はじめての海外出張

ついに、就職してからの初めての海外出張となった。今回は、先輩と2人での出張だ。期待と不安を抱きながら、成田を出発した。ビジネスクラスによる旅はとても快適であった。またシンガポールエアラインもサービスが非常によい。民族服を着たスチュワーデスも素敵である。機内はゆったりとした座席。足を十分に伸ばして休む事ができる。各座席には小さなスクリーンがついており、映画や番組やゲームが楽しめる。食事もつまみから始まって、オードブルから食後のティラミスまでフルコースであった。また何度も何度もスチュワーデスが飲み物その他の面倒を見てくれた。成田からロスまで8時間のゆったりした飛行を堪能した。

私たちは、最初の目的地であるアトランタに向かっていた。ロスからアトランタまではデルタ航空の国内線で約6時間の飛行である。この国内線が結構ひどかった。特に、快適なビジネスラスに乗ってきた後だから、まさに天国と地獄を経験したようだ。小さな機体の古く薄汚れたエコノミー席は狭くて身動きができない。しかも、両隣を挟まれた3連席の真ん中。ソーダといっしょに出てくるつまみは味のないスナック。これがまずい。機内食も食べられるものではない。肉なのか油なのかわからない人工的な物体を挟んだパン(パン自体も何ヶ月冷凍されてきたんだろうとおもうようなぱさぱさの物体で味が無い)。あるいはまるで紙を食べているかのような味のする皮につつまれた料理や、ほとんどがひどく濃い味のケチャップといっていいソースがかかったこれまた人工的な味のするパスタ(というか小麦のかたまり)である。気分がげんなりしてくる。

われわれがアトランタについた夜は、ちょうどワールドシリーズが終わったときで、地元のブレーブスが見事優勝した。ホテルのシャトルの運転手も、「そうだ。ついにわれわれはチャンピオンなんだ」とはしゃいでいた。次の日はダウンタウンでパレードをするということであった。次の日、わたしたちは仕事を中断して昼近くにブレーブスの優勝パレードを見に行った。選手達が通る道の縁側には、どこからこれだけの人があふれてきたのかと思うくらいたくさんの人々が集まってきた。こんなに人があつまってパレードを見物しようとするする様子は人口密度の高い東京でもあまり見たこともない。なんと車の屋根にまでのっかって見ようとする見物人もいる。アトランタは黒人の比率が多く、またみんな体が大きいので、われわれはまるで普通の人達の中にいる小人のようだ。そしてしばらくしてパレードがはじまった。つぎからつぎへと鼓笛隊やチアリーダーが通過し、選手達が消防車のはしご者にのって手を振っていた。すごい歓声の嵐であった。

さて、話を仕事のことに戻そう。アトランタでは、2件のインタビュー調査を実施した。最初に訪れた一流コンサルティングファームM社のアトランタオフィスは、まさにこれが世界で最高峰の会社のオフィスなのだなあという感じのオフィスであった。最上階でエレベータを降りると、右手にはこれから訪れようとするMカンパニーの立派な玄関があった。

木目調の玄関は風格があり静かでピンとはりつめた空気がただよう。入り口の扉を開けて中に入ると、受付嬢が電話を片手に非常に早口で話をしている。彼女が電話をおき、我々を注視するのとほぼ同時に「○○からきた××です。ピーター氏に2時の約束でまいりました」とこちらから説明すると、間髪を入れず「はいピーター氏はすぐまいりますのでそちらのいすにおかけになっておまちください」と、早口であるがとても心地好いリズムで案内するとこれまた間髪を入れずに受話器を手にとるや「ピーターに○○の××さんたちがお見えです」と伝えた。受話器を置くとまたすぐに呼出音がなり受話器をとって例の早口で応対する「はいMカンパニーでございます。はい少々おまちください。・・・もしもし、ケリーさんはいますか。ケリーさんに○○様から電話です」。受付嬢のデスクの向かいにゆったりとしたソファーがあり、我々のほかにも少し先にきた男性が座っていた。つくえには軽いお菓子や雑誌類が置いてある。

待っているあいだも、M社の女性や男性がバインダーを抱えて廊下を行き来する。みな背筋を伸ばしシャキっとしていて、軽く乾いた足音を響かせながらかなり早足で歩く。日本の狭くて雑然としたオフィスでよれよれの背広をきた中年社員がやや疲れた表情であるいている姿とは大違いである。また日本の事務所では、なんとなくざわざわしている感じがするが、こちらはオフィス自体は静かで往来する社員の足音と時折鳴る電話の音、受付嬢のリズミカルかつスピーディーな応対が軽く響くのみである。

とりたてた海外経験のない、典型的な日本人である私にとって、今まで映画やテレビでしか見たことのないアメリカのビジネスマン、マネージャーの姿が、現実に目の前にあることに感激した。M社の受付嬢も早口でリズムのあるしゃべりかたをし、中にいるメンバーはみなせかせか、しゃきしゃきと社内を歩いている。これがまさにお客様から時間あたり最高レベルのフィーをいただく会社において、一人一人が貴重な時間を一秒たりとも無駄にしまいとタイムマネージをしている姿なのだと思った。

しばらくしてピーター氏があらわれた。「ハイ、私がピーターです。はじめまして。まあこちらへどうぞ。」彼に連れられて廊下を奥にあるいていく。中に案内されると、映画などでみたとおりの光景だ。窓側にはマネージャーの広い個室が、通路を挟んだ反対側にはセクレタリーがこれもまた広い机に囲まれて生き生きと仕事をしている。日本の会社のような、なんとなくだらっとした雰囲気とは大違いである。「うん、これは何かの映画で見たアメリカのオフィスの風景だ。あれは映画の世界の話ではなく、現実だったんだ」と思う。我々から向かって廊下の右側のオープンスペースには広いデスクに4方を囲まれたセクレタリーが何かキーボードをたたいており、向かって右側には一人一人の社員のための部屋がきちんと仕切られている。彼らはその中でゆったりと本を読んでいたり作業をしていたりする。このセクレタリーと社員の部屋の組み合わせがフロアー一帯に続いている。

そしてピーター自身の部屋に通された。るとそこには彼のための広いデスクとコンピュータ一式、本棚が備え付けられ、部屋の空いたスペースにはミーティング用のテーブルと椅子があった。「さあ座ってください。何か飲み物でも飲みますか。コーヒー? コーラ? 何でもどうぞ。お菓子もありますよ」「それではコーラをいただけますか」と言うと、「ローラ。彼らにコーラを用意してくれるかなあ。」とピーターは話しかけ、即座にセクレタリーがコーラを持ってきてくれた。

M社の社員もみな視線がシャープで若いのに非常に鋭い人や、風格があって渋い感じの人がいた。はっきりいってみなスマートである。名刺を交換してかるく自己紹介をしていると、かなり若めの社員が廊下を通りかかる。「やあマーチン。君も議論に参加しないか。」とピーターは彼を呼び寄せ、彼もテーブルに参加した。「実は今日おうかがいしたのもこうこうで・・・」と説明するとさすがはエリートビジネスマン、シャープな視線を投げかけながら、即座に鋭い受け答えをする。有意義な議論が展開され、我々は満足げにMカンパニーを出た。その後、ずっと飛行機の機内食だったので、そろそろまともな食事をしようということで、夜はガイドブックにのっている中華料理屋にいって北京ダックを頼んだ。これがあたりでとてもおいしかった。

アトランタを出て、トロントに入るときもハードであった。まだジェットラグから立ち直ってない疲れのなかで、再び小さく狭く小汚い飛行機に押し込まれ、出発は一時間近く遅れたうえにまた紙のような食事。わたしたちは2人とも顔がむくんで一言も会話を交わさないままあっけにとられていた。ピッツバーグ経由の飛行機であったが、最初は込んでいたもののピッツバーグからトロントはがらがらになった。おまけについたあとも寒い空港の中、税関では海外からの旅行者としての我々だけ別に通され、いろいろと聞かれててこずった。

トロントは予想通り寒かった。建物の中は全然平気であるが、一旦外に出ると凍りつくような寒さであった。ビルの窓ガラスから外を眺めると、寒さが外観をとてもクリアーにしている。遠くは霞んで見えなかったが天気がよければナイアガラの滝のしぶきがみえるそうである。トロントのビル街は摩天楼のようだった。その中にいくつかのスナックがあり、スポーツバーに入ってサンドイッチを食べた。サンドイッチといってもすごくビッグなものだ。

トロントで私たちが宿泊したRoyal York Hotel は、4つ星のホテルであるということで期待していたが、期待を上回るような立派なホテルであった。一泊だけ、しかも夜遅く到着したのが悔やまれるくらいだ。窓から見えるビル街も、11月を迎え一段と寒さが増した雨の中で風格があった。このような一流ホテルの一室で、こうしてくつろぎながら机のパソコンに向かっている自分の姿は何故か不思議な感じになってくる。世界を駆け回る一流ビジネスマンの姿にほかならないからだ。ホテルの部屋で残っていた仕事を片づけ、シャワーをあびてふかふかのベッドの中で眠った。ここちよい目覚めの朝をむかえ、優雅にブレックファーストを食べ、仕事に向かった。

その日の夜、わたしたちは、混雑のため降りられず、ニューヨーク空港の上空をぐるぐるまわっている飛行機の中にいた。次の目的地は、わたしがもっとも楽しみにしていた街、ニューヨークである。飛行機が1時間ほど遅れて8時にラガーディア空港にに到着したときには雨が降って薄暗かった。タクシーには行列が出来ており、止めどなくタクシーがやってくるが、行列もとめどなくつづく。パトカーやバスなどがしばしば通り、サイレンの音もひっきりなしに聞こえ、なんとなく騒々しい。嗚呼、これがニューヨークか、という感じ以外に表現のしようがない。あえていうならば、田舎からはじめて上京して、東京を眺めたときのような感じといっていいのかもしれない。

タクシーの中から、街並みを眺めると雨の振る暗闇の中で摩天楼のごときマンハッタンのビルの群れがギラギラと輝いている。ホテルにチェックインしてから、さっそくマンハッタンの街並みを歩いた。ブロードウェイのネオンもギラギラと輝いている。ニューヨークはまさに大都会という感じで、どことなく薄暗い雰囲気の中で、ニューヨーカー達がバーなどにたむろっている。カリフォルニアのような明るさはなく重々しい。決して人々がくらいというわけではないが、大都会の中に暮らす人々というか、何か独特の雰囲気を持っている。黒人の放す英語は速くてアクセントが独特で聞き取れない。

ある意味では人工の街として世界でもっとも進展したところであろう。街にはほとんど緑がなく、超高層ビルがところせましとそびえたっている。どのビルにいっても耳が痛くなるくらい高いところにエレベーターで登っていく。独特のニューヨーカーを生み出している街でもある。東京にくらべると建物は古くて重みのあるものが多い。とくに5番街。ミッドタウン・ロックフェラーセンターはまさしく摩天楼。さすが岩盤の上にあるニューヨークだけあってこれだけ高いビルがひしめいてそびえたつ姿は圧巻だ。旧パンナムビルが見えるあたりも風情がある。

地下鉄はおもったよりもきれいだし昼間はわりと安全である。学校帰りの中学生達が乗っていたりする。夜は、ブルーノートというジャズクラブにいってみた。夜も11時近くで初めてニューヨークに来た自分としては、夜に出歩くのは少々不安であったが、せっかくきたのだからとタクシーにのって街に繰り出した。最初はビレッジ・バンガードがあるべき場所でタクシーを降りてまわりを探したがよくわからず、結局ワシントンスクエアまで歩いてブルーノートに入った。ドリンク付きで総額50ドル近くと少々高かったが、ニューヨークにおける最もホットなジャズスポットでジャズを堪能できたから大いにもとは取れたであろう。観客はみなプレイヤーの演奏に酔いしれていた。曲が終わるたびに大きな拍手と歓声がわきあがった。夜11時半にライブがはじまり、1時近くに終了し、みな満足げに帰路についた。

ニューヨークは人種のるつぼというか、ほんとうにいろんな人達がいる。黒人は、リズムのある、しかしなかなか聞き取れない英語を話す。早口でなまっているので、なにをいっているのかまったく理解できない。また、5番街で優雅に買い物を楽しむ中年から初老の女性達、ゴミを収拾している若者の作業をそばでつったってジーッと見ている赤い野球帽をかぶった老人。多くの人々はかなりせかせかとした感じでストリートを歩いている。また、スマートで美しい白人女性がニューヨークには多かった。

さて、わたしたちの今回のプロジェクトは、非常に短い期間で完成させなければならないものであったため、限られた日程の中で足早に各都市をまわった。アトランタ、トロント、ニューヨークとまわり、最後の目的地であるLAに向かった。LAに降り立ったときの第一印象は、とにかく暖かい。東海岸とは全然違う。東海岸では、ここ数日ずっとどんよりとしたはっきりしない天気であったが、ロスについてからはからっと晴れ、冬もまじかだというのに、気温もかなり高く汗ばむほどである。街並みもどちらかというとスペインやメキシコといった感じでヒスパニック系が多く、白人が少ない。ラテン系の人やタクシーではインド人や黒人が多い。建物は全体的にひらぺったく広がっており、太陽の日差しで色あせた感じである。また、韓国人街がかなり広い範囲にわたって存在し、ハングルの看板がいっぱいある地域には、まるで韓国にいるかのような錯覚にさえおちいるかのようだ。

今回の出張では週末をはさんでいたため、仕事の合間の一瞬の休暇も楽しめた。ただ、最初にでかけた週末のダウンタウンはまったく人気がなく、物騒である。一人で出歩くには昼間であっても多少の恐怖感を感じる。次に、サンタ・モニカ・ビーチにいってみた。仕事できているのに、ここに来るとバカンスに来ているような脳天気な気分になってしまう。かるくビールを飲みながら、シーフードをつまみ、そよ風にあたって広大な海を眺めるのはとても気持ちがよかった。

今回の海外出張は、1都市に1日〜2日しか滞在せず、出張に費やした時間の約半分は飛行機の中にのっていたようなハードなスケジュールであった。しかし、満足した成果も得られ、わたしたちは晴れ晴れしい気分でシンガポール航空成田行き便に乗り込んだのであった。