【高山正之の異見自在】

日教組の作意
 戦後ではなかった戦後民主教育

[20000311日 東京夕刊


 学校の教材や入試問題にその一面コラムが使われる、というのを売りにしている新聞がある。

 先日、その自慢のコラムが回りくどい言い方で、誤った記述をしたと書いていた。第一次大戦が終わったあと、「日本人はサカナの缶詰に石ころを入れて平気で輸出していた」。これが実はうそでした、と。

 で、「日本人を侮辱してごめんなさい」と続くのかと思ったら、「歴史書の一部に事実めいて記されて」いて、困ったもんだ、で終わってしまった。

 こういうけじめのなさが果たして教材にふさわしいかどうかはともかく、この新聞、仮にA紙とすると、日本、あるいは日本人を貶(おとし)めるのが妙に好きなのだ。そればかりでなく、日本人をクサすのに急で、このコラムのようにときに作意のうそが混じる。

 例えば、沖縄の珊瑚に「KY」とかの彫り込みがあった。その写真を掲げて「最近の日本人は」と、その公徳心のなさを口を極めてたたく。ところがよく調べてみたら、何のことはない。A紙の自作自演だった。

 「これが中国戦線での毒ガス作戦だ」風な写真を堂々一面で報じたこともある。写真には水田の向こうに十数条の「毒ガス」の煙がモクモク天に向かって立ち上り、手前には日本軍兵士が突撃準備にあるといったような説明もついて、どうだ、言い逃れもできないだろう、旧日本軍はこんなに残虐だったんだからと告発する。

 日本の歴史をけなすことでは第一人者の藤原彰・元一橋大教授もうれしそうにコメントをつけていたが、ただ、せっかくの悪魔の毒ガスがモクモク天に昇っていくのでは、ちょっとヘンな気もする。

 その辺を本紙が「煙幕じゃないの?」と指摘した。そうしたらA紙の部長が怒鳴り込んできて、「ウチに盾突くとはいい度胸じゃないか」とか、確か、つぶしてやるみたいな脅しを並べ立てたが、結論からいうと、やっぱりただの煙幕で、おまけに日本兵と見たのは刈り取った稲束、記事で正しかったのは「中国戦線」だけだった。A紙は訂正を出したが、「場所が違っていた」という的外れな内容で、今回のコラムと同様、ごめんなさいでもなかった。

 A紙の2月24日付に日教組のうめきに同情する記事が載っていた。「敗戦まで日の丸と君が代は軍国主義教育に使われ、物言えぬ時代」を生んだ。「その反省が戦後民主主義教育の出発点になったはずだが」、今また文部省は日の丸を掲げ、国歌を歌わないと教師を処分すると脅す、と続く。再び教室に軍靴が響き始めると日教組はおびえている、と。

 心配なことだと思う。ただ少し気になるのが教育現場では「戦後すぐに軍国主義の反省に立ち軍国主義の象徴、日の丸、君が代を排除してきた」と読めることだ。

 これはうそである。そんなことはなかった。

 日本を占領したマッカーサーが日の丸を解禁したのは昭和24年1月元旦だった。あの戦争では国民の30人に1人が殺されたが、そういう家庭も含めて元旦には金色の宝珠と節目ごとに黒く塗った竿に日の丸を結んで玄関の前に掲げた。その年以降、祝日の街角は日の丸だらけになった。

 学校でも入学式や卒業式に日の丸は当たり前の存在だったし、毎週の朝礼、運動会でも国旗掲揚が行われていた。

 日本の軍国主義を徹底的に排したことになっているマッカーサーは昭和26年、トルーマンにクビにされて帰国するが、米国大使館に近い学校の児童、生徒は彼の見送りに狩り出されて小旗を振った。小旗は日の丸だった。

 マッカーサーは日の丸解禁後もチャンバラ映画の仇討ち物は禁止したままだった。いつの日か、米国が復讐されたらかなわないと思ったのだろう。日の丸より時代劇の方が彼は軍国主義的と思っていたのだ。ついでながら講和条約が結ばれ、映画に自由が戻ってくると、よく「外人」が出てきた。それがバテレンとか、ギャングのボスとか、みんな悪役に決まっていて、最後は大川橋蔵に切られるか、小林旭に撃たれて死んでしまう。「外人」の本質を知っていた時代だった。

 経済白書が「もはや戦後ではない」と書いた昭和30年代を通して、だから日本の街にも学校にも日の丸や君が代はごく当たり前に存在していた。

 ただ40年代に入って事情が変わってきた。核家族化、団地化が進んだことと、日教組が勢力をつけ始めたことで、日の丸がだんだん生活の中から遠ざかり始めた。戦前、「ペンをもって皇国の御盾にならん」と意気揚々、書いていた家永三郎が妙な裁判を起こしたのもこのころである。

 戦後民主主義教育とは、正確には、戦後20年たってから日教組が始めたものである。彼らはついでにそれがあたかも戦後、すぐに「軍国主義の反省」から生まれたことにしてきた。でも、うそは長続きしない。その虚構が今やっと崩れ出したにすぎないのだ。

 そういうことはこの記事を書いた記者はともかく、A紙の五十代編集幹部だって知っているはずである。うそを承知で載せるのはもうやめてほしい。

(編集委員)


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