2003/11/04 マニュアル論その2

先日、税○士試験を勉強している人間2人と話をしていて共通する弱点を感じたことがあったので書いてみたい。
(ちなみに二人とも同じ専門学校出身者で、一人は4科目合格、もう一人は2科目合格である)

彼らは論理的な思考は比較的強いと思っていたのだが、どうもある程度形式の決まった問題に対処する解法パターンから離れた話になると途端に弱くなることがわかってきた。
(余談だが、将棋の世界では「大駒一枚違う」などと言う。例「大○九段は強い時は鬼神のようで名人だってぶっ飛ばすけど、弱い時は新四段にも負けちゃうんだ。強い日と弱い日とで角一枚違うね。」・・・そういえば、大○先生、最近空港でトラブルを起こして報道されてた様子。あー脱線しまくりだな)

話をしているとわかってくるのだが、無理やりにフィットしていない(自分の知っている)解法パターンにあてはめようとしているのである。当然泥沼にはまり、もっと混乱が深まっていく(そしてそれを本人が自覚することで混迷はさらに深まる)。

これには私の方が困惑してしまった。
何故こんなことになるんだろうか?

これにはいろんな原因があるだろうが、私が強く感じたのは、フリースタイルの問題に対処する基本的な方法論、座標軸を持っていないんだろうなということだった。
(だから解法パターンに頼るのである)

たとえば、”時間軸”で整理するというのは、かなり応用性の高い基準指標だと思うが、そういう発想が全く出てこないのはかなり驚きだった。

一度時間軸を書いて、それに並べてイベントを書いていくことで自分の頭を整理するというのは簿記で社債発行差金や連結剰余金の問題を解く際に当然やる作業だし、彼らが知らないわけがないと思っていたからだ。

もちろん、即座に個々の問題点の基本的な問題点を把握して、どこからその問題が発生しているのか整理できるならそれに越したことはないのだが、普通はそういうわけにいかないだろう。

であれば、何か基本的な手法をもっておかないと、ヤマが当たった時以外は試験に受からないとか、受かってもしばらくするとすぐ忘れたりして実務で役に立たない人材が生まれるだけだろう・・・と口から出かけたのだが、嫌味になりかねないので本人にはもう少しやわらかい表現をした。(これでも気を使っているんです(^^;)。

同じ意味で、応用を考える際に基本との異同比較をするという手法を身に付けていないのにも結構びっくりした。
こちらとしては、説明する際にわざわざマトリックスを作って異同比較させているのに、それを見ながらその論理帰結を間違えそうになるのはもう本当に驚いた。
(注:彼らの名誉のために言っておくが彼は決して頭は悪くないし、性格も悪くない。マジメ過ぎるくらいマジメな人間である。まぁ、だからマニュアルの魔力にはまってしまているとも言えるのかもしれない。)

ここに至って愚鈍な私でもようやく認識した。

結論から言えば、「手続”だけ”」覚えさせるという意味でのマニュアル主義が世の中を圧倒的なまでに席巻しているということなのだろう。
そして同時にその有効さがあたかも万能であるかの如く認識されているのだろう。
彼らはその毒に冒されているだけなのだ。

私自身は以前も書いたようにマニュアルを蔑視するのは誤解だと思っているが、何故その手続きが必要なのか、どうしてそのようなアプローチが要請されるのかを学ばずに手順、手続だけを覚えてしまうと、こうなって当然なのだろう。
以前も言っただろうが、そういう中途半端は、百害あって一利なしそのものである。

アホらしいようでも、コツコツと作業の意味を教えていく。
そして自分で改善策を考えさせる。

先の手法は彼らは個々の技術としては決して知らないわけではない。
その意味で彼らにこれから与えるべきものは、目的・意味をわからせる、いわば魂を吹き込むということである。
(システム的に言えば、フィードバックシステムにするという言いかたもできるだろう)

いわゆるマニュアル人間にならないよう、真の意味でマニュアルを活用していけるよう、”再”教育を施していくこと、それがこれからの我々の世代の課題なのだろう。
(まぁ、我々以前の世代でも似たようなもんかもしんないね(苦笑))

ところで、法律ってやはり一種のマニュアルだと思うんだけど、最近の世の中の法律相談ブームってすごく危険じゃないかな?って話はまたの機会に。