所沢教諭の主張に反論しない埼玉県教委


 3月の入学説明会の発言を理由に戒告処分を受けた埼玉県立所沢高校の竹永公一教諭が、処分が不当であるとして埼玉県人事委員会に求めていた審査請求の第2回口頭審理が12月16日、県庁第3庁舎講堂で傍聴者160人が見守るなか開かれた。竹永教諭側の主張に、処分者の埼玉県教委側は「反論は文書でする」とその場での反論を避けた。前回の審理で存在が明らかになった同教諭の発言を録音したテープについて、県教委倒はテープ起こしした文書を提出することを約束した。
 審理で教諭倒は「竹水教論の入学説明会での発言は、新入生・保護者の不安を取り除くために当然の発言」と主張した。また、@所沢高校での学校運営への生徒参加の実態、A憲法や子どもの権利条約で保障されている生徒の参加権、B内田達雄校長の非民主的な学校運営の実態、C職員や生徒の意向をまったく無視した校長の決定の違憲、違法性、D学習指導要領(のすべて)には法的拘衆力がないこと−などを指摘した。
 所沢高校では今春、生徒会が「入学を祝う会」を計画、校長同席の職員会議でも生徒の計画を承認していたが、内田校長が一方的に「入学式」の開催を通告。「入学式に出席しないと入学を許可しない」ことを示唆する文書を出すなど混乱が予想されていた。このため入学説明会で、新1年生学年代表の竹永教諭が経過を報告。「混乱のないよう当日まで努力を続ける」旨の発言をした。これに対し、埼玉県教育委員会は3月26日、同教諭の発言が校長の意向に背いた信用失墜行為に当たるとして、3ヶ月の昇給延伸の処分を下していた。
 第3回公開口頭審理は1月20日午後2時半から県庁第3庁舎講堂で行なわれる。(所沢高校教諭への不当処分撤回を支援する会事務局長 谷柑勝彦)

九九九より (週間金曜日に反論しても仕方の無いことだが)ちょっと待て!竹永教諭の発言は,「混乱のないよう当日まで努力を続ける」なんて言っていないぞ!校長とまったく正反対のことを言ったから処分されたんだ.事実を歪曲するのもいいかげんにしてくれ


子どもの権利条約10年政府は国連勧告を守れ


 「『予どもの権利条約』採択10周年記念市民・NGOで非政府組織)大集会」(DCl=Defense forChildren International=日本支部主催)が12月6日、東京都目黒区の杉野講堂で開かれた。
 国連は今年6月、「子どもの権利条約」に基づく審査で「日本の子どもたちは、過度に競争をしいる教育制度のなかでストレスにさらされ、発達障害に陥っている」などの「勧告」を日本政府に出している。
 集会では、元国連・子どもの権利委員のマルタ・パイス氏と国連・子どもの権利委員ジユデイス・カープ議長(日本審査時)が講演した。
 パイス氏は「日本への勧告は、かつてない異例なもので、ごく普通の子どもたちの問題を取り上げている。日本政府は『子どもの権利条約』の基本精神をいかし、経済的に豊かな国の子どもたちが抱える問題に取り組まなければいけない。そのためには、市民やNGOの草の根運動が重要」と話した。
 カープ氏は「不登校であることも、障害を持っていることも、個性のひとつ。社会約に弱い立場にある人間の個性も殺すことなく、生かすことが出来るような社会にならなければいけない」と語った。
 また、カープ氏は、国連審査で発言をした日本の子どもたち(本誌225号〔七月三日〕参照)が『時事通信』『産経新開』『週刊文春』などで誹誇中傷されたことについて、「発言した子どもたちは、本釆持っている権利を自分たちの手に取り戻した素晴らしい若者たちだ。子どもは『子どもの専門家』。専門家である子ども由身からの情報ほど貴重なものはなく、良い先例となった。彼らを励ますことこそメディアの役割であって、どんなことがあっても彼らを傷つけるようなことは許されない」と怒りをあらわにした。 (フリーライター木附千晶)

九九九より しっかし,週間金曜日ってひどいね(あ!これレッテル貼り)『不登校であることも、障害を持っていることも、個性のひとつ』って,ものすごくひどいよ!「不登校」「障害」って,病気の一種だよ.盲腸になった人に,「個性のひとつ」って言って治療しないのと一緒じゃないか.そもそも,国連で発言した子供は「自分」の意見で発言したんじゃない.左翼運動家に洗脳されて発言したんだ.


高校生フエスティバルで「21世紀宣言」


 「私たちに必要なのは、目の前にどんな壁が立ちふさがろうと、それを乗り越えていく勇気と力を持つこと」−愛知県内の私立高校に通う高校生たちが11月22日、高校生フェスティバル(本多秀紀実行委員長)を開き、「20世紀最後の高校生」として「未来の自分たち」へ向けたメッセージを発表した。
 このフェスティバルは今年で25年目で、愛知県内の私立高校約50校が参加した。「21世紀宣言」は、現在の高校2年生が卒業するのが2001年になることから考えついたという。
 その内容は一般社会や大人、そして自分たちへの問題提起。大人に村しては「"いまどさの高校生"という言葉で、ひとまとめにして私たちを見ないで」と指摘、親に村しては感謝の言葉を述べながらも、「私たちは親の自己満足でない真実の "愛"を求めている」。そして自分たちには「学校がつまらないと、背を向けないで。私たちが動けば学校が変わる」と、生徒の手によつて変わりつつある学校を紹介した。
  (フリーランス 渋井哲也)
週刊金曜日1998、12、25(249号)P5~7

コジラさんどうもありがとうございました.九九九


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