Jinjisoshiki流「他力本願」のキャリアマネジメント

世間ではキャリアデザインあるいはキャリアマネジメントへの関心が高まっているようである。これは、経済の停滞と不確実性の増大による安定雇用時代の終焉、実力主義の高まりといった時代の趨勢を反映しているものであろう。とくに最近は、自力でキャリアを切り開かねば生き残っていけないという意識が広がりつつあり、ビジネスマンの中にもかなり肩に力の入った人々が多いのではないだろうか。

ちまたでは、この自力キャリアデザイン論者が声高にその必要性を叫んでさえいるようにも思う。しかし、本稿では、自力でキャリアを開拓できるほど人生は甘くないし、そのような高慢な姿勢であってはならないと考えたい。これはもちろん、高慢にならないようにしようという自分自身への戒めでもある。実際、自力でキャリアを開拓する、つまり自力本願のキャリア論に傾くけば傾くほど、焦りや不安(このままでは手後れになってしまう)とか、一種の諦めの気持ち(もう手後れではないのだろうか)が強くなってくるのではなかろうか。それは精神的にもよくないことである。

そういった問題に陥らないためには、今後のキャリア論には他力本願の教えがいっそう必要になるだろう。しかし、これは単なる弱者にたいする癒しではないことを強調しておこう。また誤解しないでいただきたいのは、他力本願というのは、「漂い系」つまり当てもなく漂っている、あるいは流されているのとは違うということである。

それでは具体的に説明しよう。他力本願の1つ目の視点というのは、まず自分の自由とか力をはるかに超えた、つまり自分ではコントロールできない大きな力を感じ取ることから始まるということである。どのような大きな力が、自分自身をどういった方向に後押ししているのだろうか。あるいは未来からのどんな力が、どこから自分自身をひっぱってくれようとしているのか、その大きな力を感じ取ることなしでは、流れに反した無駄な行動をとることにもつながりかねない。

神戸大学の金井教授は、キャリアは節目ではしっかりデザインし、途中は流されてもよいという持論を展開している。このメリハリはある意味わかりやすいが、現実はそう簡単ではないと思う。多くの場合、どこがキャリアの節目かは、もやっとしかわからないものだし、どれくらいしっかりとデザインできるかはわからない。振り返ってみれば、ああ、あのときが節目だったな、とはじめて気付く場合も多いのではないだろうか。また、キャリアの節目でない途中の部分では、単に流されていることがいいとは限らないだろう。

他力本願の2つ目の視点というのは、1つ目の視点とも関連するのだが、今の自分がいるのは、ほんとうは自分の力によるものではない、むしろその割合はほとんどないといってよく、他者の力によるものだということを再認識することである。生きているのではなく生かされているという真理を確信することである。

すべての人は、親がいるから自分が生まれたわけであるし、日常生活の中でも、例えば飛行機に乗っているときとか、交通の激しい道路の端を歩いているときとか、自分の命を他者に委ねた無力の状態でいることはとても多い。日常生活では、空気が自分の命を支えていることに気付かない。生命の仕組みを勉強すればするほど、自分が現在この世で生きていることが奇跡的に感じてくるものでもある。他者の力によって自分自身が生かされているということは、自分がどのような人達と出会ってきたか、そして出会っていくかという「縁」の問題にもつながっていく。入社試験で受かった落ちたというのも、自分の実力とか相手の器量とかの問題というよりは、縁の問題であると考えたい。

他力本願の3つ目の視点は、大きな力に動かされながら、他人のおかげで今の自分があると感謝しながらも、そんな中でも、自分の内なるものから湧き出てくるポテンシャルを発見し、それを大切に育んでいこうとする姿勢である。自分の中にある「有り難い」部分を大切にする、「ありがたみのマネジメント」である。

自分の内なるものを大切にすることは他力本願と矛盾すると思うかもしれないが、その内なるものとて、もともとは他者の力によって授かったものである場合が多いはずだから、それを大切にすることは決して他力本願の精神に反することではない。持って生まれた才能を大切にすることは、天や他者が自分に与えてくれた授かりものを大切にすることである。

自分の中にあるポテンシャル、あるいは潜在的なコンピテンシーというのは、自然にしておいても、伸びよう、伸びようとしているものである。変に意識することによって、あるいは社会の通年に縛られたりすることによって、それが抑制されたりするわけで、自然の自分、等身大の自分であることを心がけながら、自分のポテンシャルを大事にすることが、それが自分自身の力で、自然に大きくなっていくのを感じることができるであろう。これは、そのポテンシャルさえ「私の自我」を超えた存在であることを含んで、他力本願だと言えるのである。よって、自分の中にある内なる声に耳を傾けることに努めよう。

これまで説明した内容からもわかるように、本稿でいう自力本願的キャリア観とは、一言でいえば「ねばならぬ」思考にとらわれることを意味する。世間で言われていることを真にうけて、自力でキャリアを切り開いていかねばならぬという意識が、焦りをよび、自分自身を呪縛する。決してそれは望ましいキャリアには結びつかないだろう。その呪縛から自分自身を解放しようとするのが、他力本願キャリア論なのである。