成功事例と失敗事例の非対象性

最近、なんとなく昔のビジネス書を見つけてページをぺらぺらめくってみることがある。そして感じるのが、中身はなかなか良くて、もう何年もたった後で読み返してもなんとなく本質を突いているような議論が展開されているのに、その内容を補足するために使われている成功事例が、いまの時点で読むと苦笑いせざるをえなくなる場合だ。例えば、そごうやヤオハンの経営内容を賞嘆しているようなケースである。そのほか、バブル期の都市銀行の戦略をむしろ優秀なものとして紹介したり、インターネット関連の急成長企業を紹介したり、優良企業と思われていたのに、不祥事によって一瞬のうちに消滅してしまった企業の、昔の成功事例など、探せば枚挙にいとまがない。それらが紹介されている本を読むと、とりわけ良い本の場合は、内容はいいのにもったいないなあと思ってしまう。そういった成功事例が入っているゆえに、その本が時代を超えて何度も読み返されるかもしれないという可能性を自ら葬りさってしまうわけであるから。もちろん、単に時代の流れに乗るだけの一発屋的な本であればいいのだろうが、その場合は、新聞や雑誌の記事をそのまま貼り付けたような事例であったり、内容自体も薄っぺらいものだったりするのである。

そのように考えると、経営関連の書物でよく使われる企業の事例については、成功事例と失敗事例の間にはある種の非対称性があることに気づく。成功事例と失敗事例の非対象性とは、成功事例の場合、後でその企業が何らかの形で失敗したり、没落していったりする場合には、その事例自体の魅力が急速に劣化するという性質を持っているのに対して、失敗事例のほうは、そういった事例自体の魅力が、当該企業のその後の動きによって急速に色あせるということが少ないという性質の違いをさす。であるから、とりわけしっかりとした経営書やビジネス書を書く場合には、失敗事例に比べ、成功企業の事例を選択するのには細心の注意を必要とするのである。

もう少し詳しく説明しよう。成功事例が載っている場合、当時は誰もが疑わない成功企業を事例に載せるわけであるから問題はないように思えるのだが、その企業が数年後に失敗したり、もう成功企業とはいえなくなったり、逆に失敗事例として考えた方がよいという見解になる場合がある。というか、そもそも盛者必衰の法則を考えるならば、いつまでたっても成功し続ける企業などないことは明らかである。しかし、その場合には、必ずといっていいほど「あなたが成功事例としてあげた企業はいまどうなっていますかね。失敗していますよねえ」と、鬼の首を取ったかのように声高に批判したり皮肉をいったりする人々が現れてくる。そして、そのような事例を採り上げた者は全くのくわせ者だったという結論に持っていく。成功事例として採り上げられた企業がこけるとなれば、チャンス到来と見て「そら見たことか、だから私ははじめからいかがわしいと思っていたのだ」という論調をとるわけである。

ところが、失敗事例の場合には、こういったシナリオは起こりにくい。失敗した企業というのは、成功企業に比べて「失敗」という事実がより明確である。例えば、情報の漏洩や事実隠しなどの企業不祥事であれば刑事事件にまで進展する場合も多いわけであるから、明らかに誰の目から見ても失敗事例として捉えることができる。そして、その企業が、逆に将来優良企業に変身したとしても、先にあげた失敗事例はそのまま妥当性のあるケースとして認められつづける。つまり、失敗したとしても、その後にうまくいく企業はあるのだし、失敗から多くを学んで成功につなげるというケースもあるのだという感覚は多くの人にあるから違和感がないわけだ。また、失敗事例の場合、その企業自体が倒産などによって消滅してしまう場合がある。その場合には、もう二度とその企業が優良企業として世間の目に触れることはないわけだから、後になって、あの企業はいまでは優良企業じゃないか、だから決して失敗なんかじゃないぞと責められる可能性も少ないわけだ。

したがって、世間一般あるいは学識者は、成功から失敗に至る場合には手厳しくそれを非難し、失敗から成功に至る場合にはむしろ賞嘆すらする。よって、成功事例を採り上げる場合には、それを書いている時点では適切なものであったとしても、後になって厳しい攻撃対象となるリスクを常に負うのに対し、失敗事例を採り上げる場合には、その事例が明らかに事実誤認であったり間違っている場合を除けば、後になって攻撃される可能性がかなり少ないといえるのである。

成功事例と失敗事例の非対称性は、イメージするとすれば、空を飛ぶ飛行機のようなものである。上昇に関しては天井がないのに対して、下降する場合には必ずどこかで地上にぶつかりクラッシュする。クラッシュした場合はいわゆる企業の死を意味するので、復活する可能性はない。クラッシュする前に復活できたらそれはむしろ過去の失敗が美化され、「成功につながった失敗」「失敗から学ぶ」というように、事例自体が新たな価値を獲得するチャンスさえある。しかし、上昇の場合には天井がないわけであるから、いつまで上昇し続けても、誰もが疑わないような完璧な成功事例というような終着点がない。どれくらいの上昇点であっても、それが成功事例であるかどうかに関しては微妙であるといえる面もある。そして、後になって企業が下降するリスクは常にあるということであり、下降を始めれば攻撃の対象となることは目に見えているわけである。

それでは、成功事例と失敗事例の非対称性を考慮に入れるならば、成功事例など採り上げずに、失敗事例のみを多く採り上げるほうがよいということになるのであろうか。紹介する側から見れば、それは自分自身のリスクマネジメントという立場からは妥当な戦略かもしれない。失敗事例であってもそこから多くのことを学ぶことができるわけだし、読者にとっても価値があるには違いない。けれども、成功事例はなくても良いのか。そんなことはない。むしろ大事なのは、成功事例を紹介する側、読む側の両者とも、成功事例、成功企業についての、正しい認識を持つことが大事であるということなのだろう。一言でいってしまえば、盛者必衰の法則をいまもって再認識することである。永遠に成功しつづける企業などないということ。だから成功事例として採り上げられた企業が将来没落しても別に驚くには値しないということである。それを十分に認識した上で、成功しているとされている事例からできるだけ多くのことを学び取ることに注意を集中させ、その企業が将来どうなるのであれ、それによって当該事例や紹介者を攻撃することはしないということである。そのことをわきまえ「いまこの状況で最善を尽くすにはどうするべきか」ということを、成功事例から学び取るのがよいのではないだろうか。