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2004年4月  
我々が 明治維新で失ったもの (その一)


  明治維新が権力亡者どもによる恥ずべきクーデターにすぎなかった
ことは、以前にこのコラムで書いた。この点では日本という国は、
レーニン一派による十月革命なるクーデターを輝かしい建国の原点と
偽ってきた旧ソ連にそっくりである。しかも大部分の日本人が相変わ
らず、日本の近代化に着手したのは明治政府で幕府側はそれに抵抗し
たなどと信じこんでいるのだから、皮肉にもマルクス=レーニン主義
より支離滅裂な皇国史観の方がプロパガンダとして成功していること
になる。とはいえ維新神話を清算するためには、維新によって開国期
の日本人が失ったものに思いをひそめることも必要だろう。失われた
もの、踏みにじられた可能性はいろいろある。ここでは、その中から
二つだけ取り上げてみたい。それは日本がまともな民族国家として国
際社会の名誉ある一員になる可能性、そして都市の文化が生まれる可
能性が失われたことである。

 ペリーが軍事力を誇示した威圧的なやり方で日本を開国させたこと
は否定できない。しかしアメリカだけが開国に関係した訳ではなく、
開国後日本と外交関係を結んだ国にはオランダ、イタリア、スイス、
メキシコその他の列強とは言えない国々も入っている。だから外圧に
よる開国には欧米強国の様々な野心も絡んでいただろうが、開国の歴
史的意義はそれに尽きるものではありえない。開国は日本を国際法的
な共同体に組み込んで主権国家として自立させることを意味してい
た。奇妙なことに、レーニンの帝国主義論を奉ずる左翼の歴史家と大
衆作家の司馬遼太郎は、「開国当時の日本には独立を失う危険があっ
た」という見解では一致している。だが事態はその反対で、欧米諸国
の意図は、日本の主権を承認し国家として独立させることにあったと
言わねばならない。(ある程度、比喩的な意味での経済的植民地化の
恐れはあったかも知れないが)。 そして当時の日本人には、こうし
た形で国際社会の一員になったことが何を意味するのか、時間をかけ
て学習する必要があった。すでに徳川時代にも一部に海外進出論や貿
易開国論があったのだから、当時の人々に学習の能力が欠けていたと
は思われない。ところが王政復古のクーデターは開国をめぐる議論を
力ずくで中断させ、天皇という虚王を主権者にでっちあげることで開
国をめぐる問いを封印してしまったのである。その後遺症で日本人は
今日なおネーションとして国際社会の名誉ある成員たることは何を意
味するのかよく理解できないでいる。「国際社会」という言葉で「ア
メリカ」を意味する小泉首相の国会答弁は、この国では不可思議とさ
れない。普通の国なら爆笑ものだろう。

 近代日本と中韓両国との縺れに縺れた関係も、日韓併合や日中戦争
以前に、維新による上記の問いの封印に原因がある。もしも日本が国
際法秩序の問題を的確に認識していたならば、清や韓国の改革派と共
通の了解の下に手を結ぶこともある程度可能だったろう。十九世紀中
葉における東アジアへの欧米勢力の進出は、いかにしてこの地域の伝
統的な儒教的冊封秩序を主権国家間の平等の原則に立つ近代的国際法
秩序に転換させていくかという問題をこの三国に突き付けていたので
ある。この共通の認識に基づいて日中韓の外交関係を発展させること
も可能だった筈である。実際日本でも明治初年まで三国が連繋して欧
米に対抗するという戦略が一部で議論された。もっともこうした戦略
が実を結ぶためには、国際法秩序の問題と並んで、大平天国の乱や日
韓両国における農民一揆の激化は、儒教的国家体制の終焉を意味して
いるという大局的な認識が必要だったと思われる。

 ところが維新のせいで、日本とこの両国を結び付けるどんな外交的
な原則もなくなってしまった。その代わりに日本で支配的になったの
は、日本を文明国、中韓を半開国とする福沢諭吉の説だった。こうし
て中韓両国という他者を否定することが、国際的外交的原則に代わる
日本の国家的アイデンティティーの支えになった。そしてこれ以後日
本人と中韓両国の関係は、例えばインドなどとの関係とは異質な、独
特なものになった。日本人の国家意識には常に、中韓両国を見下げな
じり貶すという神経症的な要素が伴うようになった。これは英国とフ
ランスのような隣同士は仲が悪いことが多いというよくある話とごっ
ちゃにされてはならない。ウイスキーとコニャックのどちらが旨いか
で口喧嘩をしているのではないのだ。中韓という貶めるべき他者なし
には日本は自己同一的な主体ではありえない。「新しい歴史教科書を
つくる会」は、この神経症の最新版である。

 中韓.北朝鮮との関係にはどんな外交的に一貫した原則もないとい
う異常な状態は今も続いている。例えば首相の性懲りも無い靖国神社
参拝をめぐる波紋にも、それが見られる。中韓両国の言い分にはいろ
いろ見方も分かれるだろうが、靖国へのA級戦犯の合祀を問題にして
いる点で、両国が国際法(東京裁判の判決)という原則に立って発言
していることは確かである。ところが日本側の言い分は支離滅裂で何
の原則もない。国際社会に対し公然と東京裁判を否定している訳でも
ない。このように中国と韓国という隣人との付き合い方一つとって
も、やはり我々は維新がもたらしたものを御破算にして、もう一度開
国の時点からすべてをやりなおすしかないのである。 

                           (続く)


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