宗教観のない日本の教育


 戦後日本の教育がおかしくなりだした原因を大まかに述べてきましたが,最後に日本の教育における宗教観の欠如について指摘しておきたいと思います.私は熱心なキリスト教徒ではありませんが,何かを考える時に,それが神であっても仏であってもいいのですが,人間を超越したものから見て,どれが正しいことなのかを考えます.
 キリスト教では,私たちが正義とふつう言うのは,日本語の「義」,ギリシャ語ではデカイオシューネーという言葉で,「人間と神の折り目正しい関係」という意味です.ですから神であっても,仏であっても,そこにある会話があって,人間として取るべき道を考える.正義は横の関係じゃないんです,神と各人との,人に知られない縦の関係にあるんです.「裁いてはいけない」ということは裁判をするななどという浅いことではなく,もっと深い人間の根元的なものなのです.その人と神や仏との間にどのような会話があったかは誰にも分からないわけですから.
 日本で言う正義とは,みんなでやっているからこれは正しいことだという横の関係で成り立っています.宗教では縦の関係です.横の100人がこれはいいことだと言ってもそれは正義ではないのです.
 戦後日本の教育に宗教観がないと言われるのはまさにこのことで,「相手を言葉で納得させればいい」と考えているからです.人間を言いくるめることはできても,神や仏を言いくるめることはできません.


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