子がつくことによって資本は商品化されている。この利子というものがあるから銀行業が成立し、銀行があるからインフレやデフレが起きる。少しでも現代経済の在り方を先入見なしに調べてみれば、要するにこの世に銀行なるものが存在することが諸悪の根源であることが分かるだろう(ちなみにブッシュ米大統領のお膝元のテキサス州は二十世紀の初めまで銀行業を不道徳な商売として禁止していた)。

 (2)資本主義のもう一つの問題点は、極少数者が生産手段を所有していて、膨大な多数者は彼等に雇われて資本家に生計を左右された状態で働くしかなく、経済の運営に対する発言権を全く持っていないことである。だから資本家は被雇用者をたんなる資源や手段として扱い、経済は民主制ではなく寡頭制の原則で動く。その結果、ごく一部の人間が引き起こしたバブルのツケが国民全体に回され、税金による銀行救済やら情け容赦ないリストラということになる。資本主義の問題は、私有財産制にあるのではない。問題は私有財産制がタテマエにすぎず、大多数の人々が無産者であり、また資本を持つ少数者の影響力が必ず寡頭制の支配体制にいきつくことにある。

 この(1)(2)の大問題は、もちろん二三年先に革命を起こして解決という訳にはいかない。しかしこうした問題の重みが多少とも軽減されることなしには、今の日本と世界全体の経済的に進退極まった状況が打開されることなど全くありえない。目下の内外の経済危機は、資本主義の本質と限界に由来する危機だからである。政府、マスコミ、学者がデマや妄想をまき散らしているだけに、原理的な視点を見失わないことがなおさら肝心である。

 だが原理もいいが、現実にはどうしたらいいのか。そこでこの新年のコラムでは二つの論点を提起しておきたい。まず第一に、底しれぬデフレの形をとっている今の日本の窮境は、たんなる経済の問題ではない。官僚や経済学者はどこかに「純粋経済」があってそれを機械のようにあの手この手で調整すればいいという議論をするが、もちろんレンチやオイルで直る経済など存在しない。戦後日本を振り返っても、敗戦と復興、朝鮮戦争の特需、共産圏を排除した部分講和と日本を反共の防波堤にしたいアメリカの思惑が生んだ対米輸出ドライブと国内土建政治といった生臭い政治なしに戦後の経済はありえなかった。ゆえに日本経済の苦境は、戦後日本の国柄(ナショナル.アイデンティティ)の行き詰まりにほかならない。昨今のデフレが意味しているのは、通貨ではなく、国そのものの収縮なのである。

 世界の中でも、日本ほど冷戦から漁夫の利を得てきた国はない。だが今や、冷戦期のアメリカべったりのポジションが、完全に裏目に出ている。日米安保のお蔭で日本は安全地帯にいたまま輸出で荒稼ぎ出来、それは長らく一ドル360円という有利な円ドルレートにも助けられた。しかしテロとアフガン以後、日本は目を血走らせたアメリカに一蓮托生を強いられている。そしてニクソンのドルショック以降、日本人は絶えずドルに振り回されてきた。バブルも元はといえば、アメリカがドル高を演出し日本その他からの資本の流入を維持しようとしたプラザ合意のとんだ副産物である。不況の長期的要因も、企業が輸出で儲けた金を労働者に分配せずドルでアメリカの債券を買ってきたことにある。そして身勝手なアメリカがいずれ日本に対し債務不履行を宣言して借金をチャラにする可能性は今でも小さくない。

 こんな状況下で政治や外交をカッコに入れた「純粋経済」論にかまけ、ケインズ的需要喚起でいくかシュンペーター的構造改革でいくかなどと議論しているのは、ナンセンス極まりない。国柄自体に問題があるのだから、どちらの政策も機能せず、破滅へのシナリオが違ってくるだけである。そこで第二の論点だが、現状を打開するには日本の国柄自体を全面的に変えるしかない。アメリカから自立しアジア経済圏を創造する方向で未来を切り開くしかないのだ。日本人の巨額の国民総貯蓄は、銀行の危機のせいで経済にとっての破壊的要因に転化している。この貯蓄は、ドルに対抗して東アジアおよび東南アジア地域に共通の通貨と貿易の秩序をつくり出すための基金として生産的に使われるべきである。それ以外にこの貯蓄にどんな使い道があるというのか。それともアメリカ様に楯突くくらいなら調整インフレで国民の貯蓄を紙屑に致しますという自民党に国を任せておくのか。

 もちろんアジアにEUのような共同市場が一朝一夕に生まれはしないし、それは「円圏」でいいのかという問題もある。極貧国に対してマーシャルプラン型の出世払いの融資も必要だろう。そして一番の障害は、日本のそうした動きはアジア諸国に大東亜共栄圏の悪夢を思い出させてしまうことだ。戦争責任を曖昧にし天皇制を温存してきたことは、こうしてこの国の未来に向かう選択肢を奪う結果をもたらしている。アジア共同市場への道は平坦ではなく、アジア各国の歴史や国情の大きな違い、中国の近未来が不透明であることなどリスクも少なくない。しかしだからといって座して死を待つべきなのであろうか。今の日本はタイタニック号の船上でパーティーをやっている船客みたいなもので、どのみち破滅は避けられない。それならリスクを覚悟で起死回生の方向転換をすべきではないか。そしてアジア共同市場が少しづつでも軌道に乗れば、ハイテク製品中心のアメリカ市場と異なり、地方の中小企業や地場産業にも輸出の道が開けるのである。

 それにしても、この国には安保とドルからの脱却を唱える”反米愛国”の有力な野党が一つもないのだから、日本は事実上の一党独裁国である。私は先日あるオランダの雑誌に「日本は末期のソ連を思わせる自壊に向かっている」と書いたのだが、この評価は甘過ぎた。腐敗した支配層がアメリカと癒着して輸出で稼いだドルにしがみつき、国内は米軍の基地だらけという点で、日本はサウジアラビアにそっくりな国である。


     
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