「虚妄の成果主義」若干の修正点

最近、東京大学の高橋伸夫先生の著書「虚妄の成果主義」が話題になっている。私自身、かなり昔から実業界の「成果主義」ブームについては冷ややかな態度をとっていたので、本書の主旨には賛成する部分が多い。ただ、新聞記事によると、ご本人は、こうも売れるとは思わなかったようである。

ところで、著者である高橋先生は経営組織論が専門なのと、そもそも本書が一般向けに書かれたものであるため、本書の論旨にはあまり影響を与えないがマイナーな部分でいくつか修正すべき点が見られる。そのため、本書による学問的な誤解を避けるために、若干の修正すべき事項を提示したいと思う。以下の点は、本書の大まかな主張に影響を与えるものではないし、売れている本であるから目についただけで、あまり売れていない本ならば単に黙殺されるような部分ではある。

まず、本書では、職務満足と生産性の関係に関する研究が紹介されており、職務満足と生産性の間には直接的な関係がないことが定説になっていることを紹介している(p140)。しかし、この知見は数年前にアップデートされ、実際には、直観的な見方と同様に、職務満足と生産性には関係があるといってよいという見解になっていることは、以前のコラム(幸福な労働者は生産的か)で紹介した。繰り返し言うが、科学が扱うのは主に理論であり、理論は真実ではなく、むしろ覆えされるために存在するといっても過言ではない。だから、科学的だから(正しい、絶対だ)というような論理で物事を論じる場面に遭遇した場合は、まゆにつばをつけて聞くのがよいであろう。

また、本書ではモチベーション論における期待理論は科学的に検証不能であると断言されているが(p152)、たしかに本書で紹介されているような研究方法(被験者間デザインと呼ばれる方法)では不適切なのであるが、別の方法(被験者内デザイン)を用いれば、必ずしも検証不能ではないことも、かなり以前にその道の研究者によって指摘されている。1970年代にはすでに本書で解説されているような実証研究上の問題点は指摘されており、日本人の研究者も、より適切な方法である被験者内デザインによる検証を行った研究を発表している。もちろん、言葉のあやもあって、モノでなくコトを扱う社会科学である以上、どんな理論の検証も、完璧な方法などないわけなので、方法論の短所を指摘することによって、科学的に検証することは不可能ということはできる(可能か不可能かというよりは、妥当かどうかという程度問題である)。

次に、統計の部分についてであるが、本書ではところどころに回帰分析結果が示され、多くがきれいな直線関係であり、決定係数が0.99・・・という驚くべき数字であると紹介されている。しかしこれはトリック的である。まず、よく見ると回帰分析のサンプルが6個程度しかない。本来ならば何千とあると思われるサンプル数が、6個に集約されてしまったうえで、分析されているのである。言ってみれば平均を取ってから、さらに平均を求めているようなもので、もともとのデータのばらつきがそれによって隠蔽されてしまっているようなものである。考えても見てほしい。もしサンプル数が2個しかなければ、回帰分析をしてみれば特殊な場合を除いて、決定係数は必ず1になるのである!よって、5〜6個のサンプルで回帰分析をやって、0.98・・・と驚くべき数字であると言われても、実はそんなに驚くには値しないのである。

驚くには値しない別の理由としては、6つ程度の選択肢からなる設問、あるいは6段階となる得点を用いて分析をするとするならば、その6つが、その他の変数と、曲線的な関係になることは通常ではあまり考えられないということである。傾きの度合いが問題とはなろうが、直線性は、おそらくある程度観察できよう。また、質問紙を用いる調査には「コモンメソッド問題」という問題が常に付きまとう。コモンメソッド問題については今後機会があるときに紹介したいと思うが、簡単に言うと、従属変数と独立変数を、同時に、同じ人から、自己報告形式(アンケート)によって採取するさいに起こりやすい問題である。これが働くと、ある質問で肯定的な回答をした人は、別の質問でも肯定的な回答をしやすくなる傾向が顕著になる。例えばそもそも会社に対して全体的にポジティブな感情を持っている人は、多くの質問に対して、なんとなくその会社にとって有利な感じに回答してしまう、その逆もしかりで、全体的に会社に対してネガティブなイメージを持っている人は、多くの質問においてネガティブな反応をすると思われる、ということである。それが働くと、測定変数間に実際以上の相関関係が観察されやすくなる。

では、どのような分析方法が望ましいのだろうか。例えば本調査で用いられている満足度というのは、YESかNOの2つしかないわけであるから、少なくとも、分析には、本書で紹介されているような方法ではなく、当てはまりが悪くても、ロジスティック回帰を行ってその結果を報告するべきなのではないだろうかと思う(ネタ元となっている論文ではそうなっているのかもしれないが)。ロジスティック回帰とは何かについては、また機会を改めて説明するとしよう。ひとことでいえば、従属変数が1か0といったような2変量の場合に適切だと言われている回帰分析である。ようするに、本書で紹介されている分析は、とても正確に満足度を予測できるといっても、満足している人とそうでない人との比率を予測しているだけであり、ある特定の個人については、本書で紹介されている予測変数でどれだけ正確に満足度を予測できるかどうかは、この分析ではまったくもって不明なわけである。

以上、かなり細かな部分への言及になってしまったが、あくまで本コラムの主旨がそうだったからである。とりわけ、統計学は、つかい方を誤るとかなり危険な道具であると考えられる。それは、アカデミックな業界であってもそうである。いわんや、実務家をや、といったところである。統計学に疎い実務家は、統計専門家の統計ソフトウェアをつかった指先のテクニックに、うまくだまされないように注意したい。

文献

高橋伸夫(2004) 「虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ」 日経BP社