「いい子ブーム」の裏に隠されたもの


 最近よく感じるのですが,みんな「いい子ごっこ」をしていると思います.「いい子ブーム」なのです.子どもだけじゃない,いま多くの人たちが署名運動やボランティア活動に参加しています.それ自体は大変いいことです.しかし,その結果として「私はいいことをしてやった.ありがたく思え」なのです.もちろんすべての人たちがそうだと言っているのではありませんが,往々にしてこのタイプが多いように思えます.
 私はこれらの活動というものは「人のためにするのではなく,自分のためにすることだ」と思っています.ですから,お礼を言われなくても当然だし,結果的に「ありがとう」と言われたとしたら素晴らしいことです.
 「いい子ブーム」に対して「いい人」ブームもあるんですね.例えば,差別用語と言われるものがあります.私は強度の近眼ですが,自分の事を「ド近眼」と言って注意を受けたことがあります.人間というものは,何かしら人と違った不便さや不幸というものを固有に持っています.その不便さや不幸という状況の中から多くのことを学ぶことができるのです.
 もし「ド近眼」を使っていけないというのであれば,今話題になっている『五体不満足』という書名も許されないはずです.私がこの言葉を使ったとしたら「それは差別」という言葉が返ってくるでしょう.障害を持つ当事者が使うのはいいが,そうでない人が使うのはは差別であるというのなら,それこそ差別なのです.
 この問題の本質は,その言葉を使わないから差別していないなどという低レベルなことでなく,その人が固有に持つ「違い」が認められるかどうかだと思うのです.それがあたかも「違い」を違いとして認めるのではなく,「同じ」としてとらえるからきれいごとのタテマエ論になるのです.このことを大人は子どもに教えてこなかったことの結果として,現実味の無い「いい子」を子どもも大人も演じ続けているのです.


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