静岡新聞 平成11年3月30日

日本人の心忘れた日本人

情報提供少国民さん:平成12年3月6日のメール


少国民様より : お久しぶりで御座います。またまたメールお送りいたします。古いですが平成11年3月30日の静岡新聞 論壇に千葉県商科大学長 加藤 寛の意見が載っていたので送ります。

国旗・国歌への無関心

 卒業式から入学式のシーズンになると、きまって、「日の丸」と「君が代」が問題になる。どんな国にも国旗と国歌がなければ、その国のシンボルがないことになるから、国旗と国歌を定めることをいやがる人はいないだろう。反対論の多くは、「日の丸」と「君が代」につながるイメージを嫌っているのだと思う。それにしても、敗戦後、どうして、ここまで「日の丸」反対「君が代」反対が力を得てしまったのだろう。オリンピックであれほどまで、熱狂的「日の丸」を振って応援しているのに、日本人の多くは、「日の丸」「君が代」に襟を正して注目し唱和しようとはしない。外国では多くは多民族国家であったり、自国民主張をしなければならない状況だから、国旗、国歌を大切にするが、日本では、島国という安易さがその意識を持たせないのだと私は思う。
 しかし、最近どうもそれだけでは回答にならない気がしている。第一に、日本はいまやグローバリゼーション(世界化)の中に突入して、日本を意識しないでは存在できなくなっているのだから、国旗・国歌は無視できないはずだ。第二に、最近では、大人も含めて国旗・国歌に無関心になっている。君が代を歌えない成人が増えているようにさえみえる。
 この無気力さは何故だろうか。一国が豊かになれば、努力しなくても報われることが多くなる。たとえば、減税をしようとすると、喜ぶ人ばかりと思うと、反対という声が起こる。何故かと思うと、税金を払っていないから減税にはならないのだという。そういう人たちは、いままで税金を払わないという特権を持っていたのだという恩恵を忘れている。減税の恩恵を受けられないことを嘆くのは間違っている。
 屋山太郎氏が、地域振興券政策を日本人を乞食にするのかと嘆いていたが、努力せずに報われるというのは、たしかに間違っている。最低生活は保障するが、それは恩恵ではなく、それによって再び気力をもって立ち上がれるように保障するだけである。福沢諭吉は「保護」と「世話」とは違うことだと論じたが、介護保険にしたって、救貧政策であってはならない。あくまでも自己責任で自立生活を助けることが主眼でなければならない。
 福沢諭吉を尊敬して巣鴨商業学校(現千葉商大)を創設した遠藤隆吉は、「人間社会は不平等が基本である」と喝破した。人それぞれ自然に受けられた差がある。その差を埋めることこそ人間の努力である。それは教育と学習によって達せられると論じたのである。すなわち、平等は努力によって達成されるものであって、努力なくして報われるものではない。

 努力してこその平等

 その心を日本人は忘れてしまった。そしてひたすら恩恵を受けようと考えている。これでは何のために学校に入り、勉強したかが、分からないのではないだろうか。いま、卒業式や入学式のたびに国旗・国歌が問題になるのは、日本人が日本人の心を忘れたからであり、それを法で制定しなければ定着できないという時代になったことを悲しく思う。
 小学校・中学校教育の中に日本人としての魂と誇りを先生方は教えてくれなかったのだろうか。国際極東軍事裁判で、多くの判事が日本の戦争責任を追求したとき、インドのパール判事(カルカッタ大学学長)だけは、帝國主義戦争の勝者が敗者を裁くことはできないと日本を擁護し、「この過ちを繰り返しません」と書いてある広島原爆碑の前で「誤ったのは日本ではない」と主張した、パール判事を忘れてはならない。パール判事はこうもいった。「たとえ東京裁判で日本が悪として裁かれたとしても、日本人が首をうなだれて歩く必要はない」と。このパール判事の言葉を戦後教育の中で反芻していれば、国旗・国歌の是非を論ずることはなく、自殺する校長も分裂卒業式も生じなかったに違いない。

少国民さんより : 以上です。長くなりました、すみません。少国民としてはパール判事の言葉などに感動しました。学校の仲間と話し合って、もし「国歌斉唱」のときに皆が座っても私たちは歌うという意志確認をしました。九九九様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げております。皇国万歳 少国民より
九九九より : 少国民さんいつもありがとうございます.私は,『
遠藤隆吉は、「人間社会は不平等が基本である」と喝破した。人それぞれ自然に受けられた差がある。その差を埋めることこそ人間の努力である。それは教育と学習によって達せられると論じたのである。すなわち、平等は努力によって達成されるものであって、努力なくして報われるものではない。』に共感しました.教員やっていると,人間は生まれながらに不平等なんだな,と痛感することがたびたびあります.その不平等を埋めるのは,努力と学習による.良い言葉です.


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