人事組識レポート1

わが国の苦情処理制度

わが国では、実力主義、成果主義といった言葉に象徴されるように、終身雇用と年功序列を基軸とする一元的な人事管理から、人事管理の個別化、処遇の個別化への志向を強めている。同様に、わが国全体の成長率の低下と少子高齢化が従来の人事管理形態にもたらす人件費の固定化および負担増大を回避するために、先程述べた個別化による人件費の変動費化に加え、新卒採用の抑制、早期退職者優遇制度などによる雇用調整、正社員の数を減らす一方、派遣労働者や外部人材、アウトソーシングを積極的に活用していこうとする労働の外部化への志向が高まってきている。

このようなわが国の人事管理の変遷の中においては、従業員と経営とのあいだに軋轢が生じる頻度が高まってくることが予想される。特に、処遇の個別化の根拠となる人事考課や査定に対する不平・不満や苦情が増えてくると思われるため、こういった従業員の態度や行動、ひいては業績にネガティブな影響を与えかねない要素に対する対策を準備しておく必要がある。従業員にしてみれば、雇用の保証が約束されず、自由と自己責任において能力の向上やエンプロイヤビリティの向上を図らねばならなくなってくれば、おのずと、企業の支援体制に対する要求が強まってくる。企業側にしても、人員調整の自由度が増してくると、解雇権の濫用など、従業員側に不利益を与えるような行動が起こる危険性も増してくる。このような文脈の中で重要度を増すと思われるのが、職場の問題解決を図るための個別的な苦情処理制度である。苦情処理制度とは、一般的に賃金、配転、日常の作業条件等についての、個人労働者の苦情を解決するための労使代表で構成される制度であると概念される(日本労働研究機構1995)。

日本労働研究機構(2000)が従業員数1000人以上の企業を対象に行った調査によると、企業内労使関係の今後の変化として、「個々人の処遇や評価 をめぐる苦情への対応の必要性が高まる」「会社と社員との個別的な雇用関係の比重が高 まる」という項目について「大いにありうる」とする企業が多く、「大いにありうる」と「ありうる」の比率の合計 は、50%を超えていたと報告されている。また、同調査によると、今後労使関係の悪化がありうると回答している企業ほど、今後の個別苦情処理の必要性があると回答していることが明らかになっている。つまり、さきにも述べたように、今後、企業の人事管理の個別化が進展するに伴い、個別化の根拠となる評価や査定、およびその結果としての処遇をめぐって、個人と企業あるいは労働組合と企業といった労使関係における軋轢が高まる可能性が予測され、そのような軋轢を予防あるいは解決する手段として、個別苦情処理の必要性が認識されてきていると考えられよう。

それでは、わが国の企業における苦情処理制度の実態はどのようなものであろうか。社会経済生産性本部(2002)の実施した調査によると、企業の人事評価や査定に対する苦情処理制度の導入率は年々増加しており、2001年に行なわれた調査では、回答企業のうち、36.6%が導入していると答えている。同機関が行った1998年の調査では31.1%、1999年の調査では33.8%であった。また、年俸制を導入している企業に限定すると、導入率は44.1%とより高くなっている。苦情処理制度の仕組みについては、労働組合に苦情処理窓口が設置してある企業は45.2%ともっとも多く、ついで、個別に再度上司とじっくり話し合う機会を持つ(37.9%)、会社側に苦情処理機関が設置してある36.3%、となっている。苦情処理の内容については、労働省の「労使コミュニケーション調査」では、男女とも「日常業務の運営に関する苦情」、「作業環境に関する苦情」、「賃金労働時間等労働条件に関する苦情」、「配転出向等に関する苦情」、「福利厚生等に関する苦情」などが多く、男子労働者で「昇進昇格等に関する苦情」、女子労働者で「人間関係等に関する苦情」が比較的多い(日本労働研究機構1995)。

しかし、自社の苦情処理制度に利用のしさすさについては、あまり申告しやすくない(36.3%)、かなり申告しにくい(9.7%)と、46%の企業が、使い勝手がよいとは考えていないようである。労使コミュニケーション調査によると、回答者のうち、「実際に救済・解決に至ったものが多い」が26.0パーセントで、「話を聞いて納得したものが多い」が、33.3パーセントであり、一方「解消されない苦情が多い」は2.8パーセントとなっており、苦情処理制度が十分機能していると考えている人々の比率はあまり高くなさそうである。また、同調査では、過去3年間苦情処理を扱ったことがないものが51パーセントも存在するとの指摘もある。 

これまで、わが国においては、従業員に何らかの苦情が生じた場合には、非公式な形で直属の上司に相談するケースが多かった。連合総合研究所が行った1998年に行った調査によると、従業員がかかえる苦情のテーマは、処遇面に関するものが多いが、こうした苦情を処理するために公式的な苦情処理手続ルートをたどる場合は少ないとされる。また同報告書では、実際の苦情処理規定発動はまれであるとしたうえで「苦情処理規定の発動は問題が表面化したということで、それはすでに苦情処理の失敗を意味している。」との主張が多いとする。むしろ、公式の苦情処理規定にも他の手段では解決できない場合の「最後のよりどころ」としての意義が残っていることを示唆している。

しかし、人事制度・処遇の個別化の進展、実力主義、成果主義の浸透してくると、個別化の根拠となる評価、査定を行うのは多くの場合が直属の上司ということになり、上司が部下の業績を正確に評価したり査定したりする必要性が強くなってくる。そうすると、従業員としては、これまでのように、どちらかというと年功を基準に、職場の仲間が仲良く同時に昇給、昇進していくという環境ではなくなるため、職場内の処遇格差にもつながる評価や査定に関する苦情をやすやすと直属の上司にぶつけるわけにもいかなくなる。そのため、このような不平・不満をどこかに相談し、苦情を解決する公式な手段としての苦情処理手続の存在意義がより高まってくると考えられる(樋口 2001)。このことは、先に挙げたように、年俸制の導入企業ほど、苦情処理制度の導入比率が高いことと整合性がある。つまり、より厳密な評価や査定、しかも公平性や納得性を維持しながらそういった評価を行っていく必要性にせまられている企業ほど、苦情処理制度の必要性を深刻に受け止めていると考えられる。

以上をまとめると、わが国の企業が、人事制度の個別化、処遇の個人間格差、雇用の柔軟化への志向を強めているのに伴い、個人間格差の根拠となるべく人事評価や査定の公平性、納得性を高め、評価や査定に対する従業員からの苦情を何らかの形で解決する手段として、苦情処理制度の導入が高まってきているといえる。しかし、実際の運用面でみると、使い勝手のよさという面では、まだ十分ではないため、苦情処理制度の効果を高めるための課題が多く残っていると考えられる。

ただ、苦情処理の効果性については、苦情処理が実際に使われていない、苦情件数が少ないことをもって、苦情処理制度が効果を挙げていないと結論づけるのは早計である。まず、苦情処理制度が頻繁に利用されるということは、苦情そのものが多い職場であることも示唆するため、そういった状況が望ましいわけではない。むしろ、苦情が少ない職場であるからこそ、苦情処理制度が実勢には利用されていないという形のほうが理想であろう。また、苦情処理制度の存在自体が、職場の従業員の精神面に与える影響も考える必要がある。つまり、いざとなったら苦情処理を利用することができるという意識が、従業員に安心感を与えることになるであろう。また、また企業側あるいは労使間の取り決めとして、従業員の苦情に関して積極的な解決を図っていこうとする意向を従業員が読み取ることによって、職場への信頼度が増すという効果も考えられよう。

Lewin & Peterson (1988) は、苦情処理手続の効果性指標として、(1)苦情処理数、比率、(2) 苦情処理手続き上のステップの到達度、(3)苦情処理の迅速性あるいは紛争解決までにかかる時間、(3)調停まで進む比率、(4)苦情処理の方法に関する公平性、納得性の認識、(5)経営、労働組合などにとっての重要性の認識、を挙げている。要するに、苦情処理手続の効果を議論するにあたっては、苦情処理件数などの偏った視点のみならず、最終的に企業の業績や従業員の健全性にどれだけ役にたっているかという視点で総合的に判断するべきであると考えられる。

出所

  • 社会経済生産性本部(2002)「第5回 日本的人事制度の変容に関する調査」財団法人 社会経済生産性本部 雇用システム研究センター
  • 日本労働研究機構 (2000)調査研究報告書 No.133 新世紀の経営戦略、コーポ レート・ガバナンス、人事戦略 2000年
  • 日本労働研究機構 (1995) 調査研究報告書 No.65 個別紛争処理システムの現状と課題
  • 樋口美雄(2001)「人事経済学」生産性出版
  • 連合総合研究所(1998)「職場の苦情処理に関する調査」
  • Lewin, D. & Peterson, R. B. (1988). The Modern Grievance Procedure in the United States. New York: Quorum.