新しい人事アセスメント

主に欧米のアカデミックな研究を基礎とする人事アセスメントは、処遇や育成のために把握が必要な人材の個人差を測定する手法として、基本的に質的な人々の能力や特性を数量的に測定する方法を基本として発達してきた。数量的な測定をする長所の1つは、数学的操作が可能になることである。例えば、アセスメントデータを蓄積することによって、そのアセスメントツールが有効かどうかといったような仮説が妥当であるかどうか、統計学的に検証することができる。また人材の序列付けや処遇の決定には、白黒のはっきりする数量的な測定のほうが都合がよい。

しかし、このような測定主義を否定する人々の考え方は、数量化できない質的あるいは定性的な部分でも重要なものが含まれているとする立場が多い。例えば採用面接においても、構造化することが予測妥当性を高めるという研究蓄積があっても、実践においてなかなか踏み切れないところに、このような質的な側面をどう考えるかというポイントがある。

実際、わが国の人事管理の科学的接近が遅れているということを嘆き、科学的、数量的なアプローチに基づく人事アセスメントを理解し、それを実践に用いることを主張する人々もいる。しかし、科学的な証拠が蓄積されているといっても、それはあくまで個人ベースの数量的な業績という視点からのものであって、企業がどのようにして成功していくかについては、個人レベルで数量的な業績をあげる可能性の高い人材を集めるという単純な仮定によるものが多い。凡人からからなる企業が好業績維持する例や、企業内におけるドラマチックな出来事によって企業が成功への道を歩んでいくようなことはあまり考慮されていないところが、科学的アセスメントがいまいち心に響かないと思っている人がいる理由でもあろう。科学的・数量的アセスメント手法が高度に発展しても、それは人が人を見るという意味におけるアセスメントを代替するものではないだろうというのが本稿の動機となっている。

新しい人事アセスメントパラダイム

新しいパラダイムにおける人事アセスメントは、できるだけ人材の定性的な側面を、無理に数量に変換することをせず、そのまま捉えようとするところに特徴がある。さらに、伝統的な方法と違って、好業績をあげる人材についてのモデルは先に存在しないというところから始まる。すなわち、既存のモデルに人材を当てはめながら、そのあてはまり具合をもとにアセスメントするのではなく、あくまで個別の人材はひとりひとりユニークであるという視点に立ち、その人の特性を、定性的な部分を中心に、深く理解し、本人がどのように活躍し、どのように会社に貢献していくかのついての共通理解を深めていくというプロセスを重視するアセスメントパラダイムなのである。

人材は常に、潜在能力や可能性というものを持っている。それが花開くか、開花せずに終わるかはマネジメントの巧拙にかかっている。しかし、企業としてあるべき人材像を先に定義してしまうと、どうしても、人材マネジメントのあり方がその制約を受ける。企業の経営哲学、ビジョンやミッションから、期待役割を定義していくというのは、論理的にはきれいな展開である。しかし、企業経営というもの、とくにイノベーションやクリエイティビティについては、意外な展開から道が開けてくるということがしばしば起こる。不良社員だと思っていた人材が思いもかけない活躍をすることもあるし、期待していたエースが大失態を起こしてしまったり、燃え尽きてしまうことだってある。企業としては、常に意図せざる結果が起こることを肝に銘じておくとともに、そういった状況をむしろ楽しむというような姿勢で人材マネジメントを行うことが必要なのではないだろうか。よって、ニューパラダイムの人事アセスメントは、一人一人の人材の可能性をいかに花開かせ、最大限の力を引き出すかを主たる目的とするのである。

アセスメントを活用した採用や選別についても同等な考え方が成り立つ。企業が先にあって、経営理念や戦略が先に定義され、それに当てはまる人材を採用、選別するためのアセスメントを行うという考え方は古い。むしろ、一人一人ユニークな人材が集まることによって、企業というものを形成していると考えるべきだ。企業組織はあらかじめ定義され、固定されたものではなく、日々変化しているダイナミックなものである。トップが交代したり、人事異動があったり、人の出入りがあったりして、日々何らかのエピソードによって変化しながら動いているのが本来の企業であり組織の姿である。すなわち、どのような企業になっていくのか、どのような使命、哲学、戦略になっていくのか、というのは、もちろんある程度固定されたものがあるかもしれないが、それはあらかじめ決まっていたのではなくて、常に開かれた可能性を秘めたものとして、企業を形成する人々の相互作用によって作られていくものなのである。よって、人材に求められる能力やスキルといったものも、状況によっていくらでも変化しうるものなのであるから、それらを先に明確に定義しておくこと自体困難なのが現実で、それを無理矢理やろうとするから、絵に描いた餅になったり、形骸化したスキルインベントリーができあがったりするのである。何事も個人が先で組織が後になる論理が昨今叫ばれている個人を尊重する組織観ではあるまいか。

企業や組織と同様、個人業績についての定義や、誰が優秀な人材なのかという定義も、あらかじめ決まっているわけではない。これが従来の人事アセスメントパラダイムと違うところである。従来のパラダイムの場合、先に業績についての定義をして、それを高める予測変数を見つけだすアプローチだからだ。どうしようもないと思われていた社員がある日突然ヒーローになることだってあるし、埋もれている人材というのはどの組織にも存在するはずだし、その埋もれ具合や人数が、その企業のいざとなったときの底力やポテンシャルとして見ることもできよう。もしもどうしようもない人材が英雄的活躍をした場合、慌てて過去の好業績人材の定義を変更するのか、それともそれは単なる例外だとして片づけてしまうのだろうか。例えその人の貢献が会社の命を救うような大きなものであったとしても、そうすることはバツが悪いのではないだろうか。新しいパラダイムに基づく人事アセスメントが必要とされる理由がここにある。

新人事アセスメントの実際

紙面の関係で、新しいパラダイムに基づく人事アセスメントとの実践ついて詳しく説明することができなくなってしまったので、残りの部分でごく簡単に説明したい。まず、新しい人事アセスメントは、事前になんらかのモデルを仮定しない。例えば、望ましい人材像とか、必要とするスキルとか、期待役割などである。むしろ、そういった既成概念にとらわれることなく、本人をユニークな存在としてありのまま深く理解していこうとする「態度」が第一ステップである。

したがって、アセスメントは注意深い観察からはじまる。さまざまなツールが考えられるが、その例としては、アセスメント・ダイヤリーと称して本人の日々の活動をできるだけ詳細に記するものがある。特に、本人を語るにふさわしいエピソードをたくさん集めることが有効な場合が多かろう。エピソードを分析するうちに、本人の隠された可能性を見出すことがあるからである。また、堅苦しい面接という形ではなく、よりリラックスした、雑談にも近い非公式なインタビューを数多くこなすこともよいだろう。

その外のツールも含めた注意深い観察によって、その人についての深い理解が進んでいくと、その人がどのような形で会社に貢献できるかについてのモデルなり、シナリオがなんとなく浮かび上がってくるだろう。それはその都度本人に伝え、それが望ましいものなのかどうかなどについて議論をしながら、仮説やモデルを洗練していく作業が望まれる。モデルや仮説は本人に関する深い理解から導かれるユニークなものであるはずであり、決して既存の枠組みを本人に無理矢理あてはめるようなアプローチではないことを強調しておこう。このようなアセスメントプロセスを通じて、その人が、どういう形で会社に貢献していくかについての共通理解が、本人および彼を取り囲む人々、さらには企業との間で深まっていく。それは、ある種の暗黙知となって組織内で定着していくのである。

これは、ともすると形骸化しがちな目標管理制度とも理論的なつながりがある。伝統的な目標管理が、目標の達成度といったような数量的なアプローチを好むのに対し、本アプローチはより定性的な側面を重視し、測定や達成度という視点よりも、本人が潜在能力を最大限に発揮させるための内発的な目標設定という側面を重視していることになる。上司と部下でとりあえず面談して目標を設定し、達成できたら御褒美をあげるというような安直な目標管理制度ではなく、本人が内なる情熱と喜びをもって生き生きと仕事をするにはどうすればよいだろうかということを深く追究することが、本人が日々頑張れる目標を内に秘めることにつながるのである。このようなこのようなプロセスを通じて、会社の社員が誰ひとり例外なく、本人の潜在能力を十分に活用するチャンスを得られるようになることが、新しい人事アセスメントのねらいである。