GO TopPage RankingSurfingGuestBookChat
ThemeSearchSendformBBS
E-mail
GO WallStreet

The Best of Geocities


従軍慰安婦教科書比較


1.国書刊行会「高等学校最新日本史」
 (平成6年文部省検定済み)
 (記載なし)

2.実教出版株式会社「高校日本史B」
 (平成6年文部省検定済み 平成7年発行 平成8年度用教科書)
 (本文)朝鮮・台湾では最も強固な皇民化政策と経済開発を実施した.日中戦争開戦後,日本式の神社に参拝させ,日本語を強力に普及させ,とくに朝鮮では日本式の氏をつくり,日本名を名のらせる「創氏改名」を強制するなど,現地住民の民族性を否定する政策をおしすすめた.また現地住民を戦争に協力させるために志願兵制度をつくり,さらに日本軍の兵力不足を補うため徴兵制を実施した.そして日本軍兵士のために朝鮮人などの女性を従軍慰安婦として動員した.
 (注釈文)従軍慰安婦や強制連行などの問題で,日本に対し補償を求める動きが90年代にはいって噴出している.1991年,掃海挺派遣のさなかにASEAN諸国を訪問した海部俊樹首相は過去の侵略への謝罪を表明したが,これら補償問題の解決をみないかぎり,不信感はぬぐえない状況にある.
 (テーマ学習「戦後補償を考える」)【高まる戦後補償の要求】アジア諸国の人々から,日本政府や企業に対し,戦時中の被害に対する補償を求める動きが,最近ひろがっている.1987年,韓国で太平洋戦争犠牲者遺族会が結成され,1991年8月,日本政府に対し,公式謝罪,強制連行者の名簿公開,韓国人犠牲者の遺骨送還,犠牲者への賠償,未払い賃金の支払いを要求した.いっぽう,従軍慰安婦問題についても,韓国の女性団体を中心に真相究明と謝罪,補償を求める動きがおこり,1990年に,韓国挺身隊問題対策協議会が発足した.両者は共同して,1991年,日本政府への補償を求める裁判を東京地方裁判所に提訴した.また,戦時中,軍属として連合国捕虜の監視員となり,戦後,B・C級戦犯として処刑,服役させられた韓国・朝鮮人とその遺族も,同年,国家補償と謝罪を求める裁判を同じく東京地裁に提訴した.戦後,韓国に帰国した原爆被害者も補償と医療を受けられずに苦しんでいた.1967年に結成された韓国原爆被爆者協会は,雇用主の三菱重工業に対し,死亡者への補償や未払い賃金の支払い,遺骨の送還などを要求するとともに,1987年,23億ドル(3450億円)の補償要求を日本政府に出したが,政府は,1990年,40億円の在韓被爆者医療支援を決め,これで解決をはかろうとしている.
 中国では,花岡事件(注釈文1)の犠牲者らが,当時の工事請負業者だった鹿島建設に対して補償を要求している.インドネシアでは日本軍に採用された兵補(注釈文2)だった人々や,マレーシアの泰緬鉄道(注釈文3)建設に動員された労働者の人々が,未払い賃金の支払いなどを要求している.日本軍占領下の香港で,香港ドルと強制的に交換させられた軍票(注釈文4)は,日本の敗戦によってただの紙切れになった.その被害を受けた香港市民は,1968年に香港索償協会を設立し,日本に対し,現在レートに換算して日本円に兌換することなど,なんらかの形で補償することを求めている.
 【戦争責任・戦後賠償の処理】日本の戦争責任を追及した東京裁判の判事は11か国から任命されたが,そのなかにアジア諸国は,中華民国・インド・フィリピンの3国が含まれていたにすぎず,朝鮮や,他の東南アジアの代表はいなかった.そこで東京裁判は,アメリカ・イギリスなど連合国に対する戦争責任は裁いたが,日本の植民地侵略責任の本格的追及はあまりされなかった.
 補償問題については,アメリカが,日本を共産主義の防壁とするため,対日賠償を放棄して日本経済を育成する方針をとった.この方針は対日講和条約の基本方針ともなったが,アジア諸国はこれに強い不満を示した.そこで,講和後にむすばれた二国間条約では,ビルマ(現ミャンマー)・フィリピン・インドネシア・南ヴェトナムに,合計約10億ドルの賠償が支払われた.マレーシア・シンガポールに対しては,血債協定の名で,戦時中の「不幸な事件(注釈5)」の解決をはかるために生産物・役務・借款の供与が定められた.その他の国は賠償請求権を放棄したが,いずれのばあいも,借款供与などの経済協力の協定が結ばれている.しかし,これらの賠償や経済協力は,個人に対する補償にはほとんどあてられなかった.
 【ドイツの戦後処理】ドイツ連邦共和国(西ドイツ)では,1956年,連邦補償法が成立し,ナチスによる犠牲者(注釈6)やその遺族に対し,年金などの形で1990年までに総額約864億マルク(約6兆9千億円)の支払いをおこなっているが,今後の支払いも合計すると,2030年までに1200億マルク(約9兆6千億円)に達する見込みである.さらに連邦補償法の対象からもれた人々のために,西欧12か国とのあいだに包括協定をむすび,配分は相手国にまかせる形で各国に合計約10億マルク(約800億円)を支払った.また,東欧諸国に対しては,ドイツ統一後,補償交渉がおこなわれつつあり,ポーランドには,5億マルクを拠出して和解基金が設立された.しかし,ポーランドの被害者は約100万人といわれ,1人あたりにすると4万円にしかならない.最近は,強制連行労働者に対する補償要求も出ている.戦時中,強制連行労働者を多数かかえていたフォルクスワーゲン社(注釈7)は,補償の法的義務はないことを強調しつつも,1200万マルクをユダヤ人組織などに拠出するとともに,犠牲者のための石碑をたてた.また,毎年20人の社員をアウシュビッツ収容所跡(注釈8)に研修に送り,学習と清掃などの奉仕にあたらせているという.
 【戦争責任・戦後補償を考える】1952年にはじまる日韓会議で,韓国側は,1910年の「併合条約」を無効と主張したが,日本側はその合法性を主張して対立した.そのうえ,日本代表のなかから,日本の朝鮮統治は朝鮮にとっても有益だったという発言(注釈9)が出るなどしたため,しばしば交渉は中断した.日韓基本条約はむすばれたが,他のアジア諸国も含め,日本政府は,まだ公式に侵略戦争に対する責任を認める態度を表明してはいない.
 また,政府は,補償の問題はすでに各国との条約で解決ずみとして,補償に応じられないとの態度を表明している.しかし,国家間の問題として解決したとしても,それによって個人の請求権は消滅するかという問題がのこされている.政府もシベリア抑留者の問題については,ロシアに対する個人としての補償請求権は消滅しないという見解をとっている.この点はどう考えたらよいだろうか.
(以上,全文引用した.注釈文については次回.・・・よく検定が通ったものだ・・・)
 (注釈文1)労働力不足を補うため,1939年からは集団募集で,42年からは官斡旋で,44年からは国民徴用令によって約80万人の朝鮮人を,日本内地や樺太・アジア太平洋地域などに強制連行した.また同期間に415万人の朝鮮人を朝鮮内の鉱山や工場に,11万人を軍隊内での労務要員に強制連行した.さらに約4万人の中国人も日本などに強制連行した.過酷な労働のなかで多くの死者を出し,秋田県では差別にたえかねた中国人の蜂起もおこって約420人の死者を出した(花岡事件).
 (注釈文2)1943年から採用が開始された日本軍の補助兵.
 (注釈文3)日本軍が1942年から43年にかけて工事をおこなったタイ・ビルマ間の鉄道.連合軍捕虜やマレー人の労務者が強制動員され,過酷な労働によって数万人が犠牲となった.
 (注釈文4)軍が発行し強制通用させる通貨.日本軍は,軍票での支払いによって,また強制交換により獲得した香港ドルによって,物資の現地調達をおこなった.
 (注釈文5)開発のすすむシンガポール各地の工事現場から日本軍の虐殺犠牲者の遺骨が多数発見され,補償要求がおこった.「不幸な事件」とはこの虐殺のことをさす.
 (注釈文6)第二次世界大戦中,ドイツのナチス党政権は,ユダヤ人を強制収容所に連行し,強制労働に従事させたり,大量虐殺をおこなったりした.
 (注釈文7)著名な自動車会社で,ナチス党政権下のドイツで,国の政策によって1938年に設立された.
 (注釈文8)代表的なユダヤ人強制収容所.現在その跡はポーランド国立博物館として保存され,多くの見学者が訪れている.
 (注釈文9)これは,1953年の久保田主席代表の発言.妥結直前の1965年1月にも,高杉主席代表が,日本は朝鮮を支配したが,「良いことをしようとした.朝鮮に工場・家屋などをおいてきた.創氏改名も日本人と同じに取り扱おうとしてとった処置で,悪いことばかりとはいえない」などと発言した.

ひとこと
 それにしても,『実教出版株式会社「高校日本史B」』はすごい.教科書の裏表紙に折り込みカラーで『「大東亜共栄圏」−日本の加害』とアジアの地図が示され,『日本の侵略に伴う各地域の死者数の例(推定)』として,グラフ化されていた.以下『』内引用
『・中国本土(含む香港)−中国の軍人と民間人の死者約1000万人』
『・印仏−1944年末〜45年春のベトナムにおける餓死者約200万人』
『・フィリピン−フィリピン人の死者111万1936人』
『・マレー・シンガポール−日本軍によるマレー・シンガポール華人の虐殺数万人』(『数万人』と書いてあるにもかかわらず,グラフは20万人程度を示していた.by九九九)
 歴史的考察は別として,『軍人と民間人の死者』の概数と,『餓死者』の概数,正確に1人単位までの数,『数万人』と,まったく違う見地からかき集めた数字を同じグラフで比較すること自体ばかげている.しかも,一番目立つ裏表紙折り込みカラーである.著者代表千葉大学教授宮原武夫,東京都立大学講師石山久夫はグラフの使い方・書き方・見方を知らない,小学生並みの頭脳の持ち主である.

2’.実教出版株式会社「高校日本史 改訂版」
 (昭和58年3月31日 文部省検定済、昭和61年3月31日 改定検定済 昭和59年1月25日初版発行、昭和62年1月25日改訂版発行)
ギルさんよりコメント
 このころの実教出版の教科書などかわいいものです。
 強制労働目的の「強制連行」の記述はあるものの、いわゆる「従軍慰安婦」らしき言葉はこの時点では、まだないようです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
近代・現代
■第15章 軍国日本と思想・文化の統制■■■■■■■■
7. 大平洋戦争
___________________________________________________
大東亜共栄圏
 1943(昭和18)年11月、日本は大東亜会議を東京でひらき、「大東亜を英米の桎梏より解放」することをうたいあげた大東亜共同宣言を発表した。しかし、会議への参加国は、タイとインド代表以外には日本軍の支配下にある「満州国」「中華民国<1>」・フィリピン・ビルマだけであった。
 いっぽう、「大東亜解放」のスローガンのかげでは、日本による占領地諸民族へのきびしい支配がすすめられていた。中国をはじめ東南アジアでは、日本軍は徴発機関・商社などを通じて、石油・ゴム・木材・鉱石・食料などを徴発し、その代価の支払いには軍票などを濫発したので、これらの地域では悪性のインフレーションがすすみ、住民の生活は破壊された<2>。いっぽう日本の統治下にあった朝鮮<3>では、大陸に駐屯する日本軍の食料をまかなったほかに、毎年500〜1,000万石の米が日本本土へ供出された。また朝鮮人は、朝鮮内の日本の軍需工場に日本人より低賃金で雇用されたほかに、約70万人が日本本土に強制連行された<4>。
 これに対して、金日成らのひきいる朝鮮人民革命軍や、毛沢東・朱徳らの指導する国共合作下の八路軍・新四軍をはじめ、ホー=チミン指導のベトナム独立同盟(ベトミン)、フィリピンの抗日人民軍(フクバラハップ)などが、抗日運動をつづけ、戦後の解放と独立を準備していた。
 脚注
<1>1938(昭和13)年、日本は、国民党右派の政治家である汪兆銘を、重慶からハノイ経由で日本軍の占領地区にむかえ、1940(昭和15)年、新国民政府を南京につくった。
<2>シンガポールやフィリピンでは、抗日的という疑いをきせられて、推定で、シンガポール華僑(在外中国人)が約1万数千(戦犯裁判認定約6,000)人、フィリピンの一般住民が約9万人(「極東国際軍事裁判速記録」)殺された。またビルマ・タイ、ジャワ(インドネシア)などでは、過酷な労務動員がおこなわれた。
<3>1930年代になると、学校などでは朝鮮語の使用を禁止して日本語を強制し、日本の神社への参拝をしい、また、1940年代にはいると朝鮮人の氏名を日本式に改めさせる「創氏改名」が強行されるなど、いわゆる「皇民化」政策がおしすすめられた。
<4>中国人の強制連行もおこなわれ、約3万9,000人が日本の鉱山などで使役され、過酷な労働のなかで多くの死者を出した。秋田県では、差別にたえかねた中国人の反乱もおこった(花岡事件)。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ギルさんより
また、大平洋戦争の敗戦に関する項で、こんな注釈がありましたので、
付け加えておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
注釈
 大平洋戦争による東アジア諸国の死者の数は、文献により異なるが、各種の文献を総合すると、(1)中国約1,000万人、(2)朝鮮約20万人、(3)ベトナム約200万人(大部分は餓死といわれる)、(4)インドネシア約200万人、(5)フィリピン約100万人、(6)インド約300万人(大部分はベンガルの餓死者)、(7)シンガポール約8万人、(8)ビルマ約5万人、日本約310万人と推定される。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 それにしても、中国の「約1,000万人」って‥‥ちょっとケタが外れ“すぎ”てるように思うんですが。
 いったいどうやればそんなに死ぬんだか‥‥。
 原爆でさえ「被爆後5年以内で広島約20万人、長崎約14万人」また東京大空襲だって、B29 150機が19万個の焼夷弾を下町を中心に投下し、1夜にして約10万人(被害総数死者約20万人、負傷者27万人、焼失家屋143万戸)が焼死したそうだが‥
 つまり、アメリカがそんだけ最新の兵器を使って、「無差別殺人」をしたとしても、数十万人がやっとなわけですよ‥‥。
 まさかぜーんぶ日本のしわざで、当時の日本の貧弱な兵器や日本刀でちまちま1,000万人殺されましたって言うんじゃないだろうな?>中国
 これが本当なら、これほどの死者を出した中国側の軍部、指導者ははっきり言って無能、大バカだと思うのですが。
 被害者面して「侵略した日本が悪い」って言う前に、そこまで状況を悪化させてしまった自分の国の戦犯たちを一人残らず処刑しろ!!
 日本だってそうしてケジメつけたんだから、これ以上ガタガタ言うな!
 (って、よく知りもせずに言ってますが(^ ^;))

3.自由書房「高等学校新日本史B」
 (1993年文部省検定済み 1994年発行 1995年度用教科書)
 (本文)戦争は,日本の植民地をはじめアジアの民衆を,きわめて悲惨な状態のなかにひきずり込んでいった.朝鮮では,皇民化政策の名のもとに,1938年には学校や官庁などで朝鮮語の使用が禁じられ,翌年には日本式の氏名に改名させる創氏改名が命令された.さらに神社参拝・宮城遥拝・日の丸掲揚なども強制された.1943年には徴兵制がしかれ,多くの人びとが戦線に送られた.また,労働者・従軍慰安婦として戦線に動員された人びともいた.台湾でも,ほぼ朝鮮と同じやり方で皇民化政策が展開され,また戦争に動員された.

4.第一学習社「高等学校改訂版新日本史B」
 (平成9年文部省検定済み 平成10年発行 平成11年度用教科書)
 (注釈文)(『中国人や朝鮮人の強制連行による労働力確保』を受けて)「従軍慰安婦」として連行された女性もいた.なお,朝鮮においては,日本語の強制使用や姓名を日本式に改めさせる創氏改名が押し進められた.また各地に設立された神社への強制参拝がおこなわれ,いわゆる皇民化政策が展開された.

5.株式会社三省堂「詳解日本史」(ギルさんより)
 (平成元年3月31日 文部省検定済 日史047 平成2年3月30日初版発行、平成3年3月30日再版発行)
ギルさんのコメント
 平成3年当時の三省堂の「従軍慰安婦」の記述です。いやーこんなもの「くわしく勉強」しないで良かった‥‥(^ ^)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第V編 現代の社会と文化
■第3章 破局への道■■■■■■■■■■■■■■■■
3 敗戦
___________________________________________________
大東亜共栄圏の実像
 日本は戦争目的にアジアの白人支配からの解放というスローガンをかかげたが、じっさいは日本人が白人にかわり、過酷な占領地支配をおこなった。朝鮮では、1940(昭和15)年に国民精神総動員朝鮮連盟が国民総力朝鮮連盟と改組され、朝鮮人の総動員体制が強化された。1944(昭和19)年には徴兵制が導入された。また約20万人の女性が挺身隊に集められ、また多くの女性が従軍慰安婦にかりだされた。台湾は1941(昭和6)年、皇民奉公会が結成され、1942〜43年には志願兵制、1945(昭和20)年4月から徴兵制が施行された。皇民化政策も露骨になっていった。そして朝鮮・台湾では米の作付けと供出が強制された。
 満州は1933(昭和8)年に結成された満州帝国協和会が皇民化政策の推進に役割をはたした。1940(昭和15)年には兵役法、1942(昭和17)年11月に国民勤労奉公法が施行され、満鉄や満州重工業開発が戦争資源収奪のために活動した。
 華北以南の占領地では、中国資本が日本軍に接収され、また日本軍は、1941〜42年に華北の抗日根拠地などに対して「三光作戦」(奪いつくし、殺しつくし、焼きつくし)を展開し、また毒ガスなどの生物化学兵器も使用した。
 東アジア占領地は軍政がしかれ、日本の戦争体制に組みこまれた。1941(昭和16)年の「南方占領地実地要領」によって、「大東亜共栄圏」の美辞のもと「解放軍」との幻想を人々にあたえたが、ねらいは日本の戦争遂行に必要な物資の収奪であった[1]。軍政の考えかたは皇民化であり、日本語普及・神社創建などが強制された。日本は、新しい秩序をきずくことができず、混乱をもたらし、さらに住民への残虐行為も多かった。フィリピン・マレー半島・ヴェトナムなどでは抵抗組織がつくられ、日本軍の敗退がはじまると、満州・朝鮮・東南アジアで抗日独立運動が力を強めた。
 脚注
[1] 1943(昭和18)年11月、東京で戦争協力のアジア諸国の会議(大東亜会議)が開かれ、日本への戦争協力の共同宣言が出された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ギルさんのコメント
 三省堂の「従軍慰安婦」に関するあたりはこんな感じです。
 おまけに「三光作戦(※太字)」までワンセットで書かれています。
 ご丁寧なことに、(三光作戦の方は)索引にも載っているので一発で探せます。
 でも、九九九さんのホームページにあった実教出版の「高校日本史B」なんかよりはまだマシかな‥‥
 ちなみに「テーマ学習」のページというのがありまして、ここにおもしろいことがかいてありました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●テーマ学習●歴史の現場を再現する映像
(前略)
 現代にはいると、新聞・雑誌・ラジオ・映画・テレビというマス-メディアが、政治や社会を左右する大きな力となる。だから歴史の証人でもある。これらつぎつぎと開発されるマス-メディアの手段は、編集者たちがおかれた立場などをじゅうぶん考慮して使えば、学徒出陣の1コマが戦争というもののもう1つの現実を、文書や絵画にはない迫力で再現してくれるように、現代を深く知ることのできる史料である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 「編集者たちがおかれた立場などをじゅうぶん考慮して使」ってないのは
 オマエらじゃーーーーー!!(-"-メ) 笑わせてくれるやないけ、おおっ?
 「迫力で再現」するのもいいですが、明らかなニセモノや出所の定かで無い胡散臭い“史料”まで歴史の証人に含めないでほしいものですね。

ギルさんより
 私の持ってる教科書の記述はこんなところです。
 お役にたちましたら嬉しいです。\(^ ^)/
 長くなりましてすみません。またなにかありましたら、いつでもどうぞ。
 日教組と共産主義のサヨク達に負けないよう、がんばりましょう。
 それでは。
九九九より
 
どうもありがとうございました.最近,日教組先生でもびっくりするほど「人権意識の強い生徒」に手を焼いています.戦後教育を親子で受けてきた世代は,ルーズソックスも茶髪もピアスも「個性」で,「権利」と考えているようです.
 自分の子の生活を管理できない親,それを容認する教育,思想.何かが狂ったまま動いているようです.


もどる すすむ