平成 11年 (1999) 2月23日[火] 友引
正論 慶応義塾大学教授・弁護士 小林節

卒業式に日の丸と君が代を
尊重されるべき国旗と国歌


《毎年起こる不毛な論争》

 また三月の卒業式シーズンが近づいて来たが、この時期になると年中行事のように繰り返される不毛な論争のひとつに、「日の丸」と「君が代」の使用を巡るものがある。

 今の私にしてみれば、日の丸はわが国の国旗として、また、君が代はわが国の国歌として、それぞれに確立された慣習法になっており、それらを卒業式などの公式行事において使用することはむしろ当然で、それに異を唱える勢力が存在すること自体が不可解である。

 もっとも、そうは言っても、日の丸と君が代はそもそも憲法違反だという有力な見解が存在することは私も承知しているし、現にこの私自身がその見解を信じていた時もあった。実に、教育の効果は恐ろしいもので、かつて物心(ものごころ)がついた頃に、私は次のような教育を受けた。つまり、まず、アジア近隣諸国に対するあの侵略戦争をしかけた大日本帝国の軍旗であった日の丸は、そういう意味で「侵略」の象徴であり、現在の平和憲法の下で国旗として使用されるに相応しくない。加えて、旧憲法の下で(形式上は)わが国は天皇が統治する時代(つまり「君が代」)であったが、それが日本国憲法になって国民が統治する時代(つまり、いわば「民(たみ)が代」)に変わったのだから、そういう意味で、現憲法の下で君が代を国歌として用いることは許されない。これらは一見もっともな主張である。しかし、今、私は、後述するように、このような見解は間違いだと考えている。

 まず、わが国には、国旗と国歌について定めた憲法の規定も法律も存在しない。そこで、この問題は、法学的には、不文の習わしとしての「慣習法」の存否の問題になる。そして、慣習法の評価基準は、要するに、その慣習が成文法に矛盾しない限りそれは法として認められる…ということである。だから、今回の争点は、日の丸と君が代が日本国憲法の精神に反するものならばその慣習法は無効で、逆に、それが日本国憲法の精神に反しないものならば、歴史的慣行にしっかり支えられた習わしとして、それは法的拘束力を有する…ということになる。

《日本的で美しい日の丸》  

 そこでまず、「日の丸」の本質であるが、それは、南北に細長く海に囲まれた日本列島において最も慣れ親しまれた日の出の景色に由来することは明白で、それ故に、日の丸は古来わが国においてさまざまに用いられてきた。そういう意味で日の丸はわが国で最もポピュラーな(つまり、大衆に愛着を持たれた)デザインである。それが、江戸時代に始まった国際化に際してわが国の船舶の印として公式に用いられたのが切っ掛けで、以来、わが国の国旗として日の丸を使用する慣行が確立された。

 また、第二次世界大戦(大東亜戦争)における敗北に至るわが国の一連の対外活動に際しても、わが国が日の丸を国旗として使用していたのは事実であるが、それは、まさにそれが国旗だから使用されただけのことで、少なくとも日の丸のデザインそのものにはその本質として何の侵略性も認められない。当時のわが国の海外進出が、現代の基準と相手国の目線で見た場合に「侵略」であったと評価されてもそれはそれで仕方ないことだとは思うが、ここで大切な点は、その「侵略」は歴史の大きな力学の結果として生じたことで、それは些(いささ)かも「日の丸」の故に生じたことではない…ということである。

 要するに、日の丸こそは、わが国の地理的条件の中から自然に生まれ、長い歴史の中で日本民族に愛用され、十分に確立された慣行に支えられた日本の国旗であり、そのデザインには些かも日本国憲法の精神に反するところはない。そういう意味で、日の丸は、紛れもなく、わが国の誇るべき国旗である。

《国家に相応しい君が代》  

 他方、君が代についても、上述のように、一般にはかなりの誤解がはびこってしまっている。

 しかし、まず何よりも、君が代の歌詞が「詠(よ)み人知らず」である点が重要であろう。つまり、それは、古くからわが国に伝承されてきた祝詞(しゅくし)、つまり、他者(つまり、「君」とは普通の二人称単数「あなた」の類であり、天皇に限られるものではない)の長寿を願い祝う歌である。これなどは、四季の自然と海に守られ平和で豊かな暮らしを享受してきた、和(すなわち他者との友好関係)を大切にする日本民族の長所が現れた歌だと言えよう。そして、このような歌の趣旨は、他国の国歌の中にしばしば見られる戦争を鼓舞する歌詞などと比べて遥かに平和主義的であるし、もちろん、国民主権主義や人権尊重主義といった他の日本国憲法の基本原理に反するものでもない。

 このように、わが国には、風土と民族性の中から自然に生まれ、しかもその意味において極めて穏当な国旗・日の丸と国歌・君が代があり、私たちは、そのことに誇りと自覚を持って、それらを次代へ伝えていく責任があるのではなかろうか。(こばやし せつ)


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