賃金格差と不公平感(日本対アメリカ)

例えば自分がある企業の人事部で働いており、同期入社の社員がある事業部門のエンジニアとして働いているとして、彼の方が自分よりも数百万円も高い給料をもらっていたらどう思うだろうか。決して自分の働きぶりが悪いわけではなく、ある意味自分は職場でも期待されているしそれなりに責任のある仕事をしていると思っている。事業部門のエンジニアをしている彼も、やっていることはかなり特殊なことで、企業にとっても重要な技術だし、それなりの仕事をしていると思うが、決してずば抜けた業績を残しているわけでもないだろうし、社内でエリートだという評判があるわけではない。自分の働きぶりとくらべて勤務時間が極端に違うということもない。このような場合、たぶん私は、この給料格差について、なぜ同じ会社の同期なのにこれほど格差があるのか憤りを感じざるをえないだろう。この憤りは、自分が、あるいは人事部が社内で不公平に扱われているのではないか、軽く見られているのではないかという憤りである。

一方、大学時代の友人が、同じ年に、別の業界の企業に就職し、同じ人事部で仕事をしている。自分も彼も、能力的にはだいたい同じで、同じ仕事をやらせたら同じような実績をあげるだろうと思っている。しかし彼によると、業界全体が絶好調で、その追い風にのって彼のいる企業も年々最高益を更新している。その結果、彼の給料(基本給)は、自分の給料よりも数百万円近く高い。それに対してどう思うだろうか。おそらく、自分の不運を嘆くか、自分の業界選び、会社選びが間違っていたかを嘆くことはあるにしても、彼との給与格差について不公平だと憤りを感じることはあまりないだろう。なぜならば、彼のいる業界、彼のいう会社は実際に業績が好調なのだから、自分よりも高い給料をもらっていても別におかしくはないのである。

しかし、これがアメリカでの話になると変わってくるのである。仮に自分がアメリカに長く住んでおり、アメリカで働いているとしよう。同じアメリカの企業に勤め、HRM部門に努める自分とほぼ同じ時期に入社した、別の事業部門のエンジニアが、自分よりもはるかに多くの給料をもらっていたとしよう。こういったケースの場合、先程あげた日本のケースのように不公平ではないかと憤ることが少ない。なぜならば、自分と彼はそもそも違う職業で、違う種類の仕事をしているのであり、彼のやっている仕事というのは、エンジニアの中でも特殊な部類で、世間相場で見ても高級取りだからである。自分のやっているHR関係の仕事は、世間相場で見てももらっている給料は妥当な線である。だから、自分の給料も、同じ会社で働く彼の給料も、世間相場でみたら妥当な給料であり、別に数百万の差があっても、不公平だと憤る理由は見つからないのである。たしかに、HRプロフェッショナルという職業をを選んだ自分の職業選択が間違っていたかもしれないが、HRとしてのキャリアを選んだのは自己責任であり、HRキャリアの給料が、彼の職業の給料の世間相場よりも低くてもある意味しょうがない。給料だけで仕事を選んだわけではないのだから。

しかし、もし自分と同じHRの仕事をしている大学で一緒に学んだ友人が、別の会社で自分よりもはるかに高い報酬を得ていたとしたらどうだろうか。彼と私はほぼ同時期に仕事を得たし、彼の仕事は自分の仕事とレベル的にも内容もそんなに変わらないと思う。しかし彼の報酬は自分と比べて格段に高い。アメリカの場合、こういったケースは、不公平感や不満の対象になる。なぜ同じ仕事をしているのにこんなに給料が違うのか、ということになり、会社にそのことについて文句をいうか、やっていられないという気分になって退社するかもしれない。あるいは、入社する時点で、そのような不当な給料を提示されたらそもそも入社しないかもしれない。数百万円も高い給料を得ている彼と能力も業績もほぼ変わらないはずなのに、彼も自分も同じ仕事をやらせれば同じ成果を出せるはずなのに、会社によって給料が変わってしまうのは受け入れがたいのである。

これまで記述した日本とアメリカの2つのケースは、国は違うが内容的にはほぼ同じである。つまり同じ企業に勤めるエンジニアの友人との給与格差をどう思うか、そして別の業界の企業に勤めるHRという同じ職業の友人との給与格差をどう思うかという問題である。このように、同じ内容をもとに日本とアメリカの2つのケースを比較してみると、人々が給料格差について感じる不公平感や不満を抱く基準は、日本とアメリカでは正反対になりやすいことがわかる。