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2003年8月  

   聖書の「十戒」と法の精神

 1889年に大日本帝国憲法が発布されたとき、巷の庶民にはその意味がさっぱり分からず「天子様が絹布のハッピを下さる」といって喜んだという笑い話が伝えられている。しかし今日の日本人にも当時の庶民のこの無邪気な無知を嗤う資格があるとは思えない。護憲改憲論議をみても立憲主義とは何かという原則から出発する姿勢がなく、議論はテクニカルなものに終始している。モンテスキューがその著書に「法の精神」l'Esprit des loisという名を冠した理由は、今でもこの国では理解され難いのではなかろうか。日本人は、法とは何よりも精神であり文化であるという考え方に馴染みがないのである。

 そして法を精神と文化の作品として理解していなかったという点では、明治欽定憲法を発布した薩長藩閥政府の側も、憲法と絹布を取り違えた庶民と選ぶところがなかった。そうでなければ国体論にヨーロッパの立憲君主制の衣を被せた奇怪な憲法を麗々しく発布できた筈はない。昨今の日本では、この明治のエリートの政治的末裔というべき東大法学部出身の高級官僚がたいそう評判が悪い。たしかに戦後日本国家の最大の問題は、敗戦により軍部と財閥という官僚の対抗勢力が消滅した結果出現した官僚王国であろう。しかしマスコミと世論はエリート官僚の傲慢で視野の狭いオカミ意識や省益至上主義などの道徳的知的欠陥をあげつらうばかりで、その権力の源泉である法というものを官僚たちがどんなものと解釈しているのかという最も肝心な事柄に目を向けようとしない。またこの点では、日本の高級官僚の法意識を明るみに出すようなフィールドワークをしてこなかった日本の政治学者や社会学者の怠け者ぶりも、厳しく糾弾されていい。

 ヨーロッパ文明を他の文明と区別するその一大特徴は何かと尋ねられたら、それは法が精神であり文化であるような文明を築きあげたことだと私は答えたい。このヨーロッパ文明のまさに核心をなす事実を一世紀半にわたる欧化にもかかわらず日本人は理解してこなかったのである。この無理解の原因はどこにあるのか。日本人は幕末の佐久間象山以来の「東洋道徳、西洋芸術」の発想で、ヨーロッパが生んだ近代テクノロジーは普遍的だが欧米の文化自体は日本の文化と同じローカルなものにすぎないと見なしてきた。そうなると儒教の五倫五常の道徳が欧米やインドやアラビアで通用しないのと同様に、聖書の道徳や戒律はパリやロンドンでしか通用しないものと想定されることになる。これがそもそも間違いなのだ。聖書の道徳や戒律はユダヤ教やキリスト教の信仰箇条や教義と必ずしも不可分ではなく、それらを超越した普遍性を備えており、その普遍性ゆえに精神や文化としての法をヨーロッパで開花させることが可能だった。ところがキリスト者以外の日本人が聖書に関心をもつことは滅多にない。だから一般の日本人の法意識は文明開化以前であり、「市中引き回しの上で打ち首」などと口走る自民党代議士もその一人である。そこでさしあたり、なぜ聖書の中には民族や時代や宗派を越えた普遍性な要素があるのかを、以下旧約の「十戒」を例にとって説明したい。

 「なぜ聖書は『殺すなかれ』、『盗むなかれ』といった当たり前のことをわざわざ十戒として定めているのか」とある人に不思議そうにきかれたことがある。たしかに同じ宗教といっても日本人が親しんでいる仏教や儒教では、仏陀や孔子はそんな”当たり前のこと”を説教してはいない。しかし仏教や儒教が仏者や君子といった民衆と隔絶した例外的な宗教的道徳的エリートの育成を志向するのに対して、聖書の課題は当初からごく普通の人々に日常的な社会生活の規範を示すことにあった。そしてその点では、十戒の倫理ほど普遍的な倫理はない。おそらくアマゾン河奥地の未開の部族や極北のイヌイットの集落においても十戒の倫理は通用するだろう。聖書は、エリートだけが理解できる高尚な道徳ではなく、どんな社会であれ社会の存続と繁栄に不可欠な倫理を民衆に改めて確認させようとする。そしてその普遍性のゆえに十戒の倫理は、さまざまな社会が平和裡に共存したり、場合によっては自発的に合体してより大きな社会を形成することを可能にする。だから十戒を素朴な国際法のようなものと理解すれば、それがわざわざ”当たり前のこと”を神与の戒律としている理由も不思議ではなくなる。実際、古代ヘブライ人の十戒こそ近代の国際法の最古の原型であると言ってもいい。

 そしてこの十戒は、民衆の自由な同意によって成立した法である。旧約が記するところでは、モーセに率いられてエジプトを出たヘブライ人の集団は、シナイ山における神と民との盟約を契機に神が啓示したこの法を守りつづけることに同意したのである。神は民に法を啓示してみせただけであり命令はしていない。十戒を法たらしめるのは、民衆の自由で責任あるコミットメントにほかならない。史上多くの社会では、法は権力エリートが下す命令のことか共同体の昔からの慣習に根ざすものだった。聖書の法は、慣習でも力による強制でもなく十戒の普遍性に納得した民衆の同意と相互の誓約に基づく法であり、その点で、やがては近代ヨーロッパの市民社会という思想に繋がることになる。
 強制や慣習に基づく法は、人間が特定の集団に埋没した存在であることを前提にしている。例えば君主と臣下、領主と農奴といった関係があるから強制としての法が可能になり、そして慣習としての法は閉鎖的な共同体の内部でしか通用しないだろう。しかし民衆の自由で責任あるコミットメントに依拠する聖書の法は、人格的存在としての人間に訴えること以外に法として存立する術がない。人間の人格的自由は、個人の集団内の地位や社会的職能とは無関係である。それゆえに神は「汝、殺すなかれ」というように民衆全体にではなく個人に語りかける。法は自由で責任を意識した人格としての人間に対する神の呼びかけなのである。

 そして十戒の中には「父母を敬え」という積極的、勧奨的な戒律もあるが、基本的には偶像崇拝の禁止を始めとしてその殆どは「ーーするなかれ」という禁止の戒律である。しかも神が一定の行為を禁止する根拠を述べていないために、聖書の宗教は家父長的で厳格な権威主義的宗教なのだと誤解されることがある。だが神が禁止の理由について語らないのは、十戒の目的である社会の存続と繁栄は理性的な討論や選択の対象ではありえないからである。人間の理性はそれ自体社会の産物であり、社会の存続と繁栄に関わる問題を解決することが理性の仕事である。ゆえに理性の仕事が意味をもつためには、十戒が開示した社会生活の規範は絶対的な所与、理性自体の超越的な根拠とされねばならない。さもなければ理性は無意味なもの、白痴のモノローグになってしまう。そして「ーーするなかれ」という絶対的な禁止の戒律は、それ以外は何をしようが自由であることを意味している。古代中東の神政国家の下、微に入り細にわたる呪術的なタブーによって人間ががんじがらめにされていた世界で、聖書は絶対的に禁止すべき行為の数を僅か十にまで削減し、人間の自由をかってなく拡大したのだった。こうして聖書の法によって、個人と社会のそれまでになかった自由な関係が可能になり、法が人間精神の記念碑にして文化の精華であるような文明を築きあげる可能性が歴史の地平に拓けたのである。


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