退職は人材マネジメントの終了か

これまでの「人材マネジメント」に関する様々な考え方には「それは企業の現社員を対象とするもの」という暗黙の前提があった。おおよその人事制度というものは、基本的に企業の正社員を対象とするものである。中にはそこで働く派遣社員やアルバイトも自社の人材マネジメントの対象として考えている場合もあるかもしれない。しかし、社員がいったん企業を離れてしまえば、その人を対象にした人材マネジメントはそこで終了する、というのが大方の見方である。

日本では、新卒の学生を採用し、主に社内で彼らを育成および活用し、社員としての役割を全うし戦力的に消費され尽くした人材を、定年退職まで待った上で送り出すのが典型的なケースであった。つまり、転職市場が十分に発達していなかったため、まだまだこれから実力を発揮してもらいたいという人材が会社を去っていくケースが少なかったのである。しかし、米国ではすでに進展が加速し、わが国でも盛んに議論されている「人材の流動化」や「雇用形態の多様化」を中心とする大きな変化が起こるであろう将来を考えてみると、こういった人材マネジメントの視界はやや狭い。

人材の流動化や雇用形態の多様化についての必要性や可能性については様々な議論がなされている。しかし、将来はわが国でも流動化や雇用形態の多様化が進み、ビジネス社会や企業組織がより流動的かつ柔軟なものへとシフトしていくだろうという見解はほぼ一致していると言える。わが国でも、もともとプロフェッショナル人材の多い外資系金融機関やコンサルティング・ファーム等については、従来から人材が数年間の勤務の後に別の企業に移籍するというケースが多く見られ、これらの業界における人材の流動性はもともと高かった。そして、このような人材の流動化は、IT業界等でも顕著になってきている。また、リクルート、日本IBM、ソニーなど、優秀な人材を次々と企業外に輩出することで評判の企業もある。

このようなトレンドに拍車をかけると思われるのが、オンライン・リクルーティングなど、アメリカで先陣を切っているインターネットを中心とした人材市場の発展である。オンライン・リクルーティングでは、履歴書や職務経歴書などのデータがすべて電子化されるので、採用のプロセスが非常にスピーディーとなる。実際、アメリカのIT業界のように人材不足が著しい分野では、電子履歴書をオンライン・リクルーティングのウェブサイトに登録した数時間後には、エグゼクティブサーチや企業から「一度会ってもらいたい」というメールが届くということも珍しくない。このように、人々にとって転職がますますスピーディかつ容易になっていくため、将来は人材の流動化が一部の特殊な業界だけでなく、一般的な業界にも広がっていくことが考えられる。

雇用の流動化によって、人材が企業外に多く輩出されればされるほど、出身者の行動の総和は、出身企業の競争力に大きな影響を与える力として働く。彼らは、出身企業にとって、顧客や協力者にもなりうるし、競合相手や敵にもなりうる。具体的に行うアクションは、出身企業に対して「恩返し」をしたいからかもしれないし「仕返し」によって恨みを晴らしたいからかもしれないし、単にビジネスとしての視点から有利だと思うことをしているだけなのかもしれない。だがいずれにせよ、将来のビジネス社会では、元社員が出身企業の競争力に影響を与える可能性が高まると言える。

退職後も続く人材マネジメント

退職後の人材マネジメントは、関係性への投資になる。まず、退職後の人材に対しては、直接的な給料やベネフィットを払う必要がなく、またヘビーな教育投資も必要がない。したがって、現社員のようなコスト負担はない。その一方で、関係性に投資するによって、将来に出身者からの貢献によるリターンを得る可能性が高まってくる。これが、退職後の人材マネジメントの本質的な部分であろう。

社員の退職後に関する具体的な人材マネジメントの次元としては、関係性の量や頻度と、関係性のクオリティが挙げられる。関係性の量や頻度については、頻繁かつ十分な情報交換を可能にするコンタクトを維持することによって、出身者からの貢献的な行動をよりタイミングよく期待することができるようにすることを念頭に置くことになる。また企業と出身者との間だけでなく、現社員と出身者、あるいは出身者同士のインターアクションも活発化するような工夫も求める。関係性のクオリティについては、企業と出身者の関係を良好なものにしていくために、常にギブ・アンド・テイクの関係を続けることが求められる。すなわち、単に元社員からの貢献を期待するだけでは適切ではなく、出身者にとっても有用な情報やサービスを提供していくことも重要であるわけだ。

コンサルティングファームや会計事務所の多くは、「卒業生クラブ」を組織しており、卒業生専用のウェブサイトが設置され、卒業生のためのネットワーキング機能が充実している。近年のITおよびインターネットの発達によって、出身者との関係性の維持・発展がしやすくなっている。以前は電話や手紙などの原始的な方法に頼らざるを得なかったものが、ウェブページを中心に、電子メールやデータベースを駆使して、効果的な卒業生クラブの運営が可能となっている。元社員とのネットワーキングを支援するサービスやそれを専門とするコンサルティング会社もある。例えば、コーポレート・アルムナイ(http://www.corporatealumni.com)やセレクトマインズ(http://www.selectminds.com)は、企業が元社員との関係性を作っていくことを、インターネットやウェブの技術を駆使して支援する会社である。