改革をめぐる県教委内部の温度差


 革新幻想が崩壊した後,地方政治がオール与党化したことが保守の側の緊張感を失わせ,左翼・革新の価値観に無警戒になったことは間違いあるまい.中央政界では一時自社連立があったが,地方政界ではかなり前からその構図が当たり前になっていた.とくに教育界では都道府県教委と組合がベッタリという状況である.馴れ合い構造が教育を歪めたことは,ほんの1,2年前の広島県の状況を見るまでもなく,三重県の構造もそれに酷似していると言わざるを得ない.
 2月10日,記者は三重県議会教育警察常任委員会を傍聴したが,その場で三重県教育界の構造を示唆する重要な質疑応答があった.一つは教育改革に取り組む中林正彦教育長と,中村正昭教育次長以下の教育委員会幹部職員との温度差が透けて見えたことである.田中覚議員(県政会)が中村次長に校長当時の感想を求めたのに対し,中村次長は,「教育活動は勤務時間にがんじがらめにされず,ある程度幅を持ったものであるべき.勤務時間中に自由に教育について考え,研修することも必要と考えて,組合活動を黙認してきた」と答えたうえで,「組合活動は純然たる組合活動だけでなく,教育活動も多い.(実態調査では)教育活動と組合活動を仕分けしていかなければならない」と発言し,勤務時間中の組合活動の一部を“擁護”したのである.
 さらに田中俊之議員(県政会)が勤務時間内の組合活動の児童生徒への影響を尋ねたのに対し,中村次長は,「組合役員が組合活動で不在の場合,ほかの先生が担当しており,学校運営全体の中では子供たちに影響はなかった」と説明するにいたって,浜田耕司議員(自民党)らから,「ほかの先生が担当して影響がないというのなら,その先生は要らないということではないか」と強い批判を浴びた.三教組出身の中村次長にしてみれば当然の発言だったかも知れないが,およそ教育改革に取り組む熱意は感じられなかった.
 もう一つは,浜田議員と中林教育長との間で交わされた松阪商業高校の永井久男校長の自殺に関する質疑応答である.「週刊新潮」(2月17日号)の「ベタ記事『県立松阪商業高校校長自殺』の背景で浮かぶ『ある圧力』」という見出し記事にあるように,永井校長は同校の教員が起こした差別事件をめぐって対応に苦慮していた.それを初めて公にしたのは,確認できる範囲では日本共産党三重県議団(荻原量吉,真弓俊郎両県議)である.12月21日に同県教育委員会の作野史郎委員長と中林正彦教育長に,「差別を固定化,永久化する同和教育の是正」という形で申し入れが行われている.
 それによると昨年6月,松阪商業の一教員の居住地での行動と発言が「差別事件」とされて,8月に2回,部落解放同盟(解同)三重県連合会から永井校長と問題の教員が呼ばれて「確認会」が行われたこと,6月から11月にかけて県教委同和教育課から永井校長への「聞き取り」「指導」などの訪問が20数回にわたってなされたこと,昨年11月5日に松阪市役所で開かれた第1回の「糾弾集会」では参加者400人のうち224人が県職員で,県幹部職員も多数参加,校長も「自らの間違った認識」を糾弾されていたことなどを指摘,「こうした経過と同校長の自殺という不幸な事態が無関係と言い切れるのか」と質している.とくに部落解放同盟の行った糾弾集会に参加した職員の大半が公務として扱われていたことを癒着として問題視している.
 1月14日,永井校長の自殺原因を究明しようと,共産党系の全国部落解放運動連合会(全解連)や「三重の教育を守る会」(鈴木茂会長)などが中心になって「自殺の真相を明らかにする県民の会」が結成された.同会は今後,県への要望として行政の主体性の確立,解放同盟の確認・糾弾集会への参加の取りやめ,自由な討論のできる環境づくり,同和加配,同和教育の特別枠の廃止などを求めていくとしている.


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