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日本国憲法の制定過程


1.国書刊行会「高等学校最新日本史」
 (平成6年文部省検定済み)
(本文)GHQから憲法改正の指示を受けた幣原内閣は,憲法問題調査委員会で改正案をつくって提出した.GHQは,改正案は不徹底なものであるとして拒否し,マッカーサーの三原則(注釈文1)をもりこんだ新憲法草案を提示した.幣原内閣はこれをもとに新たに「憲法改正草案」を作成し,政府案として公表した.政府案は帝国議会の審議をへて(注釈文2),日本国憲法として昭和21年(1946)11月3日,公布され,翌年5月3日から施行された.
 この憲法は,象徴天皇・基本的人権の尊重・主権在民・平和主義などの特色をもっている.天皇は国民統合の象徴とされ,公選議員よりなる衆議院・参議院で構成される国会が,国権の最高機関となった.また,第9条には戦争放棄・軍備撤廃が明記された.(注釈文3)
 憲法の改正にともなって皇室典範・民法(注釈文4)などが改正され,地方自治法(注釈文5)・国家公務員法・警察法(注釈文6)などが新たに制定された.最高裁判所裁判官に対する国民審査もおこなわれることになった.
(注釈文1)三原則の要点は,(1)天皇は国の元首の地位にあり,皇位は世襲とする,(2)国家主権の発動としての戦争は廃止,紛争解決の手段としてのみでなく自衛の手段としても戦争を放棄する,(3)貴族の権利は現生存者一代かぎりとする,というものだった.
(注釈文2)日本国憲法の制定は,形式上は大日本帝国憲法の改正手続きにのっとっておこなわれた.
(注釈文3)議会での審議の過程で,第9条2項に「前項の目的を達するため」という一文が追加されたために,国際紛争を解決する手段としての武力はもたないとの限定解釈も可能で,自衛のための防衛力を保持する余地がのこされたという説もある.政府は憲法制定後の公式見解として,第9条は完全な軍備撤廃であることを表明したが,マッカーサーは昭和25年(1950),第9条は自衛権を否定したものではないと弁明し,翌年,首相吉田茂も自衛権をもつのは当然であるとの見解を示した.他方で,自衛隊は違憲であるとの説もある.
(注釈文4)昭和22年(1947)の改正によって,戸主制度が廃止され,男女平等の婚姻・相続が実現した.
(注釈文5)昭和22年(1947)の制定で,都道府県知事の直接選挙が定められるなど,地方自治が強化された.
(注釈文6)昭和23年(1948)の制定で,人口5千人以上の市町村には自治体警察が設置された.

2.実教出版株式会社「高校日本史B」
 (平成6年文部省検定済み 平成7年発行 平成8年度用教科書)
(本文)1945年10月以後,政府部内の憲法改正の準備と平行して,各新聞も憲法の民主化を求める社説をかかげ,各政党や憲法研究会などが,憲法草案をそれぞれ発表した.(注釈文1)
 幣原内閣は,1946年2月,従来の天皇大権を維持することを基本とする憲法改正要綱をGHQに提出したが,マッカーサーは,独自案の起草をいそぎ,それを政府に示して受諾を説得した(注釈文2).幣原内閣はGHQ案を土台にした帝国憲法改正草案要綱を決定して3月に発表した.帝国議会の審議をへて,日本国憲法が可決成立し(注釈文3),11月3日公布,翌1947年5月3日から施行された.
 新憲法は,国民主権,戦争放棄,基本的人権の保障を大原則と定め,国会は国権の最高機関とされた.天皇は統治権者としての地位を失ったが,「日本国民統合の象徴」としてのこされた.
(注釈文1)自由党・進歩党・社会党は立憲君主制の憲法案を,共産党は共和制の憲法案を発表した.また,高野岩三郎が共和制の憲法案,憲法研究会が現行憲法に近い案を発表した.
(注釈文2)マッカーサーと昭和天皇との会談後,GHQ首脳部は,占領政策遂行のため,天皇の存在は不可欠であると判断していた.しかし,連合国のなかには,天皇の戦争責任を追及する意見も強かった.そのため,1946年2月に第1回極東委員会がひらかれるまえに,天皇の存続と戦争放棄を軸とした新憲法の骨子を確定しておく必要があるという考え方が,GHQのなかにあったといわれる.
(注釈文3)審議の過程で,国民主権を明確にすることや,生存権規程の追加などの修正がおこなわれた.

3.自由書房「高等学校新日本史B」
 (1993年文部省検定済み 1994年発行 1995年度用教科書)
(本文)政治活動の自由が保障されると,戦時中に解散していた政党が復活し,1945(昭和20)年末までに日本社会党・日本自由党・日本進歩党・日本協同党などが相ついで結成され,また日本共産党がはじめて合法政党となり,活動を再開した.同年12月,衆議院議員選挙法が改正されて,満20歳以上の男女はすべて選挙権をもつことになり,ようやく婦人参政権が実現した.翌1946年4月,戦後最初の総選挙がおこなわれ(注釈文1),日本自由党が第一党となって吉田茂内閣が成立し,ここに政党内閣が復活した.
 これよりさき,総司令部は大日本帝国憲法の改正を勧告した.はじめ政府は,帝国憲法を部分的に修正したにすぎない程度のものを立案したが,総司令部はこれを認めず,結局,政府は総司令部の原案を基礎にして,民主主義の精神にもとづく全く新しい憲法草案を起草した.この草案は帝国議会の審議をへて,1946年11月3日に日本国憲法(注釈文2)として公布され,翌1947年5月3日から施行された.
 日本国憲法は,旧憲法の天皇主権を根本的に否定して国民主権の原理を明らかにし(主権在民),国会(衆議院と参議院で構成)は国権の最高機関であり,天皇は日本国民統合の象徴であることを定めている.また,戦争を永久に放棄し,すべての戦力を保持しないこと(平和主義),すべての国民に侵すことのできない永久の権利として基本的人権を保障すること,などを定めている(注釈文3).
 新憲法の制定にともなって,諸法典・諸制度も大幅に改正された.民法は,憲法の男女同権の精神にのっとって,妻の権利の制限がのぞかれ,戸主制も廃止され,財産相続についても,配偶者はつねに相続権をもち,子の相続権も男女・長幼の別なく均等とするなど,大きな改革がなされた.刑法では大逆罪・不敬罪・姦通罪などが廃止された.また,内務省は解体されて,憲法の定める地方自治の原理のもとに地方自治法が制定され,都道府県知事は住民の直接選挙による公選となった(注釈文4).
(注釈文1)この選挙では,婦人が84人も立候補し,39人の婦人代議士が誕生した.
(注釈文2)植木枝盛ら自由民権諸派の私擬憲法も参考にして起草された憲法研究会の「日本国憲法草案要綱」は,総司令部に提出され,総司令部の原案を通じて日本国憲法に反映された.
(注釈文3)国民主権・平和主義・基本的人権の保障は,日本国憲法の三大基本原理とされている.
(警察も,1947年に警察法が公布されて,国家地方警察のほかに,地方分権的な自治体警察がおかれた.官吏は天皇の官吏から,国民に奉仕する国家・地方公務員に変わった.

4.第一学習社「高等学校改訂版新日本史B」
 (平成9年文部省検定済み 平成10年発行 平成11年度用教科書)
 1946(昭和21)年2月,総司令部は,象徴天皇制・戦争放棄・封建制廃止を主眼とする新憲法草案を日本政府に手交した.それをもとに日本政府は改正草案をつくり,帝国議会の審議を経て,11月3日,日本国憲法を公布した(翌年5月3日より施行).新憲法は,主権在民・基本的人権の尊重・平和主義をおもな特徴とした.それは,戦争経験を通じて,平和と民主主義を願うようになった多くの国民から歓迎された.この新憲法によって,民主化の枠組が全般的に定められ,法律や制度など多方面にわたる改革が推進された.(注釈文1)
 (注釈文1)民法が改正され,封建的な家族制度の廃止,個人の尊重・男女平等が定められた.


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