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  宗教再生の時代?  
     
 進歩という神話を信じる時代が終わったことを私が実感したのは今を去る二年前、つまり新しい世紀が始まった時だった。二十一世紀、さらにキリスト教徒にとっては第三のミレニアムの開幕だというのに、新世紀を祝い人類の光り輝く未来を謡いあげる新聞雑誌テレビなどの特集を私はついぞ目にすることがなかった。二十世紀が幕開けした時に、当時の欧米のジャーナリズムがこぞって空中飛行する人間の絵などを使ってバラ色のSF的未来を描き出したのと比べれば、これは何という変わりようだろう。実際、蓋を開けてみれば二十世紀は世界大戦、ジェノサイド、環境破壊その他の空前の災いにみちた世紀だったのだから、幻滅した人類が新世紀の開幕をしらけた表情で迎えたのも理解できる。進歩の神話は消え去ったのである。

 進歩という近代世界に特有のこの神話は、「知は力なり」という言葉で有名な英国の哲学者フランシス.ベーコンの著書「学問の進歩について」に遡る。ベーコンは十八世紀啓蒙主義の源流といえる哲学者で、彼の影響で近代人は「進歩的な科学」と「反動的な宗教」を対立させて考えるようになった。しかし本当のところは、進歩の神話はキリスト教が生んだ親に似ない鬼子なのである。つまり進歩とは、神ならぬ人間を創造者とし、人間の知力による科学技術の発展を宗教的救済にも等しいものと信じる神学まがいの思想といえる。キリスト教独特の創造神や救済史という先行する観念の枠組みがあってこそ、進歩の神話も可能になった。その証拠にジョセフ.ニーダムが名著「中国における技術と文明」で示したように、中国にも近世まではヨーロッパに勝るとも劣らぬ科学技術の発展があったのだが、祖先を崇拝する中国人はそれを「進歩」として捉えることはなかった。かってG.K.チェスタートンは「近代世界は狂ったキリスト教で一杯だ」と言ったことがあるが、進歩の理念はそうした倒錯したキリスト教の最たるものなのである。

 してみれば進歩への信仰という狂ったキリスト教が衰退すると共に、世界各地で昔ながらの信仰に回帰しようとする動きが現れてきても不思議ではない。その点では、ホメイニ師を指導者とするイラン革命が起きた1979年およびカトリック教会との結びつきが深いポーランドの自主管理労組「連帯」がワレサ委員長を先頭にいずれはソ連の崩壊、冷戦の終結につながることになる運動を始めた1980年あたりが、進歩を信じたモダンとそれ以後の進歩に幻滅したポストモダンの時期の境目になるのではなかろうか。 そしてポストモダンの今日、多くの人々がいかに世界の中に自分を位置付けるかに悩み、伝来の宗教に回帰しようとしている。だから近年のイスラム復興をイスラム世界の後進性や無知蒙昧な頑迷さの現れと決めつけることは危険である。イスラムは生活様式と信仰が際立って一体化している宗教であるだけに、ポストモダンな宗教への回帰という世界的な動向をイスラムがもっとも端的かつラディカルに表現することになったと見た方がいいのではなかろうか。

 しかし実を言うとポストモダンな宗教への回帰は、目下のところ最悪の形をとって進行している。問題は欧米のマスメディアが目の仇にするイスラム原理主義だけではない。イスラエルにおいてはシオニズムは思想としてとっくに挫折し、それに代わって台頭したユダヤ教原理主義が旧約聖書時代のイスラエル領土の復元を目指してガザ地区などへのユダヤ人の不法な入植を煽り、パレスチナ紛争を泥沼化させている。アメリカはこうした暴挙を軍事力で後押しするアリエル.シャロンの右派政権を物心両面で支え続けているが、その背景には共和党内で勢力を拡大しているキリスト教原理主義者の存在がある。カシミール紛争は、ますますイスラムとヒンドウ教の双方の原理主義者の争いになってきている。日本では言うまでもなくオウム真理教の事件があったし、最近反政府活動を活発化させている中国の法輪功もやはりカルト的色彩の濃い宗教であり、中国の明るい未来を拓く運動とは思えない。

 古代や中世の宗教のように文明化や社会の教化の役割を果たすどころか、再生した宗教の多くは狂信、孤立、排他性、ナルシシズムと他者への敵意によって特徴づけられ、そこには宗教精神というより現代人の精神構造の暗部が露呈していると言っていい。かっての宗教は個人をより大きな世界へと解放したが、今日のカルト的宗教者は社会環境の囚人であり、彼等の信仰は愛と救いの福音であるどころか、道徳的破産の告白でしかない。カルト的宗教者たちに、進歩の神話に替わるべき新しい信仰などありはしない。むしろ彼等こそ進歩の神話の惨めな最終的産物であり、彼等を見ればどのようなエトスがこの神話を支えてきたのかを改めて知ることができる。すなわち進歩への信仰の根底には殆ど病理的な権力への意志があったことを彼等は身をもって示しているのである。

 宗教への回帰が悪いとは言わない。しかし回帰の仕方が間違っているのだ。古代や中世においては宗教は文明の脊柱だった。相互に見知らぬ人々を家族や地域の狭い絆を越えた永続的で人格的な絆で結びつけたのは宗教であり、その信頼と平和の絆がより広大で多様性に富む共同体の創設を可能にした。そこでは宗教の役割は本質的に政治的なものであり、暴力を基盤とする君主や貴族の政治に対して、宗教は人間の癒しと教化による平和な政治を代表していた。だが例えばヨーロッパでは、こうした意味での宗教による政治は間もなく不可能になってしまった。ルターが開始した宗教改革がカトリックとプロテスタントの凄惨な宗教戦争へと発展する過程で、宗教は平和の担い手どころか好戦的で不寛容な党派精神の別名になってしまったからである。

 そしてこの宗教戦争が原因になって政教分離という近代国家の原則が定められたのだが、この原則は宗教戦争を解決するための弥縫策でしかなく、宗教と政治についての深い考察から生まれたものではなかった。実際、政教分離の原則が想定しているたんなる内面の問題にすぎない宗教やモラルに一切無関係な功利的組織としての国家など、現実にはある筈もない政治的フィクションといえる。しかし十八世紀の啓蒙主義はこの原則を徹底させ、宗教を政治的社会的に無意味なものにしようとした。とくにヴォルテールらフランスの啓蒙主義者はカトリック教会の政治的影響力を一掃しようとして宗教を無知と迷信、偏見と不寛容の源泉と決めつけ、それと同時に政治を決定的に功利的計算の問題に還元してしまった。啓蒙主義の破壊的批判は、宗教という遺産をまるごと否定したために、持続的人格的な社会の絆を創り出すというその最良の要素まで清算してしまい、しかもそれに替わるものを何も生み出さなかった。残された空白を埋めたのが、漠然とした進歩への信仰である。

 今日宗教の再生の形で現れているのは、かって宗教の名で実践され啓蒙主義によって切り捨てられてしまった人間性への訴えかけによる政治、人間の癒しと教化、信頼と安らぎをもたらす政治への希求なのではあるまいか。そして自分の宗教への関心は形を変えた政治的要求であることをうまく理解できない人々が、カルトに足を掬われるのではあるまいか。もちろん例えば現在のイランの神政政治がそんな政治でないことは、民衆の不満が証明している。伝統的宗教をそっくり蘇生させようとすることは、時代錯誤の愚挙でしかない。だが他方でどこの刑務所も服役者で溢れかえっているアメリカの現状を見れば、功利的計算だけで組織された社会がどこに行き着くかがよく分かる。アメリカのような進歩は御免だとイスラム世界の人々が思うのも無理はない。現代は、啓蒙主義者の浅はかで破壊的な宗教批判のツケが回ってきている時代なのである。そして古代や中世の宗教の最良の遺産をいかにして現代にふさわしい形で蘇らせ政治的に継承するかという問いを我々が放置しつづけるかぎり、二十一世紀は宗教だけでなく文化、政治、経済そして社会生活の領域でもカルト的原理主義やナルシシズムの病理が毒草のようにはびこる世紀になるだろう。


     
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