日の丸・君が代問題の法的検討

西山隠士/鐵扇會氏


 周知のように、日の丸(日章旗)・君が代を国旗・国歌とする法律が、平成11年8月に成立した。
 日の丸・君が代を国旗・国歌とする法的根拠はないと主張し、入学式・卒業式等での掲揚・斉唱に強硬に反対してきた一部教職員組合等を意識した立法であることはいうまでもない。
 校長は法規に基づき、責任と権限を自覚して学校運営を行わなければならない。
 教員は法規に基づき、上司の職務上の命令に従って学校教育を行わなければならない。
 法的拘束力を有する学習指導要領に則って、入学式・卒業式等において国旗掲揚と国歌斉唱の実施を指導するのは当たり前のことである。
 ところが、一部の地域では根強い抵抗があるのが実態であり、文部省の調査による国旗掲揚・国歌斉唱の実施率でとりわけ低い地域に、北海道・神奈川県・三重県・大阪府・札幌市・川崎市などがある。
 産経新聞には、「教職員団体の理解が得られないのが主たる原因」とする北海道教育庁のコメントが掲載されていたが、管理運営事項についてなんらの交渉権限も有しない教職員組合(法的には労働組合ではなく職員団体である)の要求に校長が押し切られている現状は異常である。
 学校教育法施行規則において職員会議が校長の補助機関として明確に位置付けられるなど、教育改革により校長の権限と責任が強化されている中、校長には組合の理不尽な要求に屈しない強いリーダーシップが求められる。


○ 校長の職務権限
 「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」(学校教育法28条3項)学校の管理運営上必要な一切の事柄は、最終的には校長の権限と責任において処理されなければならず、また、校長は教職員の上司として職務命令を発することができる。
 職務命令には格段の形式はなく、文書でも口頭でもかまわない。
 校長のつかさどる「校務」とは、学校運営上必要な一切の仕事を指し、教育課程や学習指導等の管理運営に関するものも当然含まれている。
 職員会議は、最高議決機関ではなく校長の補助機関であり、校長が主宰するものである。


○ 教育公務員の義務
 地方公務員である公立学校教職員は、地公法32条により法令及び上司の職務上の命令に忠実に従う義務を負っている。
 したがって校長の職務命令があった場合はもちろん、特段の命令がなくても、法規たる性質を有する学習指導要領に従って入学式・卒業式等が円滑に行われるよう努力する職務上の義務がある。
 たとえ、校長の職務命令が不当なものだと思えたとしても、重大かつ明白な誤りでないかぎり適法の推定を受けるから、職員が勝手に個別に自分で判断して従うかどうかを決めることはできない。


○ 学習指導要領
 入学式・卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施については、学校教育法や同法施行規則の規定に基づいて文部大臣が公示した学習指導要領に明記してある。
 これは法的拘束力を有し、国の定める教育課程の基準として、国公私立を問わず、いずれの学校においてもこの基準に従わなければならない。
 学習指導要領が法的拘束力を有することについては、平成2年、最高裁の伝習館高校事件判決で明確になっている。
 学習指導要領の特別活動の項目に、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と明確に示してある。
 入学式や卒業式は、学校教育活動の一環として、教育課程としての特別活動の中の学校行事に位置付けられており、学校が卒業式などを実施する場合、学習指導要領に従って国旗の掲揚・国歌の斉唱を実施すべき義務を負っている。
 一方では、学習指導要領は大綱的基準であって、その実施については各学校の主体に任せられるべきだとの主張もある。確かに学校長の責任の下に、実施の細部については地域や学校、児童・生徒の実態に応じて創意工夫がなされるべきであるが、その裁量にも当然制約があるのであって、具体的に学習指導要領に実施を明記してある国旗の掲揚・国歌の斉唱の実施や指導そのものを行わないことは明らかに法の趣旨を逸脱している。


○ 教職員組合
 北教組などの教職員組合は地公法52条により認められた「職員団体」であり、労働組合ではない。
 職員団体は給与、勤務時間その他の勤務条件などに関し、当局と交渉できるが、管理及び運営に関する事項は交渉の対象とすることができない。
 卒業式における国旗・国歌の掲揚・斉唱は、管理運営事項であり、職員団体との交渉に応じなければならない事項ではない。


○ 日の丸は侵略戦争の象徴か?
 日の丸を始め、国旗が国家間の戦争(オリンピックなど国家間で競われるスポーツの大会もそれに準ずる)において掲げられるのは、敵味方の集団を識別する目印として古来軍旗が用いられてきたように、国家という集団のシンボルとしての国旗の本来の属性に当然に伴うことがらなのである。
 日の丸のデザインだから特に掲げられたのではなく、国旗だから日の丸が掲げられたのであるし、日の丸を掲げたから戦争になったのではなく、戦争だから日の丸が掲げられたのである。
 世界中の国旗の中でまったく「血塗られた旗」でない旗などほとんど存在しないはずである。
 日の丸は太陽を象ったものであるが、古くは太陽神たる天照大神を始祖神とし、聖徳太子が「日出づる処の天子」と称した歴史を持ち、「日本」という国号を称するわが国を象徴する旗として、これ以上ふさわしいものは存在しないだろう。


○ 君が代は国民主権の日本国憲法になじまないか?
 日本国憲法には第1章に「天皇」に関する事項が明記されており、日本国と日本国民統合の象徴たる天皇がとこしえにお栄えになるよう祈願する君が代の歌は、日本国憲法の趣旨になんら反するものではない。
 日本国と日本国民の象徴たる天皇がとこしえにお栄えになるということは、すなわち日本国と日本国民が末永く繁栄するようにという意味を同時に表しているのである。
 また、君が代は日本国憲法に基づき国会で制定された法律である「国旗及び国歌に関する法律」により国歌と定められたのであり、法規的性質を有する学習指導要領により明記されている入学式・卒業式等での国歌斉唱に反対することの方が、議会制民主主義と法治主義を原理とする憲法の趣旨にそぐわないことになる。
 君が代は古く古今和歌集にすでに原型が存在し、その後もさまざまな形で広く歌われてきた歴史のある歌であり、57577の和歌の形式で日本古来の文化を伝える由緒ある歌である。
 およそ2000年の長きにわたって天皇を擁してきた日本の国柄を象徴する意味でも、国歌たるにふさわしいものである。


○ 国旗掲揚・国歌斉唱の強制は思想・信条の自由に反するか?
 国旗の掲揚や国歌の斉唱を行う卒業式等に参加するのは、授業を受けることと同様、法規的性質を有する学習指導要領に則った教育課程の一環であり、このことは、憲法に定めた思想・信条の自由に違反するような性質のものではない。
 教師は職務として児童・生徒に国旗・国歌の意義を指導する義務があるし、児童・生徒は学校に入学した以上、学校の教育活動に参加し、教師の指導に従わなければならない。
 学校という教育機関においては、個人の好き嫌いといったわがままで、一部の好きな授業だけ受けるというようなことは認められない。
 同様に、その学校の児童・生徒である以上、教育活動の一環としての入学式・卒業式等における国旗の掲揚・国歌の斉唱という式目を拒否する自由などは存在しないのである(指導の結果、実際に歌うかどうかは別問題である)。
 内心における思想・信条の自由は絶対的なものであるが、それに基づく具体的行動のすべてを自由にできるなどと考えるのは権利を履き違えた誤りである。
 一方で、国旗を掲げさせず、国歌を歌わせないことも明白に強制・押し付けであるし、日の丸・君が代を侵略戦争の象徴として教えることも児童・生徒の内面的価値に立ち入る指導であることを忘れてはならない。
 違法行為による強制はなんら正当化できないが、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するのは正当な教育活動の一環である。教育は教師の強い影響力の下に行われ、必ず強制の要素がなければ成立しないものである。
 アメリカのバーネット判決は、国旗への敬礼と忠誠宣誓を拒否した生徒に対する退学処分を憲法違反であるとしたが、これは退学という重い処分をしたことが違憲とされたにとどまるのであって、国旗への忠誠宣誓は合憲とされたことを見失ってはいけない。


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