莫迦の言動


九九九様、長尾様

 ある哲学者が言ったがごとく、「左翼になるのは、右翼になるのと同じく、人が莫迦になるための早道なのである」。これが道徳、徳を論じるに際しての私の最も基本的な考え方です。

西部 邁(にしべ すすむ)

三重県の莫迦の言動です。


闘  争  速  報
−「返還問題」にかかわる教育次長交渉について−

2000

(交渉の概要)
三教組 「個人に給与の返還を求める」というのはいつ、どのような機関で決定されたのか。それとも、現段階での県教委事務局の方針か?
県教委事務局(以下県教委) 現時点での県教委事務局の方針である。この方針は代表者会議の意見を聞きながらまとめたものであり、その都度、県教育委員会に報告はしている。その上で県議会にも報告をした。最終的には県教育委員会の決定が必要であると考えている。
三教組 「3年」はどこが決めたのか。
県教委 代表者会議の意見を踏まえ3年調査すると県教委事務局で決めた。3年返還するとは決めていない。
三教組 慣行で行ってきた勤務時間中の活動について、多くの疑義がある「勤務実態調査」にもとづいて個々人に返還を求めるということに教職員はもとより、PTAなど教育関係団体や諸団体などから批判や意見が寄せられていると思うが、そのことをどうとらえているか。
県教委 現場教職員や連合、PTAなどから意見をいただいている。このことを重く受けとめ、現場教職員に「過払いとなった給与の返納をもとめる」ことに理解をいただけるようにしていきたい。
三教組 勤務実態調査から「返還」というのはいかにも「だまし」である。とりわけ、21日の県議会において、中林教育長の「調査の初期の段階では地公法違反の事実の調査も考えないではなかったが、先生方の協力をいただくなどいろいろなことを考え、このような表現(過去の慣行の中で正式な手続きのないまま行った職員団体のための活動)として調査を行った。ただし、このことが地公法に違反する部分が多いということは当然教職員も認識していると思うので、これから精査して返還になることが約束違反であるとか、あらためて調査しなければならないということではない」という発言は現場教職員を愚弄する以外のなにものでもない。
県教委 誠実にやっている。だましたのではない。実態調査をした数字をみていった。
三教組 現場教職員は「だまされた」という怒りと不信感を強く持っている。現場教職員や三教組に話をしないまま県教委事務局は返還への方針を決定した。信頼関係がなければ教育は成り立たない。教育長以下、処分をし謝罪をしたというが誰に謝罪をしたのか。
県教委 県民に謝罪した。県民には教職員も含まれる。
三教組 教職員に対しても申し訳ないという気持ちがあるのなら、「再確認」に対する一部校長の対応はきわめて問題である。申出書を持っていったら「あるはずがない」と受け取りを拒否したり、説明後、直ちに申出書を出せなどという校長がいる。また、その日学校にいたと申し出ても証拠文書を出せとか、可否の認定が校長によって違っているとか、休憩時間が引かれていなかったり、異動者に精査の基準や、精査、再確認について十分周知されていないなど、ずさんな調査だといわざるを得ない。このような調査で、本当に個人に返還を求めることができると考えているのか。
県教委 作業上の「単純ミス」については入力の段階で処理していきたい。
三教組 「単純ミス」ではすまされない。第一、記憶に基づいた「勤務実態調査」を訂正するのになぜ文書が必要なのか。このことにも現場は強い怒りを持っている。
県教委 住民監査請求への対応を考えると文書は必要。
三教組 「給与の過払い」という考え方でいくならば、「この時は職務と密接にかかわる活動をしていた」という申し出を受け入れて当然。これがうけいれないというのであれば、県行政や教育行政と密接に閑係してきた三教組の活動をすべて明らかにし、県民の判断にゆだねなければならない。
県教委 いくつかの個別の課題についてはあらためて考えていきたい。
三教組 個人に過払いの返還を求めるという方針を変える意志はあるか。
県教委 いくつかの課題はあるが、現時点ではいまの方針しかないと考えている。
三教組 多くの課題や疑問、不信感があるなかで今の県教委事務局の方針でいくということについては到底納得がいかない。あらためて交渉を求める。

 以上のように、県教委事務局は勤務実態調査や精査、再確認についての不十分さは認めたものの、「個人へ返還を求める」という方針にかわりがないことを表明しました。なお、三教組本部は引き続き交渉にあたるとともに、関係機関等への働きかけを強化していきます。


三教組の定期大会記録

討論 B人権・平和・環境、三教組運動の強化

発言 抜粋

鈴鹿市支部 ○○代議員
 鈴鹿市支部代議員○○でございます。学校現場への成績主義導入に反対するとりくみ、教職員組織のあり方等について討論に参加します。
 今までわたしたちがとりくんできた闘いの大きなものとして、主任制に反対する運動、および勤務評定の形骸化がありました。しかしながら、昨年
11月の県議会等における指摘によって、とりくみを見直さなければならない状況になっております。この問題が全県的なものになってから、わたしの周りの人々、とくに他労組の方とも何度も話しあう機会がありました。その度に、これまでの三教組運動の偉大さと、それとは逆に考え方のずれを感じました。一般の会社などでは主任制度なるものは当然のことのようでもあるようですし、勤評に関しても大きな問題としてはとらえていないのだなという感じがしました。
 しかしながら、わたしたちがたずさわる教育の現場であるからこそ、ここまでとりくめたのであろうし、とりくむ必要があったのだと考えるところです。しかし昨年
11月以来、勤評をはじめとするさまざまなものが余儀なくされる状況になっています。見直すべきところは見直す必要があるとは思うのですが、これらのことに関して何らかの活動を組んでいく必要があるのではないかと思います。たとえ結果は出なくても、地道な活動を再度ゼロから積みあげておこなってこそ、将来の三教組運動につながる組織の強化につながるのではないかと思っています。たとえば、主任制に対して職場における連絡、調整役の必要性は今の難局を乗り越える上でも、さらに「開かれた学校」の実現のためにもとても重要なものです。
 しかし、全分会に教務主任等を置くとなると、わたしたちが一番気をつけていきたい中間管理職化の
ステップになってしまうのではないかと不安になってしまいます。わたしたち自らの運動に自信と誇りを持てばこんなことはないのですが、不安です。
 この問題に関して、選び方、役目、配置の仕方、任期など慎重すぎるはど気を使い、民主的な職場を作るための役として考える必要があります。勤評に関しては、無差別オール
、複数公開についてそのとりくみを凍結したとしても、たとえば、校長に対して評価の基準について話しあいの場を持つとか、本人への開示の上、納得のいかない場合は本人を入れて分会で校長と話しあうとか、何らかの形としてみえる活動は組めないものかと考えます。
 たとえ、大きな成果は上がらなくても、このように形として、みえる活動を組むことによって組織の強化、将来への運動につながっていくものだと考えます。最近突然現場に届いた管理職のためのマネジメント研修のアンケート、協力依頼なども、成績主義、人事考課制度につながるものかも知れない危険な表れではないでしょうか。
たとえ結果は出なくとも、充分な議論を早くし、地道な形として現れる活動を組み、民主的な職場づくり、組織の強化にむけてがんばりましょう。以上です。

南勢高支部 ○○代議員
 南勢高支部代議員○○と申します。わたしは組織に関して、あるいは平和に対して発言したいと思います。
 昨年の秋からの三教組に対する組織攻撃に対して、いろいろたいへんなことがあったわけですけれども、それにもまして、三教祖本部さんが、なぜこれほどまでにされるがままなのか、組合員が
4000人を誇ってほとんど97%以上加入しているといいながらも、なぜこれほど、無抵抗のまま引き下がらなければならないのか、残念な思いでいっぱいです。
 この間、わたしの職場でも一人の組合を抜ける人が出ました。その人のことばでは「かなわないまでも、土俵際でぎりぎり頑張ってほしかった」。そういうふうに言って組合を去っていきました。非常に残念な思いでいっぱいです。なぜこんなふうなことになってしまうのか。わたしたち一般の組合員に十分な説明がなされないまま、県教委ならびに校長といっしょになって精査までしてしまう、こういった組合、闘わない組合は一体何なのでしょうか。
 95年度の日教組の方針の大転換ということが一時ありました。まだ年も経っていませんけれども、その中に日の丸や君が代に関しての「反対する」という文が削除されたり、職員会議は単なる補助機関であって、校長の権限が強化される、そういう95年度の日教組方針の転換が、夏休み中に方針が下ろされ、下部討論が一切ないまま月の初めに可決されてしまいました。わたしたちは、まことに寝耳に水のようなこの180度の大きな大転換を、信じられないような思いで聞いていました。それが年前のことです。そういった下部討論を尽くさない、わたしたち一般の声を聞かない上部団体、日教組というのは一体何なのでしょうか。その日教組、上部団体とあう三教組本部の姿勢も一体何なのでしょうか。本当にまっとうな大勢の組合員は今、休憩時間のことでも、研修権まで危ぶまれている中、非常に切迫した思いで必死な思いで職場で闘っています。職場でがんばっても、あるいは支部でがんばっても、本部がしっかりしてくれなかったら、わたしたちは引き下がる一方です。「日の丸・君が代」の問題でも、今回100%近くになるのは、わたしたちがどんなに頑張っても、本部さんがいう条件整備というか、法を盾に昨年の国会でされてしまったために、法を盾にずるずると引き下がるばかりで、情けない思いでいっぱいなのです。国会に届かない声をせめて、自分たちの組合である三教組、本部ならびに支部に自分たちの組合であるという誇りを持ってできるためには、やはり、自分たちの声が反映されてこそだと思います。修正案等いろいろ出ていますが、午前中の回答でも一切ほとんど受け付けない、あるいは取り下げみたいな形で、どれほどわたしたち各支部が真剣な思いで毎晩、連日連夜議論して出した修正案の意図をくみ取っていただいているのか、はなはだ疑問です。わたしたちはこの間本当に失望とあきらめと無力感に職場がさいなまれています。その中でも何とかふんばろうとしているわけです。でも、今のこの状態ではものを言わぬ子どもを作るように、ものを言わぬわたしたち教職員を作るようなものです。わたしたちはもう黙っていられません。今こそものを言って行動を起こさねば、闘う組合を作るような姿勢で前を向いていかなければ、夢や誇りとか、前にある子どもたちの笑顔だってそんなこと吹き飛んでしまいます。わたしたちは一生懸命やっています。その意図をやはり本部も十分くみ取ってください。今のまま休憩時間のなさ、研修権のなさ、どうにもなりません。平和は脅かされています。わたしたちの平和も、子どもも、組合活動も、生活も、すべて、日本全体が非常に危険な状態に追い込まれています。今こそ管理強化を許さず働きやすい職場を守るということは、何よりも重みを増しているはずです。
 憲法、教育基本法にもとづいた健康で文化的な生活をわたしたち教職員は十分送れるように、わたしたちの生活が保障されることが、子どもたちの教育に何よりも重要だいうことを肝に銘じて、管理強化を許さず働きやすい職場を作るよう、みなさん努力しましょう。以上です。

阿山支部 ○○代議員
 すみません。さきほどの南勢高さんの討論に関連してお願いいたします。阿山支部の代議員○○と申します。
 三教組運動の強化、議案書の
16ページの行め「これからもこの運動をとめることなく、分会、支部、本部が連携を強め、この状況に立ちむかっていかなければなりません」に賛成の立場で討論に参加します。
 これまでわたしたち三教組は、子どもたちをとりまくさまざまな状況や課題解決にむけて、今、教育現場では何が必要なのか、現場の教職員の声を県教委に積極的に届けてきました。話しあいの中で煮詰められたさまざまな施策を、県教委は行政の立場、ハード面で、わたしたち三教組は、実際に子どもたちや保護者と接して実行していく立場、ソフト面で、ともに協力しあって三重の教育をすすめてきたものと考えています。子どもたちをとりまく状況が全国的にかつてないきびしさを見せる中で、それでも三重では一人ひとりが輝いて生きる教育に多くの前進があったことを考えると、これまでの三教組と県教委の関係は、よきパートナーといえるものであったと確信しています。しかし、昨年
11月からの国家主義的考えを持つ人たちからの攻撃や、その人たちの主張を十分な検証もせずに受け入れて、三教組批判に終始した県議会の状況の中で、県教委は従来からの対話による三重の教育の推進の見直しを図ろうとしました。確かにこれまでの三教組と県教委との長年の関係の中では、改正を指摘されても仕方がない部分は一部あったかもしれません。しかし、三重の子どもたちのために少しでも良い教育環境を作ろう、子どもたち一人ひとりの健やかな成長に、現場と行政が一体となってとりくんでいこうと積極的な議論を展開してきた結果が、これまでの三教組と県教委の関係であったと思います。だからこそ県教委は三教組との関係を、パートナーシップと表現してきたのだと思います。
 そのような経緯を振り返ってみたときに、三教組との関係を断ち切るような県教委の動きはまことに残念なものだと言わざるをえません。三教組本部の執行部は、これらの経緯をふまえて、既に県教委との望ましい関係づくりにとりくんでくれていますが、どうかこれからも県教委とはなれあいではなく、緊張あるパートナーシップの関係で三重の子どもたちのためにとりくんでいただきますようお願いいたします。

阿山支部 ○○代議員
 阿山支部の○○です。
13ページの(2)「侵略・植民地支配などの歴史を修正しようとする動きや、国家主義的傾向を強めようとする動きに反対します」について意見を述べます。国旗・国歌法が成立して、政府が子どもたちに対して強制はしないということであり、県教委も「日の丸・君が代」については職務命令を出さない方針と聞いておりました。わたしたちは子どもを中心、とした学校行事にとりくんでいますけれども、それにもかかわらず現実は、卒業式前に県教委から教育事務所、市教委への訪問などによって、結果として、学校への強制の動さが強まっているというものです。実際、阿山郡の各学校でも、強制は教育の場にはなじまないということで、管理職との話しあいは何度も持ちましたが、回数を重ねるたび管理職は、できれば式に入れてはしいという考えを示してさました。実際に「日の丸・君が代」については実施したかどうか、実施しないならなぜかということを書面で報告することが管理職にも義務づけられ、実施しない場合、その理由をどのように書くかということなど、管理職にとってもきびしい選択を迫られることになったというものです。
 しかし結果として、「日の丸・君が代」を入れざるを得ない動きがあったことは確かです。また、わたしが担任しておりました
年生にもブラジル国籍の人がおりましたけれども、そういった子どもにとって、「日の丸・君が代」がどういうような意味を持つのか、そういった配慮や検討は教育委員会からは、全く話がなかったように思います。また、内心の自由はふみにじってはならないというものの、実際に君が代を流したときに起立しなかった児童が半数以上に上った小学校では、来賓の一部から、中学校の入学式には全員起立するようにというふうなことが、校長との話の中で出てきたという話を聞いております。一方、伊賀町では教育委員会を中心に検討会を開き、この春の卒業式、入学式については君が代を実施しないという方針を持っておりました。そして年かけて「君が代」の扱いについて話しあって、強制ではなく理解を得ながらすすめていくことが確認されていましたけれども、卒業式後その検討会が廃止され、校では入学式に君が代が持ち込まれることになりました。これは市教委と学校に対する大きな力が働いたものと思われます。伊賀町のように、市教委、学校中心にそれぞれ地域の実態をふまえて議論をすすめていこうとする動きを封じるようなことは非常に残念な結果であり、教育の国家統制につながる危険な状況といわざるを得ません。
 教委では各地域校区の実態に即して総合学習へのとりくみをすすめる、あるいは学校、地域を基盤にして特色ある教育活動をという一方で、「日の丸・君が代」については国、県で揚げる、歌うことを強制しようとしていることは、国家統制における大きな矛盾を感じております。
 今後このような動きに対し、子どもたちの内心の自由が守られるような異体的なとりくみをすすめなければならないのはもちろんですが、地域、保護者とともに議論をすすめ、多くの国家主義的傾向に反対する大きな流れを作っていかなければならないと考えております。終わりります。

桑名支部 ○○代議員
 失礼します。桑名支部の○○です。桑名支部では、今年度執行部
10人中人が女性となりました。女性パワーでこの難局を乗り切っていきたいと思っています。お互いにがんばっていきましょう。
 それでは討論に参加します。支部における平和を守る運動のとりくみについて、紹介させていただきます。桑名支部では
2000年度支部運動方針の平和を守る運動として、一人ひとりが日本という国について考え、それぞれの国家感を持てるように議論をすすめること。アジアにおける近隣諸国との協調を重点に考え、21世紀における日本のあり方を議論すること。憲法調査会の議論について学習を深めること。この点について新たに決定しました。
 また歴史的事実を子どもたちに正しく伝えるとりくみとして、「日の丸・君が代」についての事業実践を毎年、全分会でつづけてきました。
2000年度は国旗・国歌法の成立を受けて、これまでの実践・収録集も刊行し、事業実践の継続をより積極的におこなっていきたいと考えています。一方、平和を考える上で、現在の世界中の紛争に無関心であってはならないという考えから、98年度にはコソボ紛争、東ティモール問題、東アジア情勢について、99年度にはカシミール問題と世界情勢学習会を分会良会議でタイムリーにおこないました。現在の世界情勢を知って、そこからもう一度過去に目をむけていくことは、さらに大切になるものと考えます。今後は、史実にもとづいて考える内容を検討し、近・現代史の実践を問い直しながら教育実践をすすめることも重要な課題です。戦争の世紀ともいわれる20世紀がまもなく終わろうとしています。しかし、世界各地の地域紛争は後を絶ちません。わたしたちの願いとは裏腹に平和、人権、環境の危機は地球規模で増大しています。世界の中のアジア、アジアの中の日本と考えていくとさ、わたしたちは日本の平和が決して安定したものではないことを認識しなければなりません。国民の多くが政治に無関心といわれる日本。みんなが政治に関心を持っことも重要です。戦争の深い反省に立ち、恒久の平和を念じる前文は不変です。
 また
条の精神についても維持しなければなりませんが、自衛隊の役割の位置づけが必要とされるものと思われます。集団的自衛権の行使を禁ずることは必然ですが、個別的自衛権行使まで平和と矛盾するかどうかはさまざまな考えを出しあい、議論していくことが必要です。99年度は分会長会議で、憲法調査会についての学習会「みんなでいっしょに憲法を考える」をおこないました。今後も、憲法調査会の議論について注意深く見守り、学習を深めていかなければなりません。社会全体が右傾化の傾向にあります。皇国史観に支配されているともいえるグループの三教組への攻撃、教育への介入は今後もつづさます。このような勢力と対決していくためには、平和の大切さを言うだけでは不十分であると考えます。今日的な世界情勢をふまえ他の国々、とくにアジアめ国々との関わりの中で21世紀の日本のあるべき姿を探っていくことが必要です。一人ひとりが日本という国についての国家感を持ち、議論を通して、それらを明確なものにしながら、歩むべき方向を見定めていくことが大切です。また、国のあり方や平和と命の大切さを考えることのできる子どもたちを育てていくことは、これまで以上に大切にしなければなりません。21世紀の日本を、世界の国々の信頼にいたる成熟した民主国家に作りあげていくために、教育の場で子どもたちに直接関わっているわたしたち教職員は、なおいっそう意識を高く持っていくことをみんなで確認しあい討論を終えます。以上です。

総括討論より
最終発言者

三泗支部 ○○代議員
 三泗支部代表の○○です。
 この2日間の非常に熱い討論に挑みまして、まだまだ三教組は捨てたものではないぞという思いを深くしております。三教組大会原案に賛成の立場で、わたしも討論に参加したいと思います。
 何といっても昨年の
11月以来の三教組攻撃、このことを話さなければいけないと思います。わたしも昨年度支部長をしておりましたので、なぜ、自分が支部長のときにこんなことになるのだ、こんな理不尽なことがあってたまるか。一連の攻撃に怒り、自分の身の不運を嘆き、夜遅くまで執行委員会や支部長会を繰り返し、いろいろな人と議論をしてきました。本当に心身ともに疲れ、しんどい思いをしてきました。そのときの本部、支部、専門部、それから分会、組合員一人ひとり同じ思いだったと思います。
 そのとき、まず考えたのは、何を大切にしていくかということです。今までおこなってきた人権、平和に関わる運動、それに、今、目の前にいる子どもたちを大切にしていかなければならない。絶対に教え子を戦場に送ってはいけない。子どもたちを守っていくのは、わたしたち三教組なのだ。組合をつぶしてなるものか。敵の思いどおりになってたまるか、という思いだけで精一杯がんばったつもりです。
 そのときのことはいろいろたまっているのですけれども、時間がありませんので、そのとき組合についていろいろ考えましたので、そのことを話します。
 組合なのだから、三教組も生活と権利を守るとりくみだけをしていればよい、という考えが昔もありましたし、聞くところによりますと、今もそう言って攻撃する人がいるようです。しかし、今まで教育運動を中心にやってきてよかったと、このとき実感しました。県教委は知りませんけれども、少なくとも市教委、校長会、それから
PTAの役員さん、はとんどわたしたち三教組に好意的でした。これは今までの教育運動を中心とした三教組の運動が、教育関係者や保護者に信頼されてきたからです。
 残念ながら、県全体の大きな動きとなりませんでしたが、それは自分たち一人ひとりの運動への参画が、不足していたと考えるべきです。もし、教育運動をやってこなかったら、こんな状況で収まっていたかどうか。さっと三教組は、つぶされていたのではないでしょうか。
 もちろん、わたしたちの生活と権利を守る運動も大切です。教育運動により全力をあげてとりくんでいかなければならないと思います。そのことが結果的にはわたしたちの生活と権利を守ることにもつながるのです。たしかに、わたしたちをとりまく状況にはたいへんきびしいものがあります。実質
時間45分以上の労働を強いられています。しかも、職場の多忙化は改善されるどころか、ますます深刻になっています。
 個別に対応しなければならない子どもたちが今、増えています。それに加え校務分掌に関わる提案文書を作ったり、行事の準備、対外的な業務など職場会の開催もままならず、ゆとりを持って職場の中で議論をしたり、そして相談しあったりできない状況です。
 しかし、このきびしい中だからこそ子どもや保護者、地域住民とともに子どもの視点にたった、現場からの教育改革をすすめていくことが必要です。これは闘いです。
この聞いに勝利することが結果として保護者や地域住民に信頼され、三教組を強くしていくことだと確信しています。
 したがってわたしたちはまず、教育改革にとりくんでいかなければなりません。いじめや不登校、校内暴力、学級崩壊、学校教育をとりまく深刻な状況は依然つづいています。また最近は、未成年者によるセンセーショナルな事件が数多く起こっています。このように目に見える極端な形だけではなくて、子どもたちが確かに変わってきているなと実感するみなさんは少なくないと思います。
 一方、基本的には明治以来学校教育は変わっていません。学校教育というのはもともと国家のために国民を作る、それから国民を統治するためにできあがってきた歴史があります。だからこそ、学校は行かなければならないものだという意識が、わたしたちの中にも少なからず流れているのだと思います。しかし今、明確に学校教育を否定する子が現れていますし、無認可ではあっても、民間の中には自主性を尊ぶ教育を追求したり、カリキュラムそのものを子どもたちと話しあい、一切強制しない試みがおこなわれてきています。わたしたちももっと危機感を持って、子どもの視点を大切にした、子どもが行さたくなるような学校を作っていかなければならないと思います。学ぶ喜びを大切にといいながら、基本的に詰め込み教育から脱却できない授業。それから画一的な学校環境。たとえば、わたしは、今、小学校に勤めていますが、今ごろの季節は教室は地獄になります。子どもたちは暑くても平気で外で元気に遊んできますから、汗だくになって教室に戻ってきます。そうすると、教室はむせ返るような暑さになります。そんな教室の中で、給食を食べたり学習をしたりするわけですから、どんな状況になるかすぐ想像でさると思います。わたしたちは子どもが行きたくなる学校になっているかどうか、本気で見直すときにさていると思います。学校を変えるためのアプローチというのはすでにはじまっています。
 「学校を開く」そのことも一つだと思います。しかし、学校が本当に開かれてきているのか、たいへん疑問です。
 3年前にわたしは年生を担任しておりました。クラスの中に課題を持った子がいますので、その保護者に「いつでもいいから学校でのその子の様子を教室に見に来てください」と頼んだことがあります。でも保護者は「授業参観日でもないのに、学校には行けないわ」と言われました。やはり学校は見た目にも閉鎖的でありますし、なかなか外から入っていけないもののようです。学校の方から開いていかないと、絶対に保護者や地域住民は学校へ入ってさてくれません。
 最近、学校にいる時間が良くなりましたので、職員会議や企画委員会に出る機会も増えました。企画委員会に出たときのことです。授業参観日を何日にするかということでもめました。このようなことでもめるから、一向に多忙化の解消がすすまないのだと思うのですが、そのことは置いておきます。いっそのこと
ヶ月間自由に参観に釆てもらったらという意見が出ました。それに対して、ほとんどの方は反対されました。毎日準備にたいへんだというのですね。しかし、「何か変だな」と思いますし、保護者はふだんの子どもや先生の様子を見に行きたいのです。また、そうするべきだとわたしは思います。親の立場から見ても。
 でもわたしたちは教職員という意識になってしまいますと、どうもそういうことが分からないみたいなところがあります。
 今、国は、それぞれの学校の裁量を拡大するから、地域に密着した独自の学校を作りなさいと言っています。
わたしは、これは文部省が現場の教職員に「やれるもんならやってみな」と言っているようにしか感じません。
今こそ三教組の本領を発揮して、本質をしっかり把握し、全力でとりくまなければならないと思います。一つ例をあげますと、総合的な時間のとりくみがあります。
環境、平和、人権などの題材を体験的にただおこなえばよいのでしょうか。生活科が導入されたときのことを思い出します。たいへん大きな議論をしたのですが、結果的に何月には郵便やさんごっこをして、何月にはザリガニ捕りをしてというようにパターン化してしまっています。総合的な時間のとりくみも、結局はまわりの学校の様子を見ながら歩調をあわせてしまうのではないかと心配しています。題材が大切なのではなく、子どもたちが自ら疑問を持ち、それを解決していく手法を身に付けさせることで、より能動的に行動でさる次代を担う子どもたちを育てることが大切だと考えます。
 地域の人にどこまで関わってもらうのか、子どもの自主性をどこまで引き出すか、学習の流れを見すえた上で教師がどう援助していくかといったことを、学校の中でしっかり考え、議論していかなければならないと思います。その地域にある学校が独自に考えなければ、その地域に根ざした学校にはなりえません。そして、しっかりと職場の中で議論をすることで強い教師集団となって、外に対する受け答えがきちんとできるようになって、そして、それが保護者、地域住民の信頼を得ることになるのだろう、そう思っています。
 最後にもう一つ見えてきたことがありましたので、それを話します。それは組織内部のことです。今までの三教組運動の成果は素晴らしいと思います。しかしその結果、組織としては外側ばかり強くなってしまったのではないでしょうか。つまり、三教組が空洞化してきたと思うのです。わたしも支部、執行部として反省しなければならないのですが、知らず知らずのうちに、三教組はこんなに強いのだぞと、これを求心力にしてきたところがあったのではないでしょうか。今回のことでも組合員の方から「組合は何をしているのだ」とか「組合はもっとがんばってはしい」など、たくさんの激励やらお叱りを受けました。しかし、何かおかしいですよね。組合=執行部ではないのです。組合は組合員一人ひとりの集まりなのです。外からの攻撃というのは、いくらでも跳ね返せます。でも内部崩壊はそうはいきません。組織離脱がたいへん心配されています。これはどこの支部でも同じ状況だと思います。これを乗り越えていくためには、組合員一人ひとりが三教組運動に参画しているという実感を持つことが必要だと思います。
 今後三教組にとっては教育改革、それから運動や組織の見直し、評価制度、主任制、課題はいっぱいあると思いますが、本部、執行部にお願いです。これらの課題について、こまめに職場討議にかけていただきたい。それからこれが最も大切なのですが、職場においては時間に追われで忙しいということで、形だけの討議に終わることではなく、真剣に議論し、意見を支部や本部にあげていかなければならないと思います。本大会に参加されている代議員のみなさん、まずはみなさんの職場からそれをはじめていただきたいと思います。
 最後に三教組運動はみんなで考え、みんなで議論し、そして決まったらみんなで全力でとりくむものだということをここでみなさんに確認し、討論を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)


九九九より なんだか,全くわかっていないって感じですね.もはや,三教組に見切りをつけて,脱会した方が良さそうです.


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