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   天皇制について(最終回)

 私の天皇制論も最終回になったが、これまで読まれてきた方は私の議論が左翼的どころか従来の左翼的天皇制論をまるごと清算するものであることを理解して頂けたのではなかろうか。思えば明治維新という一群の権力亡者のスキャンダラスなクーデターにすぎないものをめぐって講座派と労農派が「絶対主義」か「ブルジョア革命」かなどと首をひねって論じていた時代もあったのだから何とも馬鹿馬鹿しい。しかし大真面目でこうした説が説かれていたことに、日本の左翼が明治以来の近代日本の国家主義、中央集権主義に肯定的であったことが示されている。ただこの国家の看板が「大日本帝国」であり「人民共和国」でないことがけしからんという訳である。それにしても、日本人が歴史的に親しんできた国家モデルは帝政中国のモデルしかないという問題は、劣性遺伝のように左翼にも伝わっていたのではあるまいか。。もしも近代日本が何かの拍子で共産化していたとすれば、その「日本人民共和国」は天皇が党の権威に裏返されただけの国家、北朝鮮そこのけの儒教的スターリン主義国家になっていた筈である。

 そして日本の左翼は凋落したかもしれないが、明治維新の神話は相変わらず健在である。それに相応して新手の国体論もいろいろ再生産されている。なかでも私が問題にしたいのは、一見天皇制を批判的学問的に分析するように見せかけて実は「万邦無比の国体」論を蒸し返している類いの言説である。「日本的権力の中空構造」論なども、その一つだろう。要するに日本人は、明治維新なしには天皇制が議論の対象になることなど初めからあり得なかったという単純な事実に未だに目と耳を塞いでいるのだ。だから私は今後も執拗に「天皇制論は何よりも明治維新論として展開されねばならない」と主張していくつもりである。

 「偉大な明治維新のおかげで日本は近代国家になりました」という神話はこの国では学校教育やらNHKの大河ドラマやらによるマインドコントロールのせいで、殆ど誰も疑わない公理になってしまっている。この公理を鵜呑みにしているかぎり日本人は体制の協賛者であるほかはなく、日本国憲法が自然法や国際法を考慮していないことや、本来なら人権規定があるべきところに象徴天皇制が鎮座しているおかしさにも気付かないままなのである。

 しかし大方の日本人はびっくりするかもしれないが、維新とロシア革命には実は多くの類似点がある。革命前夜のロシア帝国の状況は、敗色の濃い戦争の重圧が帝政権力の解体と政治的大混乱の中で立憲議会の開設をもたらしたという点で、開国による幕藩体制の動揺と解体という維新直前の日本の状況によく似ていた。ロシアでも日本でも、力による政治は討論による政治にとって替わられつつあった。幕府の列候会議や坂本竜馬の二院制議会論に見られるように、当時の日本もそれなりに議会政治に向けて歩を進めており、そうした底流があってこそ明治になってから自由民権運動が開花したのだと言える。

 しかしこうした解体と混乱の時期は、権力奪取の意志を固めた少数派にとっては独断専行的に国家をハイジャックする好機でもある。こうしてレーニンの一派は武装クーデターで国家を乗っ取り独裁政権を作り上げた。このクーデターが後に尤もらしく「十月革命」などと称されたことは明治維新にそっくりだった。そしてソ連の共産党一党独裁に対して、日本では天皇制国家官僚の独裁が生じた。また革命後首都が西欧的なペテルスブルグから内陸のモスクワに移されたことも、日本の公式の首都が京都から「東の京都」を意味する東京に遷都されたことにある程度似ている。事実世界の中でも、ソ連時代の権力の座としてのモスクワほど東京に似ていた都市はなかった。またレーニンの死後スターリンは共産党独裁を「帝国主義勢力による包囲」というプロパガンダで正当化したが、これも何かにつけ外国の脅威を引き合いに出した日本の権力者たちの遣り口にそっくりである。ちなみに昨今の日本では硬直した「官」に柔軟な「民」を対比させる尤もらしい議論が流行っているが、近代日本の官の起源は戊辰戦争における錦の御旗で区別された官軍と賊軍の対立にある。日本では「官」は「民」ではなく「賊」に対置される言葉なのだ。官に逆らう者は賊である。だから日本の官僚は人民に対しあたかも征服者や占領軍のように振る舞うことになる。とにかく日本と旧ソ連にいろいろ似たところがあるのは、どちらも民意ではなく少数者のクーデターによって生まれた国だからである。

 しかしながら十月革命と明治維新の間には、正反対と言っていい違いもある。マルクス主義的な「歴史の科学的法則」への狂信がレーニン一派のクーデターの動機だったが、明治維新はかって関ヶ原で敗者となった西国諸藩の徳川幕府に対する報復、ミニ秀吉たちによる昔ながらの国取り合戦にすぎなかった。それゆえに維新以来、無思想ということが近代日本国家の運命になった。天皇制は、この無思想という近代国家としての致命的な欠陥を隠蔽するためのイチジクの葉でしかない。

 開国直後の日本は「民族NATION」になるという歴史的な課題を突き付けられていた。民族になるとは、第一に身分制社会を清算しそのすべての成員が権利と義務において自由で平等な国家を創設すること、第二に、東アジアの伝統的な華夷秩序を自立した対等な諸民族の世界に転換させるべく対外的に努力することを意味する。一貫して明治の日本に逆らった傑出した開国の思想家中江兆民が論じたことは、この二つに尽きると言っていい。ところが王政復古のクーデターは、この「民族になる」という問いを封殺してしまった。そして国家思想の空白を埋めたのが、先述したようにクーデターの名分の欠如を覆い隠すために神格化された天皇制だったのである。これ以来天皇制は、日本人が民族になることの不可能性を象徴している。そして無思想無原則なるがゆえに日本帝国は、兆民が予測したとおりに、万事にその日暮しの行き当たりばったりで政策を決定し、明確な目標も計画もないままずるずると大陸に進出することになった。

 少し前から、日本の敗戦と占領を「第二の開国」と呼んだ丸山眞男に倣って今の日本はグローバリゼーションなる「第三の開国」を迎えているという議論が目につくようになった。だがこの丸山の近代史観は、根本的に間違っている。幕末期に日本に開国と近代化について真剣に考えていたのは体制の危機に直面した幕府の方であり、薩長は開国を幕府打倒の好機としか見なかった野心に燃えた機会主義者にすぎない。だから「第一の開国」なるものが、初めからありはしないのである。そしてマッカーサーとGHQの占領行政のどこが開国と呼ぶに価しようか。この丸山にくらべれば、天皇制を何とか思想に仕立てあげようとして自滅した三島由紀夫の方がよほど正直である。カレル.ヴァン.ウオルフレンは以前から「日本に国家は存在しない」と主張しているが、とにかく民族国家NATION-STATEとしての日本は生まれていないという意味で、日本は未だに開国していない。

 とはいえ一群の権力亡者によるクーデター以外に存在根拠のない国家が「日本国」という名で存在しているのは何ともおかしい。そんな国は近代国家とは言えない。そこで明治維新の辻褄を合わせて何とか国の存在根拠をでっちあげようとする試みが繰り返し現れる。その代表的なものが、開国前後の日本にはヨーロッパの列強によって植民地化される危険があり、明治維新はこの脅威に対抗して国の独立を守ったのだという神話である。だが当時の列強に日本を植民地化する計画があったという証拠や証言は、これまで一つも発見されていない。何よりも維新の当事者たち自身がそんなことを口にしていないし、五箇条の御誓文にも植民地化の脅威に関わる文言は出てこない。そもそも植民地化の脅威があったなら、勤王と佐幕の内戦などやっておれない筈である。しかし開国前後の日本に植民地化の危険があったという神話は、左翼人種を含めてこの国では殆ど国民的な強迫観念になっている。司馬遼太郎や「新しい歴史教科書をつくる会」を支えているのも、日本帝国の戦争の居直り的な正当化に使われているのも、この神話である。おそらくこれは国粋主義の表れではないだろう。この神話が表現しているのは、近代日本国家には明確な政治思想も存在根拠もないことを薄々感じている人々につきまとう不安感や自信のなさなのである。

 国際社会INTERNATIONAL COMMUNITYというものがありうるとする考え方は、宗教戦争で苦しんだ十七世紀のヨーロッパで誕生した。私はヨーロッパの文明が最良の文明とは全然思わないが、この国際社会という考えだけは世界の他の地域の人間が謙虚にヨーロッパ人から学ぶほかはないものである。しかるに開国が明治維新へと脱線してしまった日本においては、天皇制という衝立によって日本人が国際社会という観念に馴染むことは阻止されてしまった。かってのキリシタン禁令にも比すべきこの精神的鎖国状況は、戦後においても些かも揺らいでいない。そうでなければ世界人権宣言という国際基準に合致しない憲法を後生大事に日本国の神棚に飾ってきた理由の説明がつかないだろう。そして日本人が天皇の名において国際社会という思想を拒絶ないし無視したことは、その後の東アジアに途方もない混乱と悲劇をもたらす原因になった。伝統的な華夷秩序に代わる諸民族の対等な国際秩序をアジアに作り出すという日中韓三国に共通する課題を荷なうことを日本は拒否したのである。憲法改正につながらない天皇制論は無意味であることは、すでに述べた。もう一つ忘れてはならないこと、それはアヘン戦争と太平天国の乱以来東アジアを揺さぶってきた中国中心の華夷秩序およびそれと一体になった儒教的世界観の危機という問題である。近代日本の天皇制は、この危機の副産物として生じた。それゆえに日本の天皇制を廃絶することは、日本の戦争責任なり歴史認識といった問題も含めて中韓両国を思想的政治的に巻き込まざるをえない汎アジア的な課題なのである。  (完)


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