金融技術と選択型報酬制度

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金融技術が人事報酬を変える

将来の人事報酬は、金融技術の恩恵を強く受けることになろう。近年は金融技術が高度に発達し、キャッシュフローを様々な形に変換したり、財務リスク管理を適切に行うなどの諸技術が蓄積されつつある。これらの技術は、必ずしも金融機関や企業の財務部門だけにとどまらず「企業の財務価値を最大化する」という原則のもと、経営の様々な分野に適用されるべきである。また、人事報酬は、人的資源管理の中でも直接キャッシュに関わる部分である。つまり、人事報酬は、財務と人事を結ぶ媒体としての役割を持っている。

また、昨今からストック・オプションやカフェテリア・プランなどの手法が紹介され、そういった動きに対応した規制緩和も進んできており、財務リスクマネジメントの視点等から人事報酬の柔軟な運用をするためのツールや制度が整いつつある。現在の日本は、法律面、制度面でまだ過渡期であるといえるが、この動きは今後さらに進むだろう。

財務リスク概念のなかったこれまでの人事

日本における従来の右肩上がりの経済では、企業の売上や業績が成長していくことが前提となっていたため、業績が変動する、従業員が高齢化する、といった、人件費に関する財務リスクに鈍感にならざるを得ない状況であった。しかしそれが現在の様々な問題の原因となっているのは明らかである。したがって、将来はこれまで欠けていた財務リスクの概念に敏感にならざるをえない。採用や昇進のやり方を含めて、現在の人事管理の運用をそのまま続けたら将来どうなるか、といったシミュレーションは、リスクを認識する一つの手段である。多くの企業が、業績の変動に対して固定的な人件費がリスク要因になっていることに気付くだろう。将来は、資金管理は財務部、賃金は人事部、といったような棲み分けはなくなり、ファイナンス的な側面、マネジメント的な側面を含めて、人的資源管理、人事報酬を総合的に考えることが必要になってくる。それでは、財務リスク管理の視点を加味した人事報酬とはどういうものなのか。

株価志向と能力主義・成果主義

近年になってようやく日本でも、ROE経営やキャッシュフロー重視の経営といった、株主価値を重視する経営が認知されてきている。これらは当然人件費にも適用されることとなる。その結果として、企業財務的に望ましい業績を追究する一環としての能力主義あるいは成果主義の処遇制度といった動きが見られるのは周知の通りである。しかし、日本企業において、能力主義、成果主義を強調しすぎるのは行き過ぎであろう。確かに、グローバル・スタンダードの視点から、成果主義賃金を採用するという考え方はあるが、それが日本の風土にぴったりと合わないことは確かである。実力主義・成果主義は、人件費を変動費化したい企業側のニーズを全面的に押し出した形であり、価値創造の源泉であって内なる顧客としての従業員のニーズを深く考えていないといえる。実力主義・成果主義は必ずしも日本人の持つ価値創造能力を発揮させる方向に働くとは言えないのだ。

キーワードは「選択型」

それでは、どのような報酬体系が望ましいのだろうか。その1つの答えは、従業員に対する企業のニーズおよびリスク、そして従業員1人1人のニーズおよびリスクを両方考慮した上で、そのリスク/ニーズの均衡点が見つかるような報酬にすることである。特に、企業が1つに対して従業員は多数であるため、従業員のリスク/ニーズは個々によって違ってくる。したがって、従業員自身が自分の報酬パッケージを自由に選べるものにするのが望ましいのである。人事報酬は法制度的にはまだ過渡期にあると言える。しかしながら、将来的な人事報酬のトレンドは「選択型」になるだろう。これは、従来の制度が主に企業側のニーズに基づいて設計されていたのに対し、企業側のニーズと人材側のニーズの両方を満たすことのできるタイプである。

選択型人事報酬のエッセンス

選択型人事報酬は、従業員が自ら複数のオプションから自分の人事報酬形態を選択し、組み合わせることによってパッケージ化するものである。金融機関が複数の金融商品を用意し、個人がその中から自分の好きな金融商品を組み合わせて自分の資産ポートフォリオを作るのに似ている。カフェテリア・プランが主に福利厚生制度に適用されているのに対し、選択型人事報酬は、賃金を含めた報酬全体に適用するものである。これを実現させるために必要なのは、企業が人材に対して複数の魅力的な報酬パターンを提示できること、その水準が財務リスクの視点に立っても適正な価格であることである。

選択型報酬の要素は、大きく分けると2つに分類できる。業績連動型と固定型である。それぞれについて、いろいろなタイプのものが考えられる。

業績連動型 → 全社業績連動型 → ストックオプション、EVA連動型等

        部門業績連動型 → 部門EVA連動型、職責給

        個人業績連動型 → インセンティブ給、歩合給

安定型   → 逓増型     → 年功給、年齢給

        固定型     → 固定給、職務給

ここで、人事報酬を金融商品にたとえて考える。様々な報酬形態は、様々な金融商品のように、企業あるいは従業員にとって、それぞれ特徴とリスクがある。個人は、それぞれの報酬を組んでポートフォリオを作り、それを管理する。企業は、それぞれの報酬からなる全体ポートフォリオのリスクを勘案した上で、適正な水準を決定する。

企業および人材のリスク/ニーズの整理

人事報酬は、企業と人をつなぎ合わせる媒体である。企業は囲い込んだ人的資源を操作する主役として捉えられてきたが、これからは個々の人材が主役となる。企業は個々人が力を合わせて、インフラを利用しながら経済価値を生み出す「場」と役割が変わっていくのだ。そういった場における人事報酬は、企業側にとっては人材に対するニーズを満たすと同時に、ファイナンシャル・リスクを回避し、人材側にとっては、ライフスタイル・価値観からくるニーズにあった報酬を受け取ると同時に、ファイナンシャル・リスクを回避する役割を与える。

会社は一つなので、リスク/ニーズは一つとなるが、従業員側は複数なので、当然、リスク/ニーズは多様化する。例えば、仕事のやりがい自体が報酬となるので金銭的報酬は安定型でも良いという人もいるだろう。逆に、年収が変動するリスクは負っても、業績に見合った報酬を希望する人材もいるだろう。あるいは、年収が一定以下に下がらないという下限の保証がついたうえで、業績が伸びた場合には相当分の報酬の増加が欲しい人もいるだろう。

エージェントの概念を用いた理解

人事報酬システムの中に、エージェントという概念を導入し、ファイナンス的なリスクマネジメント機能を、エージェントが引き受けると考えてみよう。基本的仕組みを簡単に表すと以下のようである。

  • 企業側は、業績に連動する変動費という形で総額人件費を捉える。毎期、変動キャッシュフローを報酬として放出する。
  • 人材側は、ライフスタイル・価値観によって報酬ニーズが異なる。例えば、業績連動型を望む者もいれば、安定した報酬を望む者もいる。
  • エージェントとしての報酬制度は、お互いのリスク・ニーズの均衡点を探しだし、両者が納得するようなキャッシュフロー変換を行う。
  • その結果、報酬制度は、報酬に関するいくつかの選択肢を、金融商品のように人材に提供できる。人材は自分のニーズに応じてその商品を組み合わせる。

報酬設計イメージ

エージェントが、人事報酬に関わる、キャッシュフローの変換や財務リスクのマネジメントなどを、高度な金融技術を用いて一括して引き受けるというスキームを用いて、エージェントが行う選択型報酬の設計イメージを簡単に示してみる。まず、企業としては毎期に拠出する人件費を変動費としてとらえる。すると、将来の人件費は将来の業績に連動する形で把握できるため、過去の実績その他の要素を考慮することにより、将来人件費の確率的な期待値、および変動度合いを推計することができる。図に表現されているように、業績が予想以上に良い場合と、業績が予想以上に悪い場合を含めた、変動の幅が推計できる。

将来の業績変動から導かれる総額人件費

年功的な報酬等で人件費が固定費化している場合、将来の総額人件費の変動を実現することはできない。逆にすべての報酬が成果主義の場合は、総額人件費の100%をカバーすることができる。選択型人事報酬の場合は、業績連動型の報酬が、変動のどれくらいをカバーできているかを把握し、固定型の報酬総額から、人件費の将来変動に対する保険としてのリスク・プレミアムを毎期一定額差し引いたものを、従業員に分配することになる。

固定・変動を従業員が自分で組み合わせるとすると、全体として、固定・変動の割合が推計される。そのうち、変動部分は、企業の総額人件費のリスクを吸収することになる。一方、固定部分は、変動リスクにさらされる。したがって、将来予測される変動幅を考慮に入れた上で、固定部分の設計がなされる。イメージ的には、固定給のバッファは、一定の保険金をファンドにあずけることによって、将来の損失に備える。固定給原資については、毎期の業績からのキャッシュフローから、リスクプレミアムを差引く。差し引かれたプレミアムは支払準備にあてる。業績が悪化した場合は支払準備から補填する。

エージェント部分のアウトソーシング

エージェント部分のアウトソーシングというスキームも考えられる。実際はそれぞれの企業がそれぞれの従業員に報酬を支払っていることになっているが、実際は仲介エージェントがキャッシュフロー変換を代行している。(企業は毎期変動キャッシュフローを支払原資として拠出し、エージェントが報酬形態に応じた様々なキャッシュフローに変換する。)エージェントは、企業から毎期キャッシュフローを受け取り、個別の報酬に変換して人材に渡す。また、単なる賃金計算のアウトソーシングではなく、企業と人材のリスク仲介機能を持つ。複数企業にまたがるエージェントの有利な点は、固定費から差し引かれるリスク・プレミアムが、他企業の固定費原資が不足している場合に一時的に貸し付けることができるというものである。このような相互扶助的な運用が可能となる。

最後に

本稿で示した選択型人事報酬は、ファイナンス的な視点に立って、個人が自由に選択・組合せが可能な報酬制度を、一種の金融商品になぞらえたかたちで表現した。当然、賃金には労働の対価といったような要素以外にも、動機づけやマネジメントとの関わりで議論・設計されるべきものであることには変わりはない。しかしながら、将来労働市場が流動化することによって、一定の仕事に対する報酬の相場が形成され、企業が賃金水準そのものによって差別化することができなくなってくるならば、いかにして企業そのものの人件費リスクを回避し、かつ従業員にとって利便性の高い報酬システムを提供できるかが、企業の魅力度を高める要因にもなってくる。もちろん、年功的な運用の結果、現在能力以上に固定給をもらいすぎている場合、それを将来にわたって維持することは難しい。同じような固定給を希望する場合は、おそらく相場が低い水準に落ち着いてしまうだろう。それを穴埋めするためには、業績連動型の報酬を自ら選択して組み入れることである。そういった選択の裁量の余地がある分、強制的に成果報酬に移行するよりはマイルドだ。