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  イスラエルという国  
     
 冷戦が終わった世界は、やはり次第に平和になってきている。例えばシェラレオネ、アンゴラ、スリランカで慢性病にように続いていた内戦がついに終わった。その中で冷戦期のツケが今になって回ってきたアメリカだけが、かってのCIAの盟友オサマ.ビンラディンやサダム.フセインとの拡大する戦争に世界を巻き込んでいる。そしてこのアメリカの動きに煽られた形で今や最悪の泥沼化とエスカレーションに向かいつつあるのが、イスラエルーパレスチナ紛争である。

 しかしこの紛争は日本人にはきわめて分かりにくいものだ。そして日本のマスメディアも親切な解説をしていない。そこでまず二、三の基本的な事実をおさえておきたい。第一に、ユダヤ人すなわちイスラエルではない。イスラエルに住んでいるのは全世界のユダヤ人の一部にすぎず、そのうえこの国に反感をもっているユダヤ人もいる。第二に、シオニズムというイスラエル建国のイデオロギーは、ユダヤ教とは何の関係もない。第三に、イスラエルの誕生とホロコーストの悲劇の間に直接の関係はない。

 シオニズムの生みの親は、社会主義の影響を受けた二十世紀初めのユダヤ系オーストリア人のジャーナリスト、テオドル.ヘルツルである。彼はフランスのドレフュス事件で表面化した反ユダヤ主義の台頭を目の当たりにして、ユダヤ人にも国家が必要と信じるようになった。ただし彼はその国家の場所はどこでも良いと考え、ウガンダに土地を提供するという英国の提案を真面目に検討した。ところが彼のこの態度は他のシオニストの激しい反発を買い、それが彼の死期を早めたとも言われている。しかしこれは、まるで筋の通らない反発である。ユダヤ人の国はパレスチナ以外にありえないという主張は、旧約聖書(ユダヤ教ではタナクと呼ぶ)に基づく。しかしユダヤ教では、神の測り知れぬ思し召しによってのみいつかはディアスポラのユダヤ人は約束の地に帰還できるとされているのであり、武器を持ってパレスチナに押しかけ既に住みついている人々を追い出すなどということは、どう見ても聖書の精神に反する。

 だからシオニストは、かって日本帝国が「日本書紀」の記述を使って韓国の植民地化を正当化したように、聖書を政治的に利用したのだと言えよう。しかも十九世紀末に生まれたシオニズムは、人種主義や生存競争を強調する社会ダーウィニズムなど、この時代の反動的な思想にも影響された。そのせいでシオニズムにはナチズムに似たところがある。それはナチスと同じく人種的人間的類型としての「ユダヤ人一般」が存在するとみなした。パレスチナにおける国家建設を正当化する根拠も一種の”血と土”のイデオロギーである。そして「ユダヤ人は他の民族と平和に共存できない」という信念も、シオニストとナチスに共通する。考え方が似ているせいかこの両者はウマがあい、ヒトラー政権の初期には、ユダヤ人をドイツから追い出したいナチスと現地のアラブ人に対抗するために少しでも多くのユダヤ系を受け入れたいシオニストの間に密接な協力関係が成立した。ナチ親衛隊の高官が、パレスチナのユダヤ人入植地を長期にわたり視察したという記録も残っている。そして戦後の世界でシオニストの主張に見かけの上で説得力を与えたのはホロコーストの惨劇なのだから、イスラエルという国はシオニストとナチスの合作によって生まれたとも言える。

 このコラムで以前に書いたことだが、国際社会は第二次大戦の苦い教訓から、戦後の世界では一方的な国境の変更や新国家の建設を一切許さないことにした。ところが国連はアメリカの圧力の下で、イスラエルの建国という日本の満州国の戦後版のようなものを例外的に認めてしまったのである。そして最近になって他ならぬイスラエルの若手歴史家たちの仕事により、この建国が血塗られた民族浄化を伴うものであったことが明らかにされてきている。かねてからイスラエルは、パレスチナ人が難民化したのは「一旦国外に退去してアラブ諸国の軍事的勝利を待て」というアラブ諸国の呼びかけに彼等が応じたせいで、自業自得なのだと主張してきた。だが実際には、パレスチナ人が怯えて家や土地を捨てて逃げ出すようデイル.ヤッシンその他の村で見せしめ的な民族浄化の虐殺が行われ、しかもイルグーン団などの過激派だけがそうした兇行に関わったのではないようである。

 しかしパレスチナに乗り込んだシオニストは、大きな誤算をした。彼等は世界で最も多くのユダヤ人が住むアメリカから近代的エリートが続々とイスラエルに移住してくると期待していたのだが、アメリカからの移住は殆どなかった。そこで彼等は、東欧系の難民化した人々、さらにはイエメンやエチオピアその他のアラブ系、アフリカ系のユダヤ人を受け入れてイスラエルの人口を補充せざるをえなくなった。聖書のエレッツ.イスラエルは現実には、世界各地の食いつめたユダヤ系の吹きだまりと化したのである。そしてユダヤ人を放り出すための掃きだめが中東の一角に用意されたことを内心歓迎する国も少なくなかった。

 こうしてイスラエルは、東西対立や南北格差など戦後世界の矛盾や歪みが集中的に表現される場所となってしまった。なかでも無惨なのは、シオニストが信じたような「ユダヤ人一般」など存在しないことが、国内のユダヤ系同士の間に広まった差別と偏見によって証明されたことである。世界の現状を反映して、西欧系、東欧系、ロシア系、アラブ系、アフリカ系という序列が生じ、同じアフリカ系でも南アフリカの白いユダヤ人は別格だった。そしてアラブ系アフリカ系の黒いユダヤ人は底辺の労働に従事する二級市民として扱われた。この民族的階級的差別は政治的対立につながり、アメリカ南部のプア.ホワイトのような立場にある黒いユダヤ人は、東欧系が主流の労働党に対する反感からパレスチナ人を敵視し蔑視する右派政党リクードを支持するようになった。またソ連崩壊後はロシアからの移民が急増し、英誌ニューステーツマンによれば今やイスラエルの人口の六分の一がロシア系で、町中ではヘブライ語と並んでロシア語がよく聞かれるそうである。そうした移民の中には役所に賄賂を使ってユダヤ系の証明書を偽造してもらった偽ユダヤ人が少なくないらしいが、彼等もまたロシアにいた時と同様にアラブ人に対する偏見に凝り固まっている。

 イスラエルのタカ派の首相アリエル.シャロンは目下、パレスチナ人の抵抗の意志を圧倒的な軍事力で叩き潰してパレスチナ国家の建設を断念させ、出来れば彼等をまとめてヨルダンに追い払うという民族浄化の政策に走っている。ガザ地区やヨルダン河西岸の現在の有り様はかってのナチスドイツ軍によるワルシャワ.ゲットー包囲戦を想起させるものだが、実際イスラエル軍内には当時のナチスの戦法に学べという声まであるらしい。しかしシャロンの強硬な姿勢の背景には、シオニズムが思想として挫折し、イスラエルが国として空中分解しつつあるという現実がある。ベルギーの法廷に戦争犯罪で告発されているシャロンのような人物が首相になれたのは、もはやパレスチナ人に対する不安と敵意以外にこの国をまとめるものがないからである。

 イスラエル軍の戦車、ガンシップヘリ、ミサイル、戦闘爆撃機に投石で戦っているパレスチナ人には、まるで勝ち目はないように見える。しかしインティファーダは、じわじわとイスラエルの解体を促進している。ロシアから偽ユダヤ系移民は来るかもしれないが、他方でこの国に見切りをつけて去るイスラエル人が増えている。実際、いつ買い物や通勤の途中で自爆テロや銃撃戦に巻き込まれるか分からない国に、誰が住みたいと思うだろうか。政府閣僚でさえ何人かは子弟を欧米の大学に留学させており、彼等がイスラエルに戻ってくる可能性は殆どない。そしてパレスチナ人の方は、不正と迫害の記憶が存在するかぎり何世紀でもインティファーダを続けるだろう。

 イスラエルとパレスチナ人の和平交渉の可能性について、無責任に投げやりなことを語ってはなるまい。しかしイスラエルのおぞましい民族浄化政策の動機が、その国家としての解体の危機に発している以上、両者の共存に向けた和平交渉が進展しうるとは私には思えないのである。おそらく長期的にはこの国は、シオニズムに幻滅しパレスチナ人との争いに疲れ果てユダヤ人同士の不和に耐え難くなった人々が次々に去って行くという形で消滅に向かうだろう。そしてイスラエルという国名は、かって十字軍がこの地に築いたイエルサレム王国と同じように過去のものになるだろう。

 五十年余のイスラエルの歴史の中で、私にはきわめて印象的だったエピソードが一つある。それは、建国後にイスラエル軍を創設した際、ヘブライ語には「服従する」という意味の単語がなかったためにその意味の動詞を軍隊用に造語せねばならなかったというエピソードである。これこそ、まさにユダヤ人ならではの話である。ユダヤ人には軍隊生活は似合わない。そして武力を頼みに国家を作るということもユダヤ人にふさわしい行為とは思えない。思うに、ローマ軍によって亡国の民とされて以来国々を流浪してきたこの民族の苦難と迫害の歴史も、聖書の神の思し召しではなかったか。神はユダヤ人に、他の民族の間でユダヤ系のOO人やXX人として生きるよう定めた。民族は国家を作ろうとする。だがいかなる国家も民族という人々の生ける絆を完全に実現することはなく、その意味で不完全で改変さるべき国家でしかない。民族という作者が国家というその作品と完全に合致することはない。地上の国家のこのような不完全性を神に代わって人類に気づかせ続けること、そこに国家なき民族ユダヤ人の歴史的な使命と栄光があったのではなかろうか。 

     
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