教育の窓

教育の再生を願って

作家 曽野綾子


戦後教育をおかしくしたものは・・・・・・


 最近「荒れる子どもたち」という言葉をよく耳にします.その原因は長い間,日教組系の先生方が中心になってなさった教育のせいでしょうね.すべての原因がそこにあるとは言いませんが,それらの先生たちの教えてきたことは,自己の権利を優先することです.これは誰でもそうでしょうが,この自己の権利,いわゆる利己愛にプラスして他人のことを思いやる心を教えることが欠落していたと思うのです.
 ある日,日教組系の先生は黒板に「自分の損になることには黙っていない」という標語を書き出しました.こんなものが教育の理念であるはずがない.自分の損になることに黙っていないのはいいのですが,もう一つ進んで「自分の損になることもできる人間になれ」となぜ教えなかったのでしょうね.その結果として権利ばかり主張する子どもができあがってしまった.
 国旗や国歌の問題もそうです.日の丸は戦争で血に塗られたものであるから教育の場にふさわしくないと言うのなら,理想的なものに変えればいい.国旗というものは一つの記号です.国旗や国歌が必要ないと言うのなら,それに代わる教育をしなければならないと思います.
 国旗や国歌の問題もそうです.日の丸は戦争で血に塗られたものであるから教育の場にふさわしくないと言うのなら,理想的なものに変えればいい.国旗というものは一つの記号です.国旗や国歌が必要ないと言うのなら,それに代わる教育をしなければならないと思います.
 しかし,外国へ行くと言葉も通じない,文化も違う,まして日本がどこにあるかも分からないという人たちがたくさんいるのです.日本のことで知っているのはオートバイのメーカー名くらい.
 そんな中で友愛の情を示す一番手っ取り早いのが国歌と国旗です.ある種の識別道具ですよ.それでも血に塗られた旗であると言うのであれば,大東亜戦争で死んだ人は約300万人前後です.戦後の平和な時期に中絶によって失われた生命は1億人です.大東亜戦争33回分です.人命ということで語るならば国旗が血塗られたのは戦後です.
 戦後の教育をダメにしている原因の中に,親御さんも入っています.親が信念というものを持っていない.世間体ばかり気にしている.ひとには決して強制しませんが,私は子どもが学校で国歌が流れるような場面にいたなら,「国歌が流れたら立ちなさい」と教えるし,「オレ1人だけ立つのはいやだよ」と言えば,「それは間違っているよ」と,はっきり話します.国旗,国歌イコール戦争という考え方は全く外国を知らないからですね.この地球上で血に塗られたことのない国旗や国歌などおそらく一つもないでしょう.
 私は教育というものは理念を教えることではなく,現実を教えることだと思っています.例えば,老人問題一つとってみても,高齢化社会が進む中で子どもはどうしても親の面倒を看なければならない.国がすべてを看ることなど不可能ですから.
 急に親の面倒を看なさいといわれてもこれは無理.日常的な些細なことから訓練していかなければダメ.「老人を大切にしよう」.いくらその理念を教えても効果は上がりません.老人が現在置かれている日本という国の中での現実を教えなければ真の福祉というものを手にすることはできないと思います.


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