コミュニティこそ日本の強さである

もともと日本人は、自分だけが幸せになろうとするのではなくて、共同体のメンバー全員が幸せになることを志向してきた。アメリカのように、がちがちの個人主義ではないのである。個人個人が明確な目標を持って、自己実現する、というのは確かに欧米的に見ると健全で理想的な人間像なのかもしれないが、アジアや日本人にあてはめた場合、必ずしもそうとは言えないだろう。日本の場合、個人の自己実現よりも、相互扶助によってコミュニティ全体が発展することに喜びを感じる人も少なくはないからである。こういった日本人の特質が、それが平等的な配分や、年寄りを敬う態度などを発展させてきた。つまり、コミュニティが力を発揮してきたわけである。

そして、戦後の日本の高度成長から経済大国に至る過程を振り返ってみるならば、日本の企業は、コミュニティを企業内に作ることによって成功させてきたのだと言えよう。つまり、村とか町内とかいった地域に根差したコミュニティではなく、企業という単位でもって、生活を共にするコミュニティをつくってきたのである。衣食住から冠婚葬祭まで丁寧に面倒を見て、まさに寝食を共にする仲間達を企業内で育成してきた。休みであっても社員旅行やら社員運動会やら、様々な工夫を凝らして、メンバーの連帯感と帰属意識を高めてきた。その結果、多くの日本人社員が、自社の発展と、同僚や後輩先輩との良好な関係性に喜びを見出し、長時間働くことが可能になったのである。

さて、バブル崩壊後、このような企業コミュニティが機能しなくなってきた。その原因としては、メンバーの忠誠心と努力、長時間労働だけでは業績が上がらない世の中になってきたことや、高齢化の進展で、年功を基軸とするコミュニティ内の富の分配過程に矛盾が生じるようになったということである。そして、コミュニティであるがゆえに、特定の仲間のみを追い出すということができず、その結果、全員が共倒れするという「企業破綻」があちこちで見られるようになった。コミュニティの特徴が弱点となってあらわになった形である。基本的に業績を向上させるためのスキルが欠如したコミュニティであるがゆえに、どんどんと含み損を膨らませる結果となり、破綻するまで放置するしかなかったのである。

では、日本のコミュニティは崩壊したのであろうか。それは違う。実は、日本の企業が業績を上げられるようになる基盤としての、新たなコミュニティが着実に育ってきているのである。そして、古い企業コミュニティが主役の時代から、新しいコミュニティが主役になる時代への移行が完了したときに、日本は再び強くなるのである。

新しいコミュニティとは何か。それは、企業外に存在する、プロフェッショナルコミュニティや、同じ趣味を持つ人々のコミュニティ、異業種交流のコミュニティといったものである。つまり、日本の競争力を回復させていくと思われるコミュニティは、企業内ではなく、企業外で大きく広がってきているというわけである。こういったコミュニティの発展に寄与しているのが、いうまでもなくインターネットの発達である。インターネットの発達によって、地理的制約を超えたコミュニティ内の交流が可能となっている。

例えば、仕事をしていても、PCからメールやチャットで他のメンバーと会話できる。仕事でわからないことがあれば、プロフェッショナルコミュニティの専門化にちょっと聞くことができる。場合によっては、社内の同僚としゃべっている時間よりも、インターネット上のコミュニティ内で会話している時間のほうがはるかに長いという現象が起こってくる。企業内コミュニティと違うところは、特定のスキルに特化したプロフェッショナルコミュニティが存在すれば、そこでメンバーが知識や情報を交換しあうことによって、スキル自体が向上するということである。企業内コミュニティは、チームワークを重視するために、どうしてもゼネラリスト的コミュニティにならざるを得ないが、特定のプロフェッショナルコミュニティであれば、その必要はないのであるから、企業業績を向上させるためのスキルが、マクロ的に見てもこれまで以上に向上していくことが期待される。

日本企業の多くが、社内コミュニティを維持する政策から脱却し、日本人の強さの源泉であり、日本人の安らぎの場所であり、日本人の心の支えであるコミュニティが、企業外に確立されることによって、これまで低迷を続けていた日本は再び立ち上がるに違いない。