今、改めて人事異動を考える

ナットウ型組織の競争力

人事異動は、内部労働市場型である日本企業にとって、非常に重要な機能である。よく、日本的経営の三種の神器と呼ばれるものに、終身雇用、年功序列、企業内労働組合というのがあるが、確かに人事異動が、終身雇用という慣行と関連していると考えられるにしても、人事異動をその中に入れなかったのは、日本的経営を研究した外国人経営学者らの大きな過ちであったかもしれない。

それでは、何故今になって人事異動なんていう話題を真剣に考えるべきなのか、それは、時代がナレッジマネジメント重視に向ってきているからである。多くの評論家が、これからは知識が中心の社会になってくるといい、そして欧米企業ではナレッジマネジメントが発達し、日本も、それを輸入しようと躍起になっているとさえ見える。

しかし、ナレッジマネジメントという視点から、改めて日本企業の特徴を見直すならば、まさに「人事異動」は、「アナログ版ナレッジマネジメント」ということがいえるのである。そして、人事異動を取り仕切る「人事部」は、ナレッジマネジメントにおける管制塔、あるいは集中コントロールセンターといってよい。しかし、いくら中央センターといっても、ホストコンピュータと端末の関係のように、そこにすべてのナレッジが人事部に集中しているということとはまったく意味がことなることに注意しておきたい。ナレッジはあくまで企業全体に散らばっているのであり、企業全体のナレッジの蓄積とそれの企業競争力への変換に強く寄与しているのが、人事部が中心となって行う人事異動である、という点である。

そして、ここで強調しておきたいことは、アナログ版ナレッジマネジメントとしての人事異動は、日本にしかできない芸当でもある、ということである。

それは何故かというならば、主に欧米企業の人と人との関係は、あくまで線でつながったネットワークである。しかし、日本人同士の関係はそれ以上のものがある。それを、私は、そういった関係によって成り立つ日本の組織を、「ナットウ型組織」と名付ける。

納豆嫌いの関西の人には申し訳ないが、納豆は、かき混ぜるとだんだん粘り気が出てきて、柔軟かつ全体が一体化したようなものになる。その粘り気は栄養でもあり、私たちのパワーの源泉にもなる。一つ一つの納豆の粒は、線によるつながりというレベルを超え、切っても切れないような強い関係に発展する。これが日本人同士のつながりの本質であると私は主張するのである。欧米人の人と人とのつながりは、いくらかき混ぜてもあくまで、ネットワークのままであり、ナットウのようにねばねばにはならない。

日本企業における人事異動は、多くの場合、年に何回というように、定期的に行われる。これは、定期的に人材をシャッフルしているのであり、納豆をかき混ぜつづけているようなものである。それによって、企業内で様々な人材が出会い、それが職場においても新しい風を読んだりしてマンネリを解消する手段にもなる。また、出向という形で企業が別のところにいって、そして復帰してきたりと、企業外に存在する新しい技術を学ぶ機会もあるし、企業としてはそれを手に入れたり、新たな経験や人材を手にすることもできる。このような社内における人材のシャッフルや出向などによる人材の出入りによって、様々な知識や情報が企業内に入り乱れることになるのである。

いろいろな知識が交換されたり、くっつきあったりする確率が高いほど、そこから新しい知識が創造される確率も高まる。

知識の交換や創造だけではない。人間同士の絆も強まっていく。ビジネスライクな関係だけでなく、仕事の帰りに一緒にのみにいくなどの行為を通じて、感情的にも深いつながりに発展する。それが、人事異動によって、一緒に働いたパートナーが離れなければならなくなったときの悲しみにも近い経験も、さらに企業内における感情的なパワーを増大させることにつながる。各職場においては新たな出会いと別れを繰り返し、企業全体と見ればそういったここの出来事が様々な知識やエネルギーの蓄積となって、新たなイノベーションのための活力になっていくわけである。

このような人事異動の優れた特徴を真に理解しようと思ったら、今すぐ人事異動をやめてみればよいのである。1年、2年、3年と人事異動をまったく行わず、同じメンバーのままでずっと業務を続けてみたらどうか。まず、そうすれば皆がマンネリに陥り、企業の活力が鈍るだろう。そして、いつまでたっても異なる部署同士の交流が芽生えず、同一の会社内で一度も口をきいたことのない人が多くなるだろう。人事異動を行わないということは、各個人の専門性を高めるということでもある。しかし、いくら専門性が大事だといっても、それは企業で行なわれるダイナミックなナレッジマネジメントにはかなわないだろう。

専門性、プロフェッショナリズムなども、勿論大事である。こういった視点から、これまでの日本企業を支えてきた人材を「ゼネラリスト」と、ネガティブな意味合いを存分に込めて嘲笑うかのように呼ぶのは、まだまだ日本企業に対する理解が浅いのではないだろうか。

なぜなら、実はこれからは「ネオ・ゼネラリスト」の時代なのだから。