せきひろのロゴ ◆◆◆ HOMEに戻る ◆◆◆
このコラムのバックナンバーはこちら


   アメリカの没落 (その二)

 「これがあのアメリカだろうか」とドイツの長老左翼作家ギュンター.グラスは嘆息する。グラスでなくてもブッシュのアメリカにそうした感想を抱く人は多いようだ。「ブッシュではなく民主党のゴアが大統領になっていたらアメリカはこんなファシズムまがいの国にはならなかった筈だ」と信じている人も少なくない。だがこうした反応は、ファシズム対民主主義の戦争という第二次大戦当時のプロパガンダが未だに後を引いているせいではないだろうか。国内の異論や批判をFBI とマスコミの力で封じ込め根拠薄弱な理由でイラクを攻撃するアメリカは、何ら急に変質したのではなく、民主主義の化粧が剥がれて国家としての地がむき出しになっただけなのである。かってGHQによって”民主化”された歴史をもつ日本人は今こそ、このアメリカ国家の体質という問題を己に深く関わる問題として再考しなければならない。

 アメリカ合衆国にも、やはり国家の創世にまつわる政治的神話がある。それによると、アメリカは君主たちの戦争と宗教的迫害に明け暮れる罪深い旧世界ヨーロッパを逃れたピューリタンが作った無垢で自由で道徳的な新世界であり、国の礎石は彼らの「メイフラワー号の誓約」にある。メイフラワ−号のピューリタンたちは、実際には航海の費用を借金奴隷として働いて英国の商人に返済するためにヴァージニア州の植民地に向かっていたのが進路を誤ってプリマスに上陸してしまっただけだし、「誓約」は憲法といえるものではなかったのだが、それはまあいい。だがアメリカは旧世界のしがらみから解放された素晴らしい新世界だという神話は、ひっくり返す必要がある。封建制はヨーロッパ人に身分に伴う義務の形で義務の観念を教え込んだ。そして義務の観念を身につけていたがゆえに、近代のヨーロッパ人は自由と権利について均衡のとれた考え方をすることができた。この点ではアメリカ人が封建制を経験していないことは、その政治文化にとって必ずしもプラスの要素ではない。

 また信仰の自由を求めてピューリタンが新世界に移住したことも、そんなにプラスとして評価すべき出来事ではないかもしれない。ヨーロッパでは信仰の自由が宗教戦争の惨禍をもたらしたことに対する反省が寛容という思想を生み、政教分離の世俗的な主権国家の理念や啓蒙主義がその政治文化を一新することになった。これと比較すると、ニューイングランドのピューリタンは、大西洋を越えて移住してまで独善と狂信に生きる自由に固執したとも言える訳で、この体質は今なお、キリスト教原理主義が大きな政治的影響力を発揮するといった形でアメリカ社会に色濃く残っている。要するに義務の観念の希薄さとピューリタン的な独善性が、アメリカ的な自由の観念に刻印されているのだ。

 しかしアメリカの歴史を理解する上でより重要なことは、アメリカ国家の原型はニューイングランドのピューリタンの入植地ではなく、英国が植民地に王の特許を与えて作った商事会社に見い出せることである。こうした商事会社は有名な東インド会社と同じくミニ国家だった。アメリカの歴史家チャールズ.ビアードによれば、これらの会社は憲章を制定し貨幣の鋳造や税金の徴集を行い裁判所や軍隊をもち、中にはヨーロッパの小国より広い領土を管轄しているものさえあった。そして「ずっと後でアメリカ国家の政府に見い出されるあらゆる本質的な要素は、英国文明をアメリカに植え付けたこの特許植民地商社に現れていた」とビア−ドは述べている。

 そして植民地アメリカで最初に振興したビジネスは、土地投機だった。アメリカの異端の経済史家アルバート.ジェイ.ノックによると、アメリカ独立革命は実はこの土地投機に深い関係があるという。1763年に英本国は、大西洋に注ぐ諸河川の水源地より西にある土地を植民地の人間が取得することを禁止した。ところがワシントンを始め後にアメリカ建国の父となる人々の多くは、地代目当ての土地転がしで財をなした資産家だったのである。もちろんアメリカ革命に際しては、自然法と人民主権の理念に立って「独立宣言」を起草したトマス.ジェファーソンのような理想主義者もいた。しかし「独立宣言」はすぐに空文句として店晒しになり、ノックによれば各州から合衆国憲法を制定するための会議に集まった者のうち、おそらく五分の四は公債の所有者、三分の一は土地投機に関わり一部は金貸し、五分の一は商工業者と船主、そして彼らの多くが法律家でもあった。こうして金権寡頭制国家アメリカが誕生した。

 民主主義の外見だけは残しながら実質ではそれを骨抜きにしてみせたという点では、合衆国憲法は政治的トリックの歴史における一大傑作なのかもしれない。トリックの細部には立ち入らないが、例えば連邦最高裁に別格の権力を与えたことで、大統領に任命され選挙の洗礼を受けないその判事たちが御都合主義的な条文解釈を駆使して議会の動きを無効にしてしまうことが可能になった。ゴアより得票数の少なかったブッシュが大統領になれたのは、この司法とこれも建国の父たちの苦心の産物である選挙人制度のおかげである。ほれ、このとおりブッシュのアメリカでは何ら前代未聞の変質とか異常事態が起きている訳ではない。そしてアメリカ流インチキ民主主義の頂点をなすものは、シボレーとフォードくらいの違いしかないニ大政党が争う議会政治であろう。英国の保守党と労働党の対立ならば、その背景には思想や階級階層の対立がある。だがアメリカのニ大政党制は、人民に対する政治屋の支配を効果的に達成するための八百長じみた仕掛け以上のものではない。

 では独立革命後の十九世紀のアメリカはどうだったろうか。この時代にアメリカ人は先住アメリカ人(いわゆるインディアン)をその居住地から容赦なく駆逐して狭い居留地に追い込み、その土地を奪った。罪深い旧世界ヨーロッパでもこんなことが行われたのは、一千年以上昔のことである。またヨーロッパ諸国はとっくに奴隷貿易を廃止していたのに、アメリカの南部では黒人の奴隷制が経済の原動力になっていた。そして南北戦争は、北部の新しい資本主義の南部の古い資本主義に対する勝利にすぎなかった。しかもこの戦争に際してリンカーンは人身保護令の停止は憲法違反という司法の見解を無視して統治し、南北戦争中の北部は実質的には軍事独裁といってよかった。フランス革命後のヨーロッパが一連の革命の波に洗われ民主的改革と法の支配の確立に向けて試行錯誤していた時代に、アメリカはこんな有り様だったのである。

 もう一つ注目すべきことは、東部の十三州の合衆国として出発して以来、アメリカは常に国家の拡大に備えた国家形態をとってきたことである。ハワイが新たに州になったのは二十世紀のことである。この拡大のダイナミズムという点で「帝国」としてのアメリカは、はるか離れた熱帯の異民族の土地を統治した大英帝国などとは異質である。アメリカ帝国はハワイまでを自国の州にする一方で、その外周にある中南米諸国などを裏庭として間接的に従属させアメリカの覇権に順応させる。拡大とは直接間接に他国をアメリカと同質な国にすることである。こうして目下のイラクで見られるように、アメリカとの同質化が即ち民主化だということになる。このアメリカの遣り口が最初に露骨に現れたのは、キューバをめぐるスペイン帝国との米西戦争だった。

 そして二十世紀に入ると、アメリカは第一次世界大戦に参戦したお蔭で債務国から債権国に一転し、三十年代の大恐慌は第二次大戦の軍需景気で乗り切ることができた。アメリカは大企業に支配される戦争成り金国家になった。さらにこの二つの大戦を契機として、アメリカは散布されたドルを梃子に世界経済を自国の金権寡頭制に統合することに成功した。先に述べたように、アメリカで最初に振興したビジネスは土地投機だった。土地投機は国家権力を後ろ楯にした紙の上の土地所有権なしには成立しえないビジネスである。それゆえに強力な国家権力を求める土地投機業者の圧力がアメリカ革命の主要な原因になった。そしてこれ以来、アメリカにおけるビジネスと国家の腐れ縁は変わることがなかった。十九世紀の西部における鉄道建設ブームもその本来の目的は土地投機で、鉄道はことのついでに建設されたにすぎなかった。自主独立の個人主義、自由競争、小さな国家がアメリカ人の理想だなどというのは、真っ赤な嘘なのである。

 だからレーガンの新自由主義的な小さな国家がブッシュの軍事的警察国家に変貌したからといって驚いてはいけない。市場原理主義と強力な国家は何ら矛盾していないのである。ゲームの理論に従えば、完全に自由な競争においては成功と失敗は純然たる偶然に帰着する。そして誰もが偶然により浮き沈みする世界においては、人々は相互扶助のセーフティネットを作ろうとするだろう。ところが現実のアメリカは健康保険のない国民が何千万もいる国である。というのもアメリカの市場は偶然に左右されているどころか、さまざまな特権やハンディキャップから構成されている国家権力と一体になっているので、体制の勝者にとっては福祉は余計なものでしかないからである。ある労組の幹部が言ったように「アメリカは大企業には社会主義、労働者には資本主義の国」なのである。そしてこの「市場」が全く公正であり社会の文脈に関係なくあらゆる問題を自動的に解決するという不条理なドグマをまかり通らせるためには、国家権力による強制や制裁が必要とされる。レーガンの小さな国家の正体は、ブッシュの強い国家にほかならない。次回は、このアメリカがなぜ没落しつつあるのかを考察したい。       (続く)

(c)2003 Noraneko Journal. All rights reserved.