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2004年2月  
イスラム世界にどう向き合うか


 2001年9月11日以来、一日とて「テロ」という言葉を聞かない
日はない。まるで世界はテロリストだらけでテロと闘うこと以外に政治
家にはすることがないかのようだ。しかし実際には1970年代の方が
今日よりはるかにテロが頻発していた。日本の赤軍派を思い出してほし
い。現代はテロの時代だなどというのは政治家とマス.メディアによる
現実の偽造であり操作である。ビッグブラザーのたわ言を鵜呑みにして
はならない。

 言葉というものは奇妙なもので、それは現実を照らし出すと同時に隠
蔽することがある。いや、照らし出すことによって隠蔽すると言った方
がいい。そして「テロ」という言葉はまさに、そうした照明と隠蔽を両
立させるキーワードとして使われているように見える。先進諸国とくに
アメリカのメディアは、この言葉を常にイスラム世界との深い結びつき
を暗示するような形で使っている。だから同じテロといっても例えばス
ペインのバスク人やコルシカの分離独立主義者のテロは殆ど問題にされ
ない。そしてイスラムや中東地域が絡んだテロなら、たとえ失敗したテ
ロでも大きく報道され詳しくコメントされる。

 だが他方では、今日の世界のテロの大部分はイスラム世界を背景や舞
台として起きていることも確かである。ところがこのことが明示的に語
られることは滅多にない。テロはたんにテロとして語られ、イスラム世
界の激動という文脈で論じられはしないのだ。こうしてイスラム世界と
いう存在は、テロという言葉によってあらわにされると同時に隠蔽され
ている。おそらくここには”オリエンタリズム”による他者のイメージ
の歪曲とは異なる次元の問題がある。かっての植民地主義者はオリエン
トのイメージを偽造したかも知れないが、今日の欧米人はテロという言
葉を衝立にして、不安を催させる他者であるイスラムから目を背け自分
を守ろうとしているのだ。

 それだけに今もっとも必要なことは。「テロ」についての際限なき神
経症的な言説を中断し、イスラム世界の変動や激動について正面切って
語ることである筈だ。もっともそれは「文明の衝突」なるものについて
語ることではない。この手のアメリカ製の理論はやはり他者を理解する
ことの拒否を正当化するためのタコ壷的理論でしかなく、それゆえに皮
肉なことにビン.ラーディンのようなジハード主義者に歓迎されること
になる。またパレスチナ問題は中東が舞台になってはいるが、イスラム
世界の激動の一環をなすものとは言えない。ここでは問題は、二つの大
戦の教訓から戦後の国際社会が「国境の変更の禁止」という原則を定め
たのに、それに反してイスラエルというかっての満州国のような国家が
創設されたことなのである。そしてパレスチナ人がインティファーダ以
来やっていることはテロではなく都市ゲリラと呼ばれるべきものだろう。

 それでは我々はどのようにして激動するイスラム世界に向き合えばい
いのだろうか。まず手持ちの社会科学を総動員してイスラムの経済、社
会、文化などを分析してみることが必要なのだろうか。ところが未だに
宗教が人々の生活のすべてを律しているイスラム世界は、先進諸国の大
学で通用しているような社会科学では歯が立たないのである。このこと
は、そうした社会科学が普遍的とは言えない前提に基づき特殊な歴史的
社会的条件に制約されているのではないかという疑いを抱かせるに充分
である。そしてイスラム世界が”科学的”分析に馴染まないことが、「訳
の分からないイスラム」に対する欧米人の不安の要因になっている可能
性もある。

もっとも民族主義研究で知られる故アーネスト.ゲルナーのようにイス
ラム社会を公正に理解しようと努めた学者もいた。だが一方では、イス
ラム研究の大家とされているバーナード.ルイスがあろうことかイスラ
ム中傷の急先鋒になっているという現実もある。

 しかしながらイスラムにどう向き合うかという問いには、実はとても
簡単な答えがある。要するに我々は、イスラム世界の激動が生み出した
ものの中に我々が理解でき評価できるものがあるかどうか問うてみれば
いいのである。もしそうしたものがあるようなら、それを手がかりにイ
スラムとの対話を考えたらいい。もしそうでなければ、イスラムは理解
不可能な他者と諦めるほかはない。しかるに今日のイスラム世界には、
コーランにも中東の歴史にも全く無知な人間でも理解し評価できる動き
が厳然として存在している。 

 周知のように目下のイスラム世界の激動は、1979年のイラン革命
をもって始まる。この革命には、1953年に英米両国の情報機関が英
米資本の石油企業を国有化しようとした民族主義のモサデク政権をクー
デターで倒し専制的なシャーを国家元首に仕立てるという前史があった。
だから革命の背景や動機にはイスラム教徒でなくても充分に理解できる
ものがある。そして1979年の二月にシャーを追放した革命政権は、
その二ヶ月後にイランをイスラム共和国にするかどうかについて国民投
票を実施している。さらに同じ年の八月には立憲議会設立のための自由
で公正な選挙も実施している。ホメイニ師以降イラン国家の要を押さえ
ている聖職者たちは、選挙で選ばれることなく神憑かりの神政政治をやっ
ている超保守主義者として極めて評判が悪い。それも当然ではあるけれ
ど、レーニン一派のボルシェビキは国民投票や議会選挙どころか、政敵
を虐殺して平然としていたことを思い出すべきだろう。明らかにホメイ
ニ革命は多くの問題や矛盾を孕みながらもイスラム世界の民主化への第
一歩だった。そして現在司法を握る守旧派聖職者とハタミ大統領と議会
に代表される改革派の間で激しい争いが続いていることは、イランの民
主主義がそれなりに進展しつつあることの何よりの証拠である。イラン
は試行錯誤しながらイスラム的な民主主義への途を模索し続けている。

 このようにイランに焦点を合わせてみれば、イスラム世界の激動が意
味するものは不可解ではなくなる。逆に言えば、イランを焦点から外す
とイスラム世界の現状は絶望的な混沌にしか見えてこない。先進諸国に
そうした印象が広まっているのは、激動の震源地イランが盲点化されタ
ブー化されてきたせいなのである。イラン革命の際のアメリカ大使館占
拠事件でアメリカの世論がマスヒステリー状態に陥ったことが、イスラ
ムを理解不可能にするこの理不尽な盲点化のきっかけになった。事件の
テレビ報道がアメリカ人のマスヒステリーと視野狭窄症を生じさせ、そ
れが1980年代以降のアメリカの中東政策を左右してきた。これは9.
11のテロの生々しいテレビ中継が、やはり政治的に利用できるマスヒ
ステリーを発生させイラク戦争に行き着いたのと同じである。それゆえ
に、アメリカのテレビ局がいつのまにか我々のものの見方を管理してい
るという現状をさておいてイスラム世界について語ることはできないの
である。 
 

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