「プロ意識を持て」にはご用心

近年になって、ビジネスマンの間でも、プロフェッショナルあるいはプロ意識という言葉がなじみの深いものになってきている。この傾向は、いわゆるサラリーマンではダメだという意味あいがこめられていて、企業にしがみつくようなサラリーマン意識に対応するものとしてプロフェッショナル意識あるいはプロ意識を持てという言い方がよくなされる。ビジネスマンが、それぞれ自律した態度で、プロ意識をもって仕事をする、ということは結構なことである。しかし、この「プロ意識を持て」というのは、人々が企業から都合のいいように使われてしまう可能性もあるので注意が必要だ。企業が従業員に対してよく使う「プロ意識」というのは、単に、自社を儲けさせる人間ということを意味しているだけの場合があるからである。

たしかに、プロというのは「それで飯を食っていく」という意味がある。だから、企業にしてみれば、企業収益に貢献できる人材が、その収益を原資とする給料を得る資格があるという意味で、プロ意識という言葉を用いたくなる。しかし「プロフェッショナル」と「プロ意識を持つこと」は大きく異なることをここで強調しておきたい。

では、何が違うのか。それを理解するためには、プロフェッショナルとは何かということについて改めて理解する必要がある。プロフェッショナルとは「それで飯を食っていくこと」としても間違いではない。重要なのは、特殊技能でもって飯を食っていくことである。そして、その特殊技能というのは、一朝一夕に身につくものではなく、長年かけて培われるものである。そして、多くの場合、そういった特殊技術を身に付けるための、企業とは独立した教育機関なり修行の場所がある。さらに、そういった特殊技能のクオリティを維持するための独立したプロフェッショナル団体あるいは機関がある。医者にせよ弁護士にせよ、それを学ぶ専門機関が確立されており、そこで長い年月をかけて技能を修得する必要がある。このような特殊技能を必要としない仕事や活動は、プロ意識をもって行うというように言うことはできても、通常はプロフェッショナルとは言わないのである。だから、たとえば企業内ジョブローテーションを通じて幅広い仕事をこなすような総合職的な人材は、プロ意識を持てと激励することはできても、プロフェッショナルへの道を進んでいるわけではない。

プロフェッショナルとは何かについて、もうひとつ重要なのは、良いプロフェッショナルと悪いプロフェッショナルを分ける優劣の基準、あるいは何がよい仕事なのか、何が高い業績なのかについて、明確な基準が、業界内にスタンダードとして確立されていることであり、そして、それは個々の企業業績や利益をどう生み出すかという視点とは独立していることである。たとえば、プロ野球選手に必要なのは、あくまでも、いかにして野球の試合で好業績を出すこと(打率、ホームラン、勝利数など)であって、いかにしてスポンサー企業の収入が増えるか、観客動員が増えるかではない。もちろん、プロ野球をバックアップする収入があるからこそ、彼らは飯を食っていけるわけだが、そのことについて考えるのは、プロフェッショナルである本人たちにとっては、2次的なことでしかない。個人の収入という面においても、人々の人気をさらって、テレビ出演で設けるプロ野球選手もいるだろうが、その人は、野球のプロフェッショナルとしての活動をしているわけではなく、あくまで副業をしているまでのことである。プロフェッショナルとは、すでにその社会的な存在意義が確立されているので、通常はプロフェッショナルを金銭面で養うだけの資金的要素が確立されている。だから、プロフェッショナル本人は、いかにしてその道でよい業績を残すかだけに注力すればよいのである。

すでの述べたように、プロフェッショナルには、何が好業績なのかについての明確なスタンダードが、業界内に確立されている。プロスポーツ選手だったら試合の結果だし、医者であれば、患者を助けることであるし、弁護士だったらクライアントの法的問題を解決することである。彼らに対して「プロ意識を持て」というのは、ある意味失礼なことであるのだが、それは、決して「自社に利益をもたらす人材になれ」ということを意味しているのではないのである。プロ野球選手に、スポンサー企業の広告収入を増やす方法を考えろとは言わないし、医者に、いかにして病院が儲かるかを考えろとは言わない。もちろん、そういうことを考える人は必要であるが、そういった人々は、プロを引退して、経営側、運営側にまわることを意味している。

これまでの説明で、「プロ意識を持て」というのは、ノンプロフェッショナルに対して使う言葉であるということがはっきりしてきた。プロフェッショナルという、特殊技能を用いて、業界内の明確な基準で評価されるような人々には、プロ意識という言葉はほとんど必要ない。そもそも、プロ意識がない人が生き残っていける世界ではないからだ。プロフェッショナルを育成することは、一企業ができることではない。社会的に、その存在意義が認められたうえで、企業横断的な、専門機関あるいは専門教育機関などが確立されてきて、人々が長年かけて特殊技術や倫理基準を身に付ける場ができて初めて、プロフェッショナルを養成することができるわけである。

「プロ意識を持て」という激励が、プロフェッショナルではない人々に向けられるメッセージであることが判明したが、それを言っている張本人もしくは企業は、プロフェッショナルを育成することに関してはまったくの無関心か、そもそもプロフェッショナルとは何かについての知識が欠落しているか、あるいは当人が持つ力や資源ではプロフェッショナルの育成自体が困難であることが明確である可能性が高い。これまでは、企業がまる抱えで従業員の生活を面倒みるから、滅私奉公せよという姿勢を貫いてきたわけだが、それがもう成り立たなくなりつつあることがわかってきたため、これらの暗黙の約束を破棄し、責任逃れをするためだけに「プロ意識を持て。プロ意識をもって自分の食い扶持は自分で稼げ。さもなければ給料をもらう資格はない」と言っているかもしれないのである。だから、プロフェッショナルになれるようなサポートもされない人材が、そういった精神論的な言葉に踊らさせれて、企業に都合のいいように扱われないように注意しなければならない。