おまけ 中村忠先生のキャッシュフロー計算書に対する見解

 

この度、1999年7月号のJICPAジャーナル(元の会計ジャーナルの頃が懐かしい?)で、
巻頭に"視点"として、一橋学派(財務会計)の大物であり、「制度会計の研究者」である、
中村忠先生が「キャッシュ・フローと時代の流れ」として2ページほどの文章を寄稿されている。
これがなかなか面白いのでここではこれについて触れてみたい。

 

まず、染谷恭次郎先生にかつて書いた資金会計についての小論文が
「法令への隷属に甘んじていた時代の名残ではないか」
と批判されたことをあげ、次のように反論している。

 

「しかし会計学の歴史をたどれば明らかなように、株式会社という企業形態のもとで
株主に分配し得る利益はいかに計算されるべきかが、簿記から会計学への発展を
促した動機であった。
したがって期間利益の決定が会計学の主題であることは今後も変わらないであろう。」

(ここについては若干異論がありますが、続けて)

「法律が損益計算書、貸借対照表の株主提出を要求しているのは、それが慣行として
行われている点に着目して採用したものと考えてよいのではないか?」

と述べて、法律が要求しているからではなく、法律はむしろ慣行を追認したものだという
主張をされている。

そしてキャッシュフロー計算書について、

「キャッシュ・フロー計算書を損益計算書、貸借対照表と同列に置かないのは法律への
隷属の名残だという主張は、私から見れば、全く見当はずれである。私はキャッシュ・
フロー計算書を派生的な計算書に過ぎないと見ているからであって、法律とは関係ない。」

 

まぁ、それなりに筋の通った意見だと思います。

ただ、中村先生の仮定には、「法律は現実の慣行を成文化したもの」という話があるので、
結局"卵が先か鶏が先か"ということで、法律が関係ないってのはどうかな?と思いますが。

 

で、更にキャッシュフロー計算書の財務諸表での位置付けについての企業会計審議会の
意見書を批判して、

「もともと企業会計審議会は学術機関ではないにしても、これではキャッシュ・フロー計算書
を基礎づけるのに十分な説明とは言えない。むしろグローバル・スタンダードで要求されて
いるから、我が国もこれに従うのだと言うほうが分かりやすい。」

エンジンかかってきましたね、中村節健在という感じ(^^;。

 

しかし、ここでこの文章を紹介しようと思ったのは実は、次の文を読んだからである。

「さきに引用した審議会の「意見書」も、今や「体系」などは問わない実用主義の時代に入った
ことを示しており、私は砂浜に立って海の彼方に沈む夕日を見送る老人のような気がする
とても21世紀の会計論壇には生き残れそうもない。もしそうなったらいさぎよく店を閉めようと
思っている。」

まぁ、先生の年齢を考えれば本当に老人だと思うのですが(失礼)(^^;。
中村先生の性格を考えれば、素直に100%そう思っているわけではないのは容易に想像できる
わけです。
しかし、そうではあっても強気一辺倒で主張しきれない気持ちがのぞいているような気がします。

当初、ここまで読んで、

「中村先生は会計が実用的なツールたるべきことが常に要請されるものであることや
経営に役立つべきものであることに意図的に目を瞑っているのかな?
制度会計と管理会計との境界線がどんどん曖昧になってきていることはわかっている筈
なのに・・・。」

と思った。

 

だが、中村先生はそんなことは当然わかっていたのでしょう。
わかっていた上で、自らは「制度会計の研究者」であることを墨守するという意思表示をした
のだと思う。

それは、以下のような記述を行っていることに示されている。

「従来我が国で資金管理は財務担当者に任せ、経営のトップはそれに関与しない会社が少なく
なかったとすれば、キャッシュフロー計算書の制度化はその改善に多少は役立つであろう
(京セラの稲盛和夫氏のようなトップ経営者は、例外中の例外と見てよい)。」

このような理解を示した上で、

「キャッシュフロ−計算書に対する私の評価はその程度であり、過ぎ去った1年間のキャッシュ・
フローの分析から得られる情報の価値はそれほど高くないと私は考えている。したがってキャッシュ
・フロー計算書は、本来なら附属明細表の1つに過ぎないのに、資金について他に適当な資料が
ない
ため、過大な取扱いを受けているというのが私の解釈である。」

この解釈は基本的には正しいと思います(会計学的には)。

 

ただ、会計学の拠って立つ「利益」概念の真の意義を現時点で会計学が万人に示しきれない以上、
会計学もまた立脚点を再構築しなくては、"慣行として行われている点に着目して採用したもの”
と言えなくなる日が近いのも間違いないと思います。

そういう意味では、この文章は現行会計学そのものの機能的限界も自ら示しているような気がしています。

だからこそ、これだけキャッシュフロー計算書に人々は期待を寄せるのだと。

 

とはいえ、そのような私の解釈が中村先生の意に沿うかどうかは私にはわかりません。

 

なお、先生は「利益は意見、キャッシュは事実」という言い方が誇張されており、ミスリーディングで
あることを述べておられますが、これは私も賛成です。

「キャッシュ」は"現実"ではありますが、「切り取られた事実」にもなり得るのですから。

 

そして、私は「意見」を述べることにも意味があるのだと思っています(会計は"写像"ですから)。

問題は、意見が「妄想」「空想」にならず、現実的レベルに留まるかどうかということなのだと思います。

そこの保証の仕組みを会計が機能的にbuilt-inできていないことがジレンマなのだと。


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