適材適所と成果主義のパラドクス

近年とみに指摘されるのが、「日本的人事管理の特徴でもある年功主義と終身雇用の両立を維持することが困難になっているが、企業は終身雇用あるいは長期雇用は維持したまま、処遇を年功から実力主義あるいは成果主義に変えていく傾向が見られる」ということである。つまるところ、ドラスティックな雇用調整よりも、現在いる従業員の有効活用の努力をしながら、処遇の仕方を、より高い成果をあげるものが報われるようなかたちにすることによって、従業員の活性化と人件費の変動費化の両方を推し進めたいという理屈である。ここで鍵となってくるのは、従業員がもっとも力を発揮できるように、適材適所を心がけるということである

さて、かりに日本型人事がこのような方向で進むとして、問題となるのは、処遇の仕方を、能力主義にするのか、成果主義にするのかということである。議論を簡単にするために、ここでは、能力主義を「従業員の潜在能力に対する処遇」とし、成果主義を「従業員の顕在化された実績に対する処遇」と定義しておこう。

このような問題を考える際に、慶応大学の樋口教授の「人事経済学(樋口義雄著・生産性出版 2001年)p94-100」が、本質的な視点を提供してくれる。結論からいうと、成果主義はバツで、能力主義すなわち職能資格制度のようなかたちがベターだということになる。なぜなら、適材適所と成果主義を併用すると、とんでもないことになる可能性があるからである。以下に、樋口教授の指摘するロジックを、ケースを使って紹介しよう。

ある会社に2人の従業員、田中さんと佐藤さんがいるとする。まず、企業経営の視点から、田中さんと佐藤さんを、新規開拓営業と技術営業のどちらかに配属しなければならないということになっている。

その前に、田中さんと佐藤さんの能力について見てみる。潜在能力で見た場合、田中さんのほうが、佐藤さんよりも優れていることがわかっている。つまり、潜在能力で処遇する職能資格制度をとっている会社なら、おそらく田中さんの方が、佐藤さんよりも多くの給料をもらうことになる。

次に、田中さんと佐藤さんが、それぞれの仕事を任された場合に、どれだけの成果を出しうるかということを見てみると、田中さんは、新規開拓営業をやらせたら、10ポイント分の成果をあげられることがわかっている。一方、技術営業のほうは不得手で、6ポイント分の成果しかあげられない。田中さんは、自分の力を十分だせるのは、新規開拓営業だということになる。次に、潜在能力で田中さんより劣る佐藤さんの場合、新規開拓営業をやらせたら、8ポイント分の成果をだすことがわかっている。ところが、技術はまったくだめで、技術営業をやらせると2ポイント分しか成果をだせない。

ここでは問題を簡単にするために、企業は田中さんと佐藤さんを、2つの仕事のどちらかに配属する以外に選択肢がないと考える。外部から、最適な人材を採ってくることは、終身雇用を維持しながら既存の人材の有効活用を図るという方針に反する。企業が収益を最大化するべき配属はどちらであろう。まず、新規開拓営業田中さん、技術営業佐藤さんにしてみると、企業収益は(10+2=12ポイント)となる。次に、新規開拓営業佐藤さん、技術営業田中さんにすると(8+6=14ポイント)となる。この結果、企業としては、報酬の原資にもなる企業収益を最大化するためには、新規開拓営業には佐藤さんを、そして技術営業には田中さんを配置させるべきだという答えになる。そのほうが、従業員の給料の原資となる企業収益が増えるので、給与総額も増えて、社員がハッピーになる。

つぎに、給与原資の分配方法として、個人の給与をどう決めるか。ここで、潜在能力に応じて支払う職能給、成果主義にしたがった成果給の2つの選択肢がある。近年のトレンドからいったら、企業は、職能給を廃止して、成果主義を取り入れた成果給を選ぶであろう。また、不公平感を生み出さないために、成果給の根拠となる業績の測定も、精緻なものにして、正確に成果が図れるようにしたとしよう。つまり、絶対的な成果に対して、それに応じた報酬をきちんと払うシステムを整えたために、成果の測定のしかたとかには文句がでないようにしたのである。

田中さんと佐藤さんの給料はどうなるであろう。話をややこしくしないために、予想とおなじ成果をあげられたとすると、田中さんは、6ポイントの成果なので、成果給は6ポイント分支払われる。一方、佐藤さんは8ポイント分支払われる。なんと、成果主義にしたために、潜在能力で劣る佐藤さんのほうが、田中さんよりも多く稼ぐことができるようになってしまった。田中さんの潜在能力は、スケールを合わせれば(10+6)/2で8ポイント分であるのに対し、佐藤さんは、(8+2)/2=5ポイントだからだ。本当にこれでいいのだろうか。田中さんのほうが、佐藤さんよりも高い処遇をされるべきではないのだろうか。

成果主義は、潜在能力で処遇するのではなく、ちゃんと顕在化された成果で処遇すべきであると説く。しかし、潜在能力の高い田中さんは、新規開拓にまわえば10ポイント分の成果をだし、その分の給料を受け取るチャンスがあった。しかし、会社の辞令によってそのチャンスがもらえなかった。

しかも、単に会社からのいやがらせなど、理不尽な理由でそうなったわけではなく、安定雇用を死守しながら、既存人材の有効活用によって会社の収益を最大化するという、論理的にも正しい正論によって田中さんが技術営業に配属されたのだ。だから、田中さんはますます気分がわるい。ある意味、田中さんは、佐藤さんの短所をカバーしたという目に見えない功績もある。佐藤さんの短所は、技術営業に配属されなかったので顕在化されなかったから、処遇には反映されずにすんだのだ。これは、田中さんが佐藤さんになんらかの手助けをしたというような具体的な行動として現れていないので、まったくもって潜在的な功績なのだ。その結果というか恩を徒で返されるような結末というか、佐藤さんは間接的に短所をかばってくれた田中さんよりも高い給料を得ている。

このように、会社が、技術営業に自分を配属したことが理不尽だと責めることもできなく、しかも田中さんは佐藤さんよりも能力が高いのに、それ以上の報酬を得ることができなくなったことがわかってモラールダウンしてしまうのである。このようなケースを考えた場合、本当に実力のある人に報いるためには、潜在能力に応じた処遇をしたほうがよいという結論になるのである。