テンポラルワーカーと知識創造

労働派遣やコンサルタント契約など、企業のアウトソーシングが活発化しているのが近年のトレンドだといえましょう。こういった状況では、通常雇用者ではなく、いわゆるテンポラルワーカーが中心となります。一般的に、テンポラルワーカーは、企業の中核的な競争力とはあまり関係のない、付加価値の低い部分の請け負いといったイメージを抱きがちです。そして、安い人件費と環境への柔軟性といった視点のみで評価されがちです。

コア・コンピタンスの概念に代表される資源論学派によると、企業のコアとなる部分に自社の経営資源を集中させ、コアでない周辺部分はアウトソーシングするという戦略が望ましいとされています。ということは、自社のコア・コンピタンスの部分はテンポラルワーカーを使わず、周辺の部分のみテンポラルワーカーを使うという戦略を示唆しています。これに対して、知識論派は、必ずしもそうでないという視点を提供しています。それは、知識とは何か、知識創造とは何かを考え直すことから導かれます。

先の話題で、個人暗黙知、個人形式知、社会暗黙知、社会形式知という知識の分類を紹介しました。これに関連して、ワシントン大学のヒルらは、知識を「公的知と私的知」という次元、もう一つとして「全体知と部品知」という次元を提唱しています。公的知と私的知の例としては、公的知は一般に広がっている知識、たとえば「日本語」のようなもので、外資系企業が日本語を使える人材を抱えていないと日本企業と取引することが困難になる、といったような意味で、持っていないと競争劣位に陥る可能性のある知識です。私的知は、企業が独自に持っていて、外部に一般化されていない技術などです。全体知は、建築に喩えるならば、いろいろな部品・材料によって構築された全体としての知で、企業そのものが持つシステムや仕事のやり方、文化などは全体知です。全体知は、組織が長い間の経験を積んで作り上げるものです。一方、部品知は、全体知を構築するための部品としての役割をする知識です。

このような視点を踏まえ、なぜテンポラルワーカーが企業の知識創造に非常に重要な役割を担っているかを考察してみます。まず、テンポラルワーカーは、企業内にとどまらない幅広い活動をしており、かつ市場原理のプレッシャーから自己研鑚を怠らないという点で、優秀な公的知を持っている場合が多く、公的知を企業内に持ち込む働きをします。これによって企業は産業全般、特定の職務全般にわたる専門知識を獲得することができます。
次に、仮にテンポラルワーカーが、企業のコアの部分にまで浸透してきたとすると、そこにある私的知にアクセスするようになります。私的知には全体知と部品知がありますが、全体知は、テンポラルワーカーがすべて身につけることは困難で、全体知が企業外に流出することはまれです。一方、部品知はテンポラルワーカーによって企業外に流出することが考えられますが、それと同様に、企業のコアの部分を行き来するテンポラルワーカーは他企業の部品知も企業内に運んでくるわけで、その部品知とテンポラルワーカーの持つ公的知が、既存の知識構造に影響を与え、新しい知識を創造するきっかけになるものと思われます。つまり、部品知の組み替え、またはそれらと公的知の混合などのダイナミズムによって、新しい競争力の源泉となる全体知が生まれる可能性が高まるというわけです。

また、テンポラルワーカーは企業の外部者なので、企業内部のメンバーにとって、なにが暗黙知なのか気付かせる役割も果たします。つまり、テンポラルワーカーが理解できなくて、企業内の人間が暗黙に理解できているものは暗黙知なのですが、この「気付き」が、暗黙知を形式知化するきっかけにもなります。

このような考察から、テンポラルワーカーを企業のコアの部分にまで適用することは、企業の知識創造の活性化という利益と、企業の部品知の流出という損失の両方があります。したがって、常にコアに適用することが望ましいわけではありません。たとえば、産業自体が安定していて環境変化が少ないような場合は、用いる知識もあまり陳腐化しないので、テンポラルワーカーのコア部分への適用はあまり望ましくないでしょう。一方、環境変化が激しくて、常に知識の組み替えと統合、新しい知識の創造が必要な企業の場合、テンポラルワーカーをコアの部分にまで適用することは、それなりの価値があると考えられます。