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2004年6月  

  国のなまえ

 司馬遼太郎が「国のかたち」という言葉を使うのをみて、さすが
に小説家はうまい言葉を見つけるものだと感心した。もし彼が大学
人風にナショナル.アイデンティティーなどという横文字を使って
いたら、彼の議論の影響力はきわめて限られたものになっていたこ
とだろう。だが語り口がうまかっただけに、司馬の議論は公衆の関
心をあらぬ方向に逸らせてしまったとも言える。国にかたちを与え
るものがあるとすれば、それは何よりも国のなまえである筈だ。し
かし司馬の「国のかたち論」には、この肝心要の問題が完全にすっ
ぽ抜けている。

 まず「日本」という国名の問題。これは私がここ十年以上にわた
り再三指摘してきたことだが、この国名はこの国が中国から見て日
の出る方角に位置していることを意味している。つまり「日本」と
いう名は、中国を中心とし日本をその周辺とする中国中心の世界観
の産物なのである。そんな名が付いた原因には、古代における大化
の改新、日本と百済が唐と新羅に敗れた白村江の戦い、律令制の導
入などいろいろあるだろう。しかしこの国がいまだに「日本」と名
乗っているのは、例えばフランスやドイツが古代にローマ帝国によっ
て付けられたガリアとかゲルマニアという名称を使いつづけている
ような、奇妙なこととしなければならない。アキツシマその他れっ
きとした大和言葉の国名があるのに、である。この点では沖縄の古
名「琉球」の方が、やはり中国人に付けられた名とはいえ、中国中
心の発想がないだけ、ましである。

 もちろん現在では、これだけ定着した国名の変更は容易ではない
だろう。しかし維新で出来た明治政府がためらいもなく新国家の国
名に「日本」を使ったことは、この政権が司馬がいうような民族主
義政権ではなかった証拠である。まともな民族主義者ならば、この
国を中国の周辺国とするような国名は拒否して当然である。だが薩
長藩閥の意識は、明に「日本国王」として冊封してもらおうとした
足利義満と変わらなかった。ただ彼らは、当時の清の動揺に乗じて
古来の中心と周辺の関係を逆転させ、この国を新たに中国文明圏を
統一する覇者にしようとしたのである。

 彼らが作った国は「大日本帝国」と名乗った。「帝」は諸国の王
を従える存在なのだから、この国名からも明治政府の野心は見え見
えである。だがなぜ「大日本」と国名に「大」が冠されたのだろう
か。これは正確なことはよく分からないのだが、維新前後の日本で
「グレート.ブリテン」が「大英帝国」と訳され、それにあやかっ
たものらしい。そんなところにも衣の下から鎧が透けて見えるとい
うものだ。どうみてもこの政権は当初から膨張主義的であり、日露
戦争までは日本は民族の独立を守ろうとした健気な民族主義の国だっ
たという司馬の説は牽強付会の妄説と言うしかない。しかも滑稽な
ことに、「大英帝国」にあやかったのが事実とすれば、この国名は
勘違いと誤訳の産物なのである。古代のヨーロッパではドーヴァー
海峡の両岸にブリトン人という部族が住みついていた。北フランス
の沿岸地域がブルターニュと呼ばれているのは、その名残りである。
そしてグレート.ブリテンというのは、このブルターニュに比べロー
マ人にブリタニアと呼ばれた英国の方がより広大な土地であること
を表す地理学的名称にすぎない。それを大英帝国などと訳すところ
に当時の日本人の事大主義が露呈している。

 だが話はこれで終らない。いや、話はもっと滑稽になるのだ。敗
戦で帝国を廃業した戦後日本の新たな国名「日本国」は、世界的に
も珍無類と言っていい。日本語では「国」を付けるというトリック
をやっているので大方の日本人は、これでもまともな国名だと思い
込んでいる。しかし例えば英語に訳せば、「日本国」はたんなる
JAPAN であり、国名ではなく地名にすぎない。世界のどこでも国の
名は、ドイツ連邦共和国とかネーデルラント王国のように体制の表
示を伴うことが決まりになっている。軍事政権で悪名高いビルマは
ミャンマー連邦であり、大平洋上のちっぽけな島々はミクロネシア
連邦であり、インドネシアから分離独立したばかりの東チモールに
はチモール民主共和国という堂々たる名が付いている。「そうした
国名はないけれど地名ならあります」という珍妙な国は世界でも日
本だけである。まさに万邦無比の国には違いない。

 どうしてこんなことになったのか。それは第一に、戦後憲法を起
草したGHQにとっては日本は被占領地にすぎず、JAPANで間に合った
からである。第二に、日本帝国の消滅を契機にこの国を共和国ない
し民国にしようという日本人自身の動きが殆ど皆無だったからであ
る(もっとも日本人民共和国を作って日本をソ連の衛星国にしよう
という一部極左の動きはあった)。こうして維新の当時と同じく、
日本人には国家を作り上げる能力が欠けていることが再び証明され
た。従って、この国に体制を表示する正式の国名がないことは、日
本は今なお本質的に被占領地であることを示しているのである。こ
の点で日本によく似ている例は、かっては英国に、今は中国に従属
している香港である。

 とにかく国名にその体制を表示していない国は、近代国家の名に
価しない。なぜか。そうした国名は国家体制が変更可能であること
を示しているからである。例えばソヴィエト社会主義共和国連邦は、
スターリン時代には空文にすぎなかったが、連邦から脱退する自由
を連邦を構成する各共和国に認めていた。そして事実ソ連は、バル
ト三国を始めとする共和国が相次いで連邦から脱退することで崩壊
したのである。また国家が共和国と称している場合には、市民は真
に共和主義的な統治がなされているかどうかを為政者に問う権利を
留保しているだろう。

 カレル.ヴァン.ウオルフレンは以前から「日本にはその名に価
する国家は存在していない」と主張してきた。彼のこの主張はこの
国ではまるで理解されなかったのだが、日本の「国のなまえ」とい
う問題を一瞥しただけで、その正しさは一目瞭然である。JAPANとい
うのは国名ではなく地名にすぎないのだから、そこに住んでいるの
は市民ではなくて土民だろうと外国人に言われても仕方あるまい。
 
 
 
 

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