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   アメリカの没落 (その一)

 目下進行中のアメリカによるイラク侵略戦争ほど奇妙な戦争を私は見たことがない。アメリカがこの戦争を計画していることは一年以上前から知られていた。ところがなぜ中東に大混乱をもたらすような戦争をやるのか、その動機が不明確なのである。そこでジャーナリスト、学者、評論家たちが、あれこれと憶測をめぐらすことになった。朝鮮やベトナムでアメリカがやった戦争に、こんな判じ物のような要素はあったろうか。そして論者たちの憶測は、中東の石油利権からブッシュ側近のトロッキストくずれの新保守(ネオコン)の帝国妄想、彼らとイスラエルのリクードとの腐れ縁、さらには元アル中のブッシュのキリスト教原理主義などにわたった。こうした仮説の中では、実は石油利権説は外れである。(その理由は要するに、安価な中東原油を確保するのが目的ならば、戦争より費用がかからずリスクの少ない方策がいろいろあるからだ)。一番もっともらしい見方が外れというのでは、まるで推理小説である。憶測の中では、ネオコンが戦争で中東の政治地図をイスラエルに都合のいいように塗り替えようとしているという説は、かなり説得力がある。共和党が近年の大統領選で民主党に勝つためには、キャスティングヴォートを握るイスラエル.ロビーとキリスト教原理主義者の票がどうしても必要だからである。

 だがそれにしては、戦争のやり方が中途半端である。当初は九月に開戦と見られていたのが、ずるずると何回も延期された。しかも湾岸に動員された米軍の兵力と装備は余りにもお粗末だった。私は開戦前に自分が関係しているメーリングリストで「こんな程度の兵力と装備で首都を占領できる国はトンガぐらいのもの」と書いたのだが、戦争の経過は案の定である。米軍が小兵力だったのは、ラムズフェルド国防長官らブッシュ側近がハイテク兵器の力を過信しイラク軍とフセイン体制を侮っていたからという見方がある。だがそれほどアメリカに自信があったなら、なぜ昨年中にさっさと開戦しないで、戦闘には最悪の砂嵐と酷暑の時期に侵攻したのか。アメリカが昨年来湾岸に軍を集結させたのは、サダム.フセイン追放のクーデターがイラク国内で起きることを期待したブラフ(こけおどし)だったのだと私は見ている。それが不本意で不用意な開戦になったのは、国際的な反戦世論の高まりとフランスその他の有力国の抵抗でブッシュの面子が丸つぶれになる恐れが出てきて、引っ込みがつかなくなったからではなかろうか。

 しかしアメリカの動機に関してどの説が正しいかということは、実は大して重要なことではない。むしろ、戦争の動機が不明であれこれ推測が入り乱れること自体が、この戦争の本質を示しているのである。ある人間が突然意味不明の殺人事件を起こす。そして世間が大騒ぎになり、テレビに精神科医や評論家が出てきて事件の意味や背景についてあれこれと憶測を逞しくする。アメリカの戦争は、この種の異常な事件にそっくりである。こうした事件の犯人は、根拠のない妄想、幻想、強迫観念に取りつかれていることが多い。アメリカの戦争も、その原因は精神病理学的な幻想や誇大妄想である。アメリカに何か国際戦略があって、例えばイスラムや中国を封じ込めるための一環としてイラク戦争をやっている訳ではないのだ。この戦争は、アメリカの内出血である。内出血から生じた精神病理が戦争の最大の原因である。今日のアメリカは現実感覚を完全に喪失して幻想に自閉した国であり、それにふさわしいシュールレアリストたちが政権を動かしている。アメリカはニクソンのドル.ショックあたりから内出血し始め、それが悪化する中で一昨年の同時多発テロを契機に精神障害を併発したのだとも言えよう。

それゆえに今度のイラク戦争は、アメリカの没落をはっきりと示し、それを加速化させるものと言わねばならない。この点で私は歴史学者のエマニュエル.ウオーラーステインおよび作家のノーマン.メイラーと同意見である。そして今後は、アメリカの内出血の原因と経過を的確に分析することが必要になる。いまだにアメリカを指して「残る唯一の超大国」などと言う論者がいるが、彼らはアメリカン.パワーを太鼓もち的に持ち上げることが自分の利益になっている人たちではないだろうか。私は世界最大の債務国を超大国とはみなさない。

 このアメリカの没落のおそらく最大の原因は、グローバリゼーションのパラドックスにある。大戦後のアメリカはブレトン.ウッズ体制の下で全世界にドルを散布しつつ世界経済のグローバル化を推進してきた。そしてソ連の崩壊、中国の開放体制化でグローバリゼーションは地球をくまなく覆う現実になった。だがまさに世界経済のグローバル化がこうして完了したことによって、かってその中心だったアメリカの比類ない地位は相対化されてしまったのである。このことを如実に示したのがイラク問題をめぐる国連安保理での各国の討議であり、その後のアメリカの見るも無惨な孤立である。

 従来アメリカの属国同然だった中南米のメキシコやチリはアメリカに同調せず、負債に苦しむアフリカの極貧国カメルーン、ギニア、アンゴラもアメリカの恫喝や買収工作に屈しなかった。アメリカの援助を蹴ってイラク攻撃の基地になることを拒否したトルコは、イラク侵攻計画に決定的な打撃を与え、アメリカの分家のように思われていた隣国のカナダも戦争に反対した。アメリカの市場や技術が喉から手が出るほど欲しい筈の中国やインドもアメリカにそっぽを向いた。なぜこんなことになったのか。それはグローバリゼーションの結果として、多種多様な経路で資本や商品がどこにでも流れ込んだり出ていったりしているから、アメリカに楯突いてもどの国も経済への影響は殆どないからである。経済制裁下のイラクの原油が非公式な経路で大量にアメリカに入っているのが世界経済の現実なのである。

 アメリカを没落させたもう一つの要因は、冷戦の終結が東側に”勝った”筈のアメリカに与えた打撃である。同時多発テロ以来世界が突如キナ臭くなったため「二十一世紀も大戦争の世紀になるのではないか」と憂慮する人が多い。しかしアメリカの狂暴化をカッコに入れるなら、概して世界は前世紀よりずっと平和になってきている。スリランカや北アイルランドその他では和解や交渉による紛争の解決が実現、冷戦最後の前線の朝鮮半島ではアメリカを差し置いた南北の和解が進行している。そしてカシミール、チェチェンなど残る局地紛争も、戦争という外科手術ではなく、いわば長期の生活改善療法によってしか解決しないものばかりである。また現状のグローバリゼーションが世界経済に深刻な歪みを生んでいることは否定できないにせよ、それが資源争奪のための戦争を無意味にしていることも事実である。アメリカが騒ぎ立てるアル.カイーダのようなイスラム過激派は、実はかっての日独の赤軍派のような孤立し衰退しつつある勢力にすぎない。

 この世界の変化の中でアメリカは浮き上がってしまっている。今のアメリカの頼みの綱は軍事力と金融だが、ソ連崩壊後その巨大な軍事力にはもう使い道がない。外資の流入が支えているその金融は投機中心の虚業であり、しかもイラク戦争でドル暴落の恐れがさらに深まった。大企業の徹底的な多国籍化によるアメリカの国民経済の空洞化、その結果としての貧富の差の極端な拡大などについては今さら言うまでもない。

 アメリカが真に超大国だったのは1950年代のことだった。この時期にはアメリカは経済、テクノロジー、軍事力で比類ない存在であっただけではなく、いわゆるソフトパワーとしての世界的影響力においてもアメリカの世紀を謳歌していた。当時の日本人は、ジャズとハリウッド、電化製品とハイウエーのアメリカに夢を感じたものだ。そして国際政治における冷戦構造とは、旧ソ連がグローバルなアメリカン.パワーのシステムに事実上サブシステムとして組み込まれているような構造のことだった。”ソ連の脅威”がアメリカ人を国民として統合し、軍需を梃子にした経済と技術の発展を可能にしていた。ゆえにソ連と冷戦構造が消滅すれば、アメリカン.パワーのシステムもまた崩れざるをえない。アメリカがこの危機を乗り切れなかったことが、その精神錯乱と狂暴化の原因なのである。

 アメリカはポスト冷戦の新しい国家的ヴィジョンを創造することに失敗し、1950年代の栄光の記憶に閉じこもってしまった。ブッシュ側近のネオコンの「新たなアメリカの世紀」という帝国妄想の正体は、アメリカが比類なき超大国だった時代への郷愁なのである。ついでに言えば、仮想敵国に対する先制攻撃とか国際社会の蔑視というブッシュのアメリカのランボー的行動も、今に始まったことではなく、より目立たない形でアメリカが以前からやってきたことである。没落が加速化したことでアメリカの体質がより露骨に出てきたのだ。

ブッシュ側近のシュールレアリスト一派は兵力不足を指摘する制服組の反対を押しきり、イラクに侵攻した米英軍が市民に解放軍として歓迎されることを前提にして今回の「イラクの自由」作戦を計画したという。彼らは現実と向き合うことを拒否し、パリをドイツ軍から解放した米兵がパリジェンヌのキスと花束に包まれる輝ける昔日の回想に耽り、もはや存在しない幻想の世界を追いかけて恍惚となっていたのだ。従って現在のアメリカの精神病理を私は老人性痴呆症と診断する。

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