ポシブルセルフと職務モチベーション

jinjisoshiki

企業その他の組織にとって、成員の職務モチベーションを向上させるということは重要な課題である。職務モチベーションを向上させ、その結果によるパフォーマンスの増大あるいは業績の増大に結びつけるためには、色々な施策が考えられる。その施策を考えるためには、職務モチベーションがどのような過程を経て生起されるのか、すなわち職務モチベーションの生起過程についての理解を深めなければならない。そして、それは成員個々人レベルでの過程の解明が望ましいところである。

ところで、職務モチベーションの生起過程についての研究の中で、個人の自己意識と結び付けて、包括的に扱おうとする研究が現れている。そしてそれは色々な理論を包括するという意義において重視されるべきものだと考える。しかし、その中で用いられている自己意識に関して、時間的次元を加味した上で理論化しようとする研究は少ない。例えば、自分自身をある時間軸(例えば生まれてから死ぬまで、あるいは短い一期間でもよい)のなかの一つの点に位置づけて、その全体的つながりから把握しようとするという側面も重視すべきであると考える。そうすることによって、単に空間的な自己意識の次元、あるいは自己意識の構造から得られる職務モチベーションに関する知見とは違った職務モチベーションの生起過程が解明されると思われる。したがって、今回はこの時間的概念、特に成員の将来像に関する要素が職務モチベーションの生起過程に与える影響に焦点を当てることにした。

自己概念とモチベーション

人間の自己概念は、行動へのモチベーション(動機づけ)と深い関係がある。例えば、社会心理学におけるSEMモデル(Self Evaluation Maintenance:自己評価維持モデル)においては、人は自分の自己評価を維持したり高めたりするように行動し、自己評価には自分と他者の関係が大きく影響することを前提としている。(山口1990)

このことは、職務モチベーション、すなわち組織における人間行動を説明するための仮説構成概念にもあてはまる。例えば、古川(1988)は、個々人が組織の成員としての自己を意識し、それによって明確な自己概念を持ち、それを肯定的に評価して自己開示をしながら行動するという過程において、自己の職務遂行に対する旺盛なモチベーションを醸成すると説明している。さらにこれまでの職務モチベーションに関する代表的な諸理論も自己概念との関連において、以下のように説明している。

  • 期待理論・・・自己概念と符合する諸々の成果の獲得を望み、その実現に役立つ行動を採用することに着目したモデル。
  • 公平理論・・・他者比較による自己評価の維持を図ろうとする過程を扱うモデル。
  • 目標設定理論・・・個人が理想の自己概念を掲げ、その実現に自己効力感をを覚えるときにモチベーションが高まるとするモデル。

職務モチベーションの期待理論

職務モチベーションの研究の中で代表的な、ポーター・ローラーの期待理論モデルについて簡単に概観してみる。

ポーター・ローラーの期待理論モデルは、努力(E)が特定の業績(P)に結び付くかどうかの主観的な見込み(「E→P」期待)と、業績(P)が特定の成果(O)に結び付くかどうかの主観的な見込み(「P→O」期待)と、成果の誘意性(魅力)の積によってあらわされる。

このモデルの中における2つの期待は人間の認知や思考の影響を受けるが、とくに「E→P」期待は、自分の職務遂行能力がどれくらいであるとかなどの自己評価の影響を強く受けるものと考えられる。また自己評価も、自尊心(自己評価を高めようとする動機)の影響を受け、これらは大きく自己概念に包括される。

自己概念を規定する要因(下位システム)

通常、自己評価などの自己概念は、人間が外界から得た自己に関する情報によって形成されると考えられる。これらの情報は、程度の違いこそあれ、かなり客観的な要素を含んでいる。たとえば、自分の職務遂行能力に関して、「A君は数理能力には優れているが、リーダーシップ能力は少し劣っている。」という評価をどこからか得たとすると、本人もその点については少なからずとも自覚しているであろうし、他の人も、本人に対してにたような評価を下すものと考えられる。(すなわち、まったく逆の評価を下すということは少ない)

しかし、このような自己概念を形成する上でのバイアスとなる要素がないだろうか。というのは、自己概念は外界からの自己に関する情報の蓄積によって形成されると考えられるが、それ以前に、自己の中に内在している要素によって、自分に関する情報が歪められる可能性があると考えられるからである。それは客観的にみて自分にとって良い評価であったとしても、悪い評価というように捉えてしまったり、悪いと思われる評価であっても、良い評価であると解釈してそれに合わせた自己概念を形成するのではないか。そうであれば、モチベーションの生起過程を左右する主観的確率、ひいては自己概念というものは、さらに下位システムとしての何かによって規定されるということになる。

自己概念の時間的広がり

従来自己概念の働きや構造についてのいくつかの研究がなされているが、それは自己概念を空間的広がりを持ったものとして捉えているものの、時間的な広がりを考慮した研究は行われていなかった。ところが近年になって、時間的要素が自己概念の形成や働きのプロセスに大きな影響を与えていることが示唆されてきた。本研究も、この時間的広がりが職務モチベーションの生起に関わる下位システムとして大きな役割を果たすのではないかということがテーマとなっている。

ポシブルセルフ

自己概念に関する近年の研究の中で、Markus(1991)は、ポシブルセルフ「可能性としての自己)」という概念を用いて、状況即応的作業型自己概念(付録参照)が、ポシブルセルフに影響を受けることを考察している。彼女によると、人間が持っている自分に関する知識(セルフ・スキーマ)の中には、将来の自分の姿がかなりの具体的な形で格納されており、それには肯定的なもの(ポジティブ・ポシブルセルフ)と否定的なもの(ネガティブ・ポシブルセルフ)とがあるとする。

例えば、企業に勤めるサラリーマンであれば、何年かの後に、自分が社長やその他の重役についている姿がポジティブ・ポシブルセルフであり、何年かの後に、窓際族や社内失業の状態に陥っている自分の姿がネガティブ・ポシブルセルフということになる。

そして、状況即応的作業型自己概念(固定的でなく、環境や状況に左右される・・図参照)において、ポジティブ・ポシブルセルフが活性化している状態の時と、ネガティブ・ポシブルセルフが活性化しているときとでは、その人が行動するためのモチベーションを喚起する過程に関して相違がみられるものと思われる。

将来の自分にかんして否定的な見解がその人の自己概念の中で大きな位置を占めていれば、職務遂行能力に関する自己評価も否定的なものとなり、ある職務を遂行できるかどうかについての期待は低いものとなるであろう。その結果ある職務についてのモチベーションは低まると考えられる。逆に将来の自分に関する肯定的な見解がその人の自己概念の中で多くの位置を占めている場合であれば、職務を遂行できるという自信や期待が高まり、職務へのモチベーションは高まるであろう。

企業における例

通常われわれは企業を始めとする何らかの組織に属しており、その中の生活によって自己概念もある程度固定的な状態にあると考えられる。その様な状況下においてはポシブルセルフの活性状態もある程度固定的であることが予測され、その活性状態は組織内における日頃の他者との関係に大きく影響を受けると思われる。

なぜなら、人間は自己概念の確立、自己評価の維持、自己評価の高まりに関する欲求を充足させるために自己に関する情報を収集するモチベーションが生じる。 例えば、社会的比較(自己と他者を比較しようとする行動)などがその例である。

そして、かりにある人に関してネガティブ・ポシブルセルフが常に活性化しているとすると、その人の自己評価に関するどんな肯定的な情報も、否定的な方向に歪められる可能性がある。例えば、同僚や上司がその人のことを高く評価したとしても、本当ではないのではないだろうかとか、もともと能力が低いからといった解釈をしてしまうことが考えられるのである。

仮説  

このようなことを考慮すると、ポシブルセルフと職務モチベーションとの関係について、いくつかの仮説が立つ。

命題1:ポジティブ・ポシブルセルフの活性化は、職務モチベーションの向上につながるであろう。

ポシブルセルフ活性化の種類において、ポジティブ・ポシブルセルフが活性化すれば、それは自己評価を高めることとなるであろう。その結果、E→P期待における主観的確立を高め、職務モチベーションの向上につながると思われる。

命題2:会社内における人間関係、特に上司の存在または上司の評価は、本人のポシブルセルフの活性化に影響を与えるだろう。

例えば、身近にいる上司が優秀であれば、自分もそうなりたい、あるいはそうなれるかも知れないという期待から、ポジティブ・ポシブルセルフが活性化しやすくなるであろう。逆に上司の評価が低ければ、こうなりたくないあるいはこうなってしまうかも知れないという危惧がネガティブ・ポシブルセルフを活性化しやすくなるであろう。

命題3:年齢(年代)によってポシブルセルフが職務モチベーションに与える度合いが違うであろう。

若い世代で、将来がまだ不確定の人と、長く企業に勤めていて先が見えている人とでは当然ポシブルセルフの内容も違うであろうし、職務モチベーションに与える影響の度合いは違ってくるであろう。

命題4:個人の就労観の違いによって、職場環境(人間関係など)がポシブルセルフに与える影響の度合いは違うであろう。

職業に関して「職業人」意識の強い人は、他者との比較がポシブルセルフに影響する度合いは、「会社人」よりも小さいであろう。「会社人」のほうが、自分が将来ポストにつけるのか、昇進できるのかといった情報が自分にとって重要になってくると思われるからである。

命題5:自己情報収集欲求の強弱の個人差によって違いがみられるであろう。

自己情報収集欲求は、自己意識、特に公的自己意識(自分が他者からどう見られているかに関する自己意識)の強さを意味している。この欲求が強い人ほど周り(他者)からの情報や評価によって自己概念を形成する度合いが強く、それがポシブルセルフの活性化に影響を及ぼすであろう。

命題6:自尊心の高低(自己評価を高めようとする欲求)によって違いがみられるであろう。

自尊心の高い人すなわち常に自己評価を高く保とうとしている人は、ポシブルセルフの活性化に関して否定的な情報を受け取ったとしても、それを過小評価したり、それに影響を受ける度合いが少ないであろう。

命題7:職務内容によって会社内の人間関係や上司の評価がポシブルセルフの活性化に影響を及ぼす度合いが違うであろう。

例えば、一般に補助的業務に従事している割合の多い女性の場合、基幹的業務に従事している割合の多い男性に比べて、日常の会社での生活や人間関係、上司の評価などが自分のポシブルセルフの活性化に及ぼす影響は少ないのではないかと思われる。

企業の人事戦略への応用

自己概念が職務モチベーションに与える影響が大きく、またその自己概念を規定するものとしてのポシブルセルフが職務モチベーションの高低にダイレクトに寄与しているとすれば、企業としては人事戦略の中で、社員に対してポジティブ・ポシブルセルフが活性化するような環境を整備すること(少なくともネガティブ・ポシブルセルフが活性化しないよう環境を制御する)の方が、単に賃金制度や評価制度を再構築したりすることよりも総合的な人的資源管理として有効であると考えられる。

例えば、上司に対しての芳しくない評価が結果的にネガティブ・ポシブルセルフを活性化してしまうことになったとしても、それは実際には上司の能力が低いからではなく、部下が低いと認知していることが原因であるとも考えられる。

したがって、実際に上司の能力が高いか低いかは問題ではなく、たとえ実際に低かったとしても、そのことが直接部下に悪い印象(ネガティブ・ポシブルセルフが活性化してしまうような印象)を与えないような戦略を企業としてとることが望まれる。

企業の施策

ポシブルセルフが現在の自己評価や有能感の知覚などに影響を与えるとなると、いかにして社員の自己概念にポジティブ・ポシブルセルフを活性化させるかということが重要になってくると考えられる。そのためには、社員に対してポジティブ・ポシブルセルフを想起しやすいような情報を頻繁に提供することが必要であろう(例えば、トップが将来のビジョンを明示する、社員個々のキャリアパスを明示する等)。社員の自己概念の中でポジティブ・ポシブルセルフが活性化しやすくなることで、彼らの自己概念が習慣(連合)の法則によって、ある程度固定化され、職務モチベーションの向上に対して有効であると考えられる。

日本型人事管理システムについて

日本型人事管理システムの代表的なものである年功制(賃金、昇進・昇格)は従来の理論では安全の欲求を中心とする低次元的な欲求の充足を保証するという安定感の提供によって、自己実現欲求に代表される高次の欲求を充たしやすくなるという優位性が喧伝されてきた。

これまでは、年功主義人事制度を中心とする日本的な集団主義的な人事管理が、いわゆる大企業のホワイトカラーのポジティブ・ポシブルセルフを相対的には、活性化する働きがあったのではないかと考えられる。つまり、「この会社にいれば、何年か後にはある程度の地位につける、世間以上の賃金が保証される」等のポシブルセルフが常にネガティブ・ポシブルセルフの活性を抑えてきたといえる。

人事戦略のパライダイムシフトを迎えている今、このようなポシブルセルフはもはや存在せず、企業側としては社員が新たなポシブルセルフ構築できるよう積極的かつ多様な戦略をとる必要がある。

参考文献

  • 古川久敬(1988) 「職務モチベーション」 組織デザイン論 誠信書房 第7章
  • Markus(1991) 金沢知恵(訳) 「ポシブル・セルフ」 現代社会心理学の発展U 三隅三不二・木下富雄(編)ナカニシヤ出版
  • 高橋信夫(1993) ぬるま湯的経営の研究 東洋経済新報社
  • B.Weiner (1989) HUMAN MOTIVATION 林 保・宮本美沙子(訳) ヒューマンモチベーション 金子書房
  • 山口 勧(1990)「自己の姿への評価」の段階 中村陽吉(編) 「自己過程」の社会心理学 W章
  • Schein,E.H(1980) Organizational psychology. 松井(訳)組織心理学 岩波書店
  • 角山 剛(1988) 仕事への動機づけ 若林 満・松原敏浩(編)組織心理学 福村出版 第4章
  • 安藤端夫(1979) 産業心理学 新曜社
  • 豊田秀樹(1993) SASによる共分散構造分析 竹内 啓(監修) 東京大学出版会
  • 片柳敦子(1993) 職務関与:文献展望とモデルの再構築 産業・組織心理学研究 1992年 第6巻 第2号 P3ー13
  • 山下 京・井出 旦・八木隆一郎(1992) 仕事の楽しさの構造 産業・組織心理学会第8会発表論文集 P157ー162
  • 大坊郁夫・安藤清志・池田謙一(編)(1989) 社会心理学パースペクティブ1 誠信書房