過去における日教組教師の横暴

前回のK.Iさんのメール


平成12年10月20日(K.Iさんより)

 K.Iです。3度目のメールを送らせて頂きます。

 最近、仕事が忙しかったものでなかなか拝見する機会がありませんでした。久しぶりに立ち寄った際、ちょっと一言の「
19.教育基本法を守らない日教組(平成12年9月28日)」の中に「私のHP内でも、かなり好評を得ているのが、自衛官の子いじめのページである。まさしく、社会的身分によって差別されていたのである。」とありました。

 最初のメールに書きましたが、歴史に興味を持ち、いろんな本を読んできた中に、この「自衛官の子いじめ」と時期を同じくして、同様の経験をなさった方の書籍がありましたので、ご存じかも知れませんがご紹介させて頂きます。

 題名は文藝春秋刊『連合赤軍「あさま山荘」事件』で、著者は元内閣官房安全保障室長をつとめた佐々淳行氏です。(引用文を添付いたします。装飾はお任せいたします。)

 氏の経験は子供としてではなく親の立場としてですが、あさま山荘事件の際、陣頭指揮に立っていた氏が、留守宅を思う部分での記述です。

 当時「社会的身分による差別」を受けていたのが自衛官だけではなく、警察官にまでおよんでいた事が分かります。

 普段は人権・平等を叫びつつ、一方では対立する立場の者を、弱いところから平気で叩くエゴむき出しの集団である事がよく分かるエピソードです。

 「今はそのような事はない」という声が返ってきそうですが、それまでの反省なくして誰がそのような事を信ずるでありましょうか。

 「自衛官の子いじめ」の大野敏明氏の文は、まさにその警鐘とも言えます。

 私的な話でありますが、叔父に某警察署の署長をつとめている方がおり、当然その子供たちは私のいとこに当たるのですが、近年、同じ事が繰り返されていなかったか聞いてみようと思います。(なかなか会えませんが。)

 ちなみに、自分が小学校の頃、そのような事を言う先生に当たったことはありません。やはり恵まれていたんですね。

追伸:お礼が遅くなりましたが、前回の「かわいそうなぞう」の件につきお返事を頂きまして、誠にありがとうございました。子供の頃のちょっとした記憶だったのですが、掲載して頂き、うれしいやらはずかしいやら...


連合赤軍「あさま山荘」事件

文藝春秋刊(文庫版)
著者 佐々淳行氏


第四章「戦略」銃後の守り P181 10行目 〜 P183 11行目
(実際は縦書き・改行は原文のまま)

 何故留守宅が心配だったかというと、いまと違って、
あの頃はマスコミや世論がどちらかというと学生の反体制運動に同情的で、警察、とくに機動隊は権力悪の権化みたいな扱いを受けていた時代だったからだ。
 あの頃は
警察官の家族であるというだけで小学校などで日教組の教師から不当な差別をうけるという、今日の若い人たちには想像もできないようなイデオロギー優先の時代だった。
 私が警視庁の警備第一課長で、東大安田講堂事件だの全共闘の街頭ゲバ闘争の警備などに寧日ない、いわゆる第二次反安保闘争はなやかなりし頃、ある日次男の敏行が区立の中丸小学校から泣きべそをかきながら帰ってきた。
 きけば担任の
Sという女教師に授業中に「このクラスの子でお父さんが警察官と自衛官の子供は立ちなさい」と言われ、次男がほかの警察官や自衛官の子供たちと顔を見合せながら立つと、S教師は「この子たちのお父さんは悪い人たちです。あんたたちは立っていなさい」といわれゆえなく立たされたというのである。
 世田谷の三宿に陸上自衛隊駐屯地があるところから、警察官と自衛官の子供は結構何人かいたようだ。親の職業で子供を差別して悪いこともしていないのに立たせるとは何事かと激怒した私は、早速校長先生に抗議した。校長は「
日教組には私も困らされています。ですが相手が悪い。また子供さんにはね返っても行けないから」と言を左右にして一向に煮え切らない。
 「では教育委員会に公立小学校における親の職業による差別として正式に提訴しますから」と告げると、これはいけないと思ったのか、校長はS教師を家庭訪問の形でさし向けてきた。
 S教師は「
ベトナム戦争はけしからん、自民党政権は軍国主義復活を目指している。機動隊は学生に暴力をふるう権力の暴力組織だ」などと日教組の教条主義的な公式論をまくしたてる。
 一通り言わせておいてから「私が言っているのはベトナム戦争や全共闘のことではない。貴女は親の職業で罪のない子供を立たせるという体罰を加えたようだが、小学校教師としてそれでいいのかと尋ねているんです。反省しないなら私は教育委員会に提訴するつもりです」という。
 S教師はヒステリーを起こして「
やるならやって御覧なさい。日教組の組織をあげて闘いますよ」と叫ぶ。
 「どうぞ。私も貴女を免職させるまで徹底的にやりますよ。ではお引き取り下さい」と突っ放す。
 すると免職という言葉にイデオロギーが負けたのか、突然S教師はフロアに土下座して「どうぞお許し下さい。教師をやめさせられたら暮していけませんので」と哀願しはじめた。
 私は呆れ果てて一応鉾をおさめたが、「あさま山荘事件」の時代はこんなひどい話がまかり通っていた時代で、警察官の家族たちを取り巻く社会環境は、お世辞にも友好的と言えるものではなかった。

九九九より:びっくりしました.結局,日教組による職業差別は,組織的に行なわれていたということになります.「日教組の組織をあげて闘いますよ」というせりふが,その事を物語っています.


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