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2003年9月  
   人権論の現在 (その一)

 どう見ても現代は、かってなく人類が思想的に混迷している時代である。大方のポストモダン思想なるものは、そうした混迷に居直るか悪乗りした思想であるにすぎない。だがこの混迷と混乱の時代に一つだけ、まるで公理のように承認され信奉されているように見えるキーワードがある。人権という殺し文句である。東西冷戦の終結はイデオロギーの争いを終らせ、全人類が「どんな人間にも人権がある」という信条には等しく合意できる環境を作りだしたかに見える。ちなみにインターネットで「人権」を検索してみると、自治体や政府機関の人権啓発キャンペーンのサイトが次から次と花盛りである。
 しかし「人権」のこのもてもてぶりには、どこかいかがわしいところがある。政治家たちが人権をキャッチフレーズに使いたがるのは、実はこの言葉が殆ど何も意味しておらず、彼らの都合に合わせて何でも意味してくれる娼婦のような言葉だからではないのか。そして役人や弁護士にとっては、人権は自分たちの仕事に箔を付けてくれる商売道具なのではないか。少なくとも先進国の現状においては、人権論がいつの間にか専門家たちが体制を安定化させるために操る社会工学の道具になっている恐れは大きい。
 そこで改めて指摘しておきたいのだが、実は現代の人権論は思想的な基礎付けに欠けている。それどころか十九世紀以降の現代思想の主流は、一貫して人権論を否定したり掘り崩したりするものだったと言っていい。マルクス主義が人権論と相容れないことは、マルクスの弟子のレーニンやスターリンの所業を見れば明白だし、超人の到来を欲したニーチェはもちろん、人生を事故のようなものと見なすハイデッガーやサルトルの実存主義も人権論とは反りが合わない。功利主義の創始者ベンサムは人権を形而上学的妄想と決めつけ、また実証主義者にとっても人権は究極的に感覚的データによって証明されることのない空虚な観念でしかない。
 現代思想がこのように人権論に敵対的ないし冷淡な理由は、人権論の起源が1789年8月にフランスの革命議会が発した「人間と市民の権利宣言」にあるからだ。ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、キルケゴールら十九世紀のヨーロッパの思想家はいずれもフランス革命がパンドラの箱を開けた革命であったことを認め、革命の問題性や限界や矛盾をこの宣言の皮相さに見い出した。功利主義や実証主義も、人権宣言に霊感を受けた革命の破壊と流血に対する揺れ戻しとして登場した思想だった。
 では人権宣言のどこが皮相だったのだろう。フランス革命の以前には、今日人権と称されているものは自然権NATURAL RIGHTSと呼ばれていて、それは「市民政府論」の著者ジョン.ロックによって代表されていた。だがロックの自然権には、現代の人権論にはない二つの特徴がある。まず第一に、ロックは個人の生命、身体、財産が不可侵である根拠を、人間が神の所有物であり神意によって生きることを許された存在であることに求めた。このブルジョア思想家は同時に心からキリスト教的な思想家でもあった。そのうえロックの自然権は、個人の自由の基盤である私有財産の擁護と不可分であり、よかれあしかれ法的政治的にきわめて具体的な権利だった。ところがフランスの革命議会が宣言した人権は、超越的な神の命令に訴えるものでも所有に基盤をおくものでもなかった。それは神の栄光と所有という裏付けを欠いて宙に浮き、党派や立場によってさまざまな解釈が可能な抽象的な概念だった。革命はロックの自然権を越えて「人権」というものを考えることが可能であることを示したが、その先には進めなかった。不可避な問題として提起された「人間の普遍的な権利」の中身は空白のままだった。この限界が、やがて革命が恐怖政治に陥る一因になったのである。
 しかし革命議会の議員たちに歴史を振り返る余裕があったならば、彼らは人権が古くからある人類に普遍的な思想であることに気づいた筈である。そこで、ある逸話を紹介しよう。イエスが生まれた頃のイスラエルにシャンマイとヒレルという二人の名高いユダヤ教のラビがいた。ある日、そのシャンマイのところに異邦人がやってきて門の前で一本足で立ち、「私が一本足でここに立っている間にユダヤ教とは何かを教えて下さい。もし教えて下さればユダヤ教に改宗します」と叫んだ。シャンマイは彼を棒で追い払った。懲りないその異邦人は今度はヒレルの門の前で一本足で立ち、同じことを叫んだ。するとヒレルはにっこり笑い「自分にしてほしくないことは人にするな。このことが分かればユダヤ教をすべて理解したことになる。後はその注釈なのだから」と答えたという。
 このヒレルの言葉は後にキリスト教で黄金律と呼ばれたものだが、世界の主要な宗教にはどれにも同じような格言が存在している。例えば孔子は、「己の欲せざるところを他に施すなかれ」と言っている(論語.顔淵)。そして人権とは、この古く普遍的な格言を現代の法的な言語に焼き直したものにほかならず、その核心は「他の人間を同じ人間として認めよ。平等な尊厳ある存在として扱え」という要請なのである。何だ、そんなことかと思われるかもしれない。だが世界の現状を見まわし、さらに歴史を顧みて頂きたい。人間は絶えず他者を人間として認めることを留保し、他者を人間以下の存在とみなすための口実をあれこれ考え出してきた。異教徒、異人種、異民族、未開人、イデオロギー上の敵その他さまざまな理由で他者は人間以下であるとか人間として不完全であるとされた。
 おそらくこうした他者の排除や拒絶は、ジョージ.オーウエルが「正統派的思考法」ORTHODOXYと呼んだものに関係がある。この思考法にとり憑かれた人間にとっては、他者は生身の個人ではなく「ユダヤ人」や「共産主義者」といった抽象的なカテゴリーを例示するものでしかない。そして権力者との邪悪な共犯関係が絡んでいる点で、正統派的思考法はたんなるステレオタイプに基づく粗雑な判断とは違う。ナチ時代のドイツにおいてさえ、映画になったシンドラ−以外にも危険を冒してユダヤ人を匿ったりユダヤ人が亡命するのを助けた少数の無名の市民がいたという。そうした人々は、とくに道徳的であろうとした訳ではあるまい。彼らは、目の前にいる人間をナチが宣伝する「ユダヤ人」という抽象ではなく困り果てている生身の人間として受けとめることができた人々だったのだろう。そして残念ながら近代人には、こうした子供のような単純素朴な感性を失わないで大人になることほど難しいことはないのだ。
 フランス革命は人権を問題として提起しただけであり、二十一世紀の今日もなお人権は確固たる答ではなく投げかけられた問いに留まっている。だが人権は未だに提起された問題にすぎないとしても、この問いへのアプローチの仕方に関しては、はっきりしていることがある。人権の思想的基盤が不明であるにもかかわらず国連の世界(普遍的)人権宣言や国際人権規約など、二十世紀の間に国際法の分野では人権の擁護はゆるぎない地歩を確立した。その背景には二度にわたる世界大戦の惨禍と全体主義の脅威がある。言い換えれば、現代の人権論は全体戦争に対するアンチテーゼとして発展してきたのである。人類を「正しい人間」と「非人間」に分断することは、結局は友ー敵の区別をへて戦争の正当化につながる。また国家の安全を口実に人間をその道具や手段に貶めるという点でも、今日の戦争は究極的な人権の否定である。
 そして前世紀が残したもっとも重要な教訓は、資源の争奪から戦争が発生するとみる経済決定論的な戦争観は誤りであることなのだ。たとえ戦争が生存圏とか共栄圏といった修辞で合理化されるとしても、それと権力エリートに戦争を決断させる動機は区別されねばならない。フランス革命がナポレオン戦争に行き着いて以来、現代の戦争は大衆を動員する党派政治と一体になっている。それゆえに戦争をひき起すのは、正統派的思考法なのである。まず敵が人間であることを否定し悪の化身に仕立て上げることが必要なのだ。それゆえに現代の人権論は、そうした戦争を生む”原理主義的”精神構造の批判的解明に取り組まねばならないだろう。そして人権論とは実は平和の論理にほかならないならば、それは「己の欲せざるところを他に施すなかれ」という格言の消極的倫理に留まっているべきではあるまい。それは、寛容や歓待といった平和を能動的に創造する積極的な価値と結びつく必要がある筈だ。この寛容や歓待を人権論の積極的な内実にするという二十一世紀ならではの課題については、機会を改めてこのコラムでとり上げたい。

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