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当サイトは、祖国日本の客観的かつ愛国心に基づいた本来の姿と力、また我が国が世界に誇った“大日本帝国海軍”の栄光を、現 我が海軍は他国の追随を許さない驚異の技術力と怒濤の訓練を基礎とし、白人による悪魔的植民地支配から日本国を守るために発展 |
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| 1.【日本国軍の再興】つまり陸海空自衛隊の、一日も早い国軍への昇格。 | |||||||||||||||||||||||
| 旧社会党などが唱えた“非武装中立”などという荒唐無稽な念仏に惑わされず、世界の現実と現状を認識してください。よく“市民団体”と名乗る正体不明の怪し気な集団が「戦争はさせない」「軍隊はいらない」「平和な日本を」なんて書いてある横断幕とか持って永田町なんかを練り歩いたりしてます。この亡者の行進のようなヒステリックな行動はなぜくり返されるのか?それは彼等の頭の中に「自衛隊=軍隊=戦争」よって「戦争を無くすためには軍隊(自衛隊)が無くなれば解決」という恐るべき安直で胆略な思想(もはや思想ではなく感情)があるからです。戦争がいやだというのは「身内・知人・同胞の命や財産が敵国兵力によって蹂躙される悲惨な事象がいやだ」ということです。ならば強力な軍隊を持って「攻め込めない」と思わせればいいことです。相手に軍隊が無ければ「攻めちゃえ」という気になる。ましてそれが世界でも有数の裕福な国家ならなおさら。それが人間ってもんです。そして相手は日本人の感覚や常識など一切通用しない連中です。何も信用は出来ません。土井おたかさん等は以前、「自衛隊が無くなって敵の侵略を受けたらどうするのですか?」という質問に対して、「降伏すればいい」という信じ難い迷言をのたまったこともあります。さらには国会で「日本は世界第三位の軍隊を持っている」とまくしたて失笑を買いました。当事世界第三位だったのは「防衛費」であり「軍隊規模」が第三位だったわけではありません。そんな当たり前の知識も持たない“軍事音痴”が盲目的に「戦争反対!自衛隊違憲!」と叫ぶのですから困ったものです。枕を高くして寝れないとはこのことです。そもそも現在世界で「中立」を保っているスイスやスウェーデンなどは、独自の強力な軍隊を保有しています。もちろん徴兵制です。国民が皆「軍人」として機能できる状態をもって始めて「中立」が保ちえるのです。日本も未来の平和への保障として、確固たる力を備えた国軍が必要です。そしてアジアの情勢が緊迫の度合いを増す現在、一日も早い行動が求められます。 | |||||||||||||||||||||||
| 2. 有事立法の早期成立による法的自衛隊擁護。 | |||||||||||||||||||||||
| 現在自衛隊は法律上「積極的戦闘行為」を行うことはできません。唯一許容されるのは「正当防衛」だけです。正当防衛は消極的戦闘行為であり、「殺してやる」と思って襲い掛かってくる敵に対して絶望的なほど無力です。例えばA国(外国)で内乱が起ったとします。そこには多くの邦人が生活しており、全員が帰国を希望。しかしまだ数名が戦闘地域の自宅に取り残されたまま。これを誰が助けにゆくか・・・はっきり言って誰も助けてはくれません。例えばB国の軍隊が同胞を救助するために戦闘区域に突入したとします。しかし外国人である日本人は助けてはもらえません。自国の民は自国で守る、現実はシリアスです。しかし、自衛隊は「邦人救出行為」を行うことができません。それは「外国での積極的戦闘行為」につながる可能性があるからです。よって自衛隊が派遣される名目は「邦人輸送」です。なんと驚くべき事に、危険に直面し不安に苛まれる同胞を目の前にして「運送屋」として派遣されるのです。あくまでも輸送任務ですから、例えば目の前で日本人がA国内戦兵に銃撃されても自衛隊が反撃することはまかりならんのです。しかし、実際にそんな場面にぶちあたったら、恐らく一人間として反撃するでしょう。しかし後々責任を追及される可能性もある。そこでわざと敵の弾丸が降る中へ飛び出し「正当防衛」の事実を無理矢理作って反撃する。そんな訓練も実際に行われたことがあるのです。何とも背筋が寒い話ではないですか。その仕組みのどこに自衛隊を有効に活用しようという前向きな意思が見えますか?私にはまったく見えない。そして家族と離れて危険な外国へ向う自衛官の覚悟には誰が報いてくれるのですか?まともな武器も持たされず、議事堂でのつまらない議論で決められた「PKO派遣」などで外地へ赴く自衛官を待ち受ける現状は、あまりにも悲惨です。自衛隊が活動する時とは災害なども含めて「国家の一大事」の時だけです。だからこそきっちり法的に存在を補完し、擁護されるべきです。ちなみに海岸に敵が攻めてきたという情報を受けて急遽出動する自衛隊の車両は、信号を守らねばなりません。無視すれば「キップ」です。運が良ければ「青キップ」でしょうが、悪けりゃ「赤キップ」です。もはや笑いの世界です。自衛隊の法的擁護とは、前出の「国軍への昇格」と密接な関係がある事項でもあります。 | |||||||||||||||||||||||
| 3.朝日新聞・日教組等の売国的偏向思想組織への徹底した監視と改善要求 | |||||||||||||||||||||||
| 朝日新聞の姿勢は一貫して「人権」「平和」「平等」等です。紙面には「市民」「弱者」「生活者」等という具体的には誰のことを指しているのか分からない怪し気な言葉が踊り、自衛隊や在日米軍に対して批判的論調をくり返し、おおよそ権力と名のつくものには異常なまでの敵対論調で偏向どころか捏造までして書き立てる。日本を批判し中国を美化する恐るべき亡国新聞です。朝日の報道は上記のような耳障りのよい言葉を隠れ蓑にした、自らのイデオロギーに固執したアジ記事に他ならなず、その徹底ぶりはもはや集団心理操作です。朝日の偏向ぶりについては、当サイトリンク集にもあるやまと氏による「報道と教育の夜明け」をじっくりと御覧いただきたい。そしてそういった朝日新聞の正体をより多くの国民に理解してもらい、少しでも早く売国・亡国報道を止めさせることが重要です。報道機関に関しては朝日新聞に限らず、監視の目を緩めてはいけません。毎日新聞や共同通信社などもかなり危険で傲慢な組織です。現代ほ報道は誰疑うことのない「営利報道」です。嘘だろうが、未確認だろうが金になればそれでいいと思っていると考えても問題ありません。また、朝日が国民を左翼扇動する組織であるなら、日教組は子供を“洗脳”する恐るべき集団です。あたかも社会の常識であるかのごとく、己の主義主張を子供達に吹き込む“アカ教師”の醜態は、昨今の“入学式、卒業式に於ける国旗国歌騒動”を見れば明らかです。恥ずかしながら去年、当県内の高校教師が国旗をトイレに投げ捨てるという信じられない事件も発生しました。国旗に対する思想心情は別としても、生徒が見ている前で国旗をトイレへ捨てるなどと言う行為が教師として、日本人としてどうなのか、大いに疑問を感じるところです。また、自衛官の両親を持つ子供を他の生徒の前で「人殺しの子」と罵った教師も過去にいました。日教組の背筋も凍る悪行ぶりは、九九九氏による「九九九のホームページ」を御覧いただきたい。一日数百人が訪れる人気サイトです。我々はこういった反日組織を徹底的に監視し、報道の公正や教育の理念を無視し手前勝手な言動をくり返す輩を合法的に消してゆかねばなりません。 | |||||||||||||||||||||||
| 4.天皇陛下を【国家元首】とする法改正。 | |||||||||||||||||||||||
| 日本国憲法第一章第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあり、この条文によれば、天皇陛下は「象徴」として位置づけられている。旧憲法下では天皇陛下とは国家元首であり、日本国の頂点に位置付けられていたました。では現憲法での「元首」とは誰か?不思議なことに1億2千万人を超す国民を擁する大国が、憲法上で「元首」を明記してません。そもそも元首とは国家を対外的に代表する形式的最高位の存在であり、アメリカ、ロシア、ドイツ等では大統領、イギリスでは女王がそれにあたります。国際的に見れば我が国の元首は「天皇」として広く認識されており、事実、国家を代表して我が国へ派遣されてくる各国大使を接受するもの、我が国を代表して各国へ派遣する大使の身分を公証するのも天皇をおいて他に存在しません。中には「総理大臣」を元首と認識する向きもありますが、世界的に見て総理大臣が元首である例はありません。何故なら総理大臣とは行政責任者であって決して国家を代表する威厳や尊厳を有するものではないからです。そもそも総理大臣を任命するのも天皇陛下です。対外的にも元首として認知され、国内的にも元首としての権限を有している天皇陛下は明らかに我が国の国家元首であり、憲法に明記すべき事です。戦後「顔のない国家」と呼ばれてきた汚名を返上するためにも、内外共にはっきりと示す必要があります。しかし天皇陛下を元首とすることに反対の者がいる。「天皇を元首とすることによって国民主権という大前提が否定され、天皇に政治的実権を保有させる伏線になる」と言う理由だそうですが、私的には大笑いです。民主国家として立派に存在している日本で今後絶対君主政治が確立される可能性がどれだけあるというのか。必要なことは天皇陛下が国家元首としての地位と認知を得ている事実を認識し、それを国際的な常識と摺り合わせたうえで、日本国としての明確な意思を表示することなのです。日本国憲法がいかに不完全で実に都合良く、勝手きままに作られたものかを象徴する最たるものが、一章一条と二章九条なのです。 | |||||||||||||||||||||||
| 5.北朝鮮および中共に対する断固たる外交姿勢。 | |||||||||||||||||||||||
| 昨今、北朝鮮への食糧支援、チャーター便運行、KEDOへの資金提供などがなし崩しに再開されました。そして国交正常化交渉も再び開始。テポドン事件以来態度を硬化させていた日本政府ですが、我が国の筆頭国賊が外務大臣に就任してしまったこともあって、あっと言う間の方向転換でした。ちなみに援助を再開した理由は「アメリカとの交渉により、ミサイル再発射を見合わせた事を評価して」だそうです。アホか。それなら北朝鮮は金や物が欲しい時は「ミサイルを発射する」と言った後に、「やっぱりやめた」と言えば何でも手に入る状況を作れることになる。極論だが間違ってはいないはずです。北朝鮮は多くの日本人を拉致しています。その問題に何ら進展が見られない現状で、腰の引けた軟弱な外交をくり返す政府は、国民を馬鹿にしきっている。誘拐犯に金だけ渡して人質を救出する素振りも見せない(に等しい)のでは全く話しにならないどころか、グルだと思われても文句は言えないでしょう。北朝鮮が誘拐した日本人を解放し、公式に謝罪するまで決して我が国は国交正常化に至ってはならない。もし国交が正常化されるような事があれば、拉致された日本人は決して帰ってくることはない。余りにも不吉なので明言は避けるが、拉致された当人は“生き証人”なのです。ちなみに以前、レバノン人女性が北朝鮮に拉致されたことがありました。レバノン政府は北朝鮮を名指しで批難し、あらゆる外交ルートを使って圧力をかけ、結局救出に成功したのです。レバノンのようなさほど大きくない国でも、本気でやれば出来ることを我が国政府はまったくやろうとしない。また、中共に対する異常なまでの国辱外交も大問題です。表面上では友好関係にあるだけ北朝鮮よりもやっかいでしょう。自らは核兵器を持ち、日本からのODAで空母まで作ろうとしながら、我が国が“空中給油機”を導入しようとするだけで、“大いなる脅威”とぬかす輩です。石原都知事が“三国人”と言っただけで“悪魔の思想”“軍国の亡霊”と猛烈に批判するくせに、国内ではいまだに日本を“東洋鬼”とし、諸悪の根源であるという教育を続けています。何が悲しくてそんな国の顔色を伺わねばならんのか、もう一度冷静に考える必要があります。私も中国との友好関係を望んでいますが、それは双方が前向きに向き合った場合の話しであって、現在のような見せ掛けだけの関係ではいずれ破綻するのは目に見えています。その時に我々は国土と国民と主権を守らねばならないのです。沖縄が奪われた後では全てが手遅れです。日本と周辺諸国との関係については降下猟兵氏による「Diplomacy & Security Forum 」を是非ご覧ください。ちなみに中共は沖縄の領有権を主張しています。さらに朱首相は「20年後には日本という国は無くなっている」と発言しています。中国の核兵器は日本に向けられています。あなたは中国共産党を信じますか?私はまったく信じません。 | |||||||||||||||||||||||
| 6.台湾との正常国交締結。 | |||||||||||||||||||||||
| 御存じの通り台湾とは中華民国を指します。100%とは言いませんが、アジアの中での“親日”の筆頭であることは間違いないでしょう。戦前戦中長い間に渡って“日本”として存在してきた台湾には、現在でも日本語を流暢に話すお年寄りが多くいて、畳屋もあります。前総統である李登輝氏は内地で教育を受けており、もちろん日本語も上手です。また台湾は現在に至り世界的工業国家としてその名を轟かせています。特にコンピュータなどに使われる電子部品は世界中の国が台湾製に依存しているのが現状です、そして何より台湾は狭い台湾海峡を挟んで大陸とにらみ合っている現実があり、安全保障や危機意識に関して非常に進んだ感覚を持った国でしょう。日本のボケ具合から見たら遥かに進んだ国際感覚を持っていると言えます。一部の識者や台湾出身者の方々がたまに口にする言葉があります。「台湾には大和魂がある」私も同感です。アジアの経済危機すら物ともせず、中国に対して毅然と主張をくり返すパワーが大和魂が成せる業であるとすれば、これほど嬉しいことはありません。先の総統選では“独立派筆頭”とされた陳氏が当選し、北京の苛立ちを募らせました。テレビで陳氏の演説を見る機会がありましたが、氏は台湾生まれの台湾育ちというだけあって台湾を大陸とは違った存在として認識している様子がありありと見てとれました。台湾は独立した一国家としての条件を充分に満たしています。そして台湾国民が独立を望むのであれば、世界はそれを認知すべきです。現在、アメリカも日本も台湾を独立した国家とは認めていません。もちろん北京の顔色を伺ってのことだという側面もあります。ましてや日本は台湾の“た”の字すら口にしない。台湾が日本との発展的な関係を望んでいる現実を前にして“シカト”を続ける日本政府に腑甲斐無さを感じずにはいられません。前出の陳氏の演説の会場で応援演説をした大学の先生が、集まった支持者に対してこう言っていたのが印象的でした。「皆さん、中国が恐いですか?私も恐いです。しかし、我々が台湾人として立ち上がろうとした時にもし武力攻撃を受けたら、アメリカが黙っていますか?日本が黙っていますか?決して黙って見過ごすことはないでしょう」台湾の人々にとってアメリカや日本がまだまだ信頼に足る存在であるという事を少なからず感じる言葉でした。日本は台湾に応え、台湾から大和魂を学ぶべきです。政府・民間を問わず交流を深めることによって、多くの事が実る関係であると信じています。 | |||||||||||||||||||||||
| 7.教科書からの“南京虐殺肯定事項”の削除 | |||||||||||||||||||||||
| 私も子供の頃学校で南京について学んだ記憶があります。今にして思えば嫌な教育を受けたもんだと辟易します。恐らく今は当事よりももっと酷い内容なのではないでしょうか?「南京虐殺」に関してはここで多くを書くつもりはありません。これまでいろいろなところで南京に関する議論をしたり、見たり、また書物を読んだりしてきましたが、いわゆる「あった派」と「無かった派」の手持ちの資料のひけらかしに終止するものがほとんどです。もちろん歴史の検証ですからそれが順当で、唯一の方法でしょう。しかし私にはどうも解せない物でした。そんなやりとりや資料などを見た結果、私は「南京虐殺は無かった」と判断しました。戦闘ですから多少の事件はあったでしょうが、大量虐殺とかましてやホロコーストなどと言う言葉があてはまるものではないと思っています。以前議論した方がこんな事を言っていました「問題は人数ではない、一人でも虐殺されていたらそれが南京虐殺だ」と。・・・・左様でございますか。・・・・としか言えませんね、もはや。とにかく学問的にも思想心情的にも最終判断がつけづらいものを、教科書に堂々載せるのはいかがかと思う。削除を主張します。南京の話しになると目くじら立てて食ってかかってくる方が時たま見受けられますが、この件に関していちゃもんつけられても、「私は捏造と判断しました」としか言えませんので、あしからず。 | |||||||||||||||||||||||
| 8.各家庭に於ける国旗【日章旗】の掲揚 | |||||||||||||||||||||||
| 子供のころ祝日や正月に祖母の家(本家)へ遊びに行くと、当然のように国旗が掲揚してありました。近所の家もみんなです。私はそれが当たり前だと思って育ってきました。しかしいつの頃からかそういった光景もあまり目にしなくなってきました。昨今「国旗国歌法」で世間が騒いでいた時に、某テレビ局が「国旗を掲揚しない理由」をアンケート調査していました。最も多かった答えは「国旗がないから」および「面倒だから」でした。これは果たしてどういうことでしょう。私の祖母、あるいは私の父の時代も現代も「国旗を掲揚する手間」は変わらないはずです。変わったのは人々の「心」の方でしょう。先人達は国旗を無理矢理掲揚していたわけではない。国民として「祝う」気持ち、あるいは「弔意」などの意思表現として掲揚していたのです。しかし、時代と社会の変化に伴い個人尊重が先鋭化して集団意識が欠落していった。さらに左翼扇動により国家や各種権力への不信感や嫌悪感が蔓延した事も原因の一つでしょう。ですが、そんな理由で先人達が連綿と続けてきた美しい習慣を廃れさせてしまってはならないと感じます。率直に言って青空にはためく日の丸は美しい。私は何時間でも眺めていられます。それと、どうやら子供は純粋に旗が好きなような気がします。祝日に我が家の玄関先にはためく国旗を、お孫さんをつれたおばあちゃんが指差して微笑んでいる光景を見たことがあります。年端もいかぬその子供はジーっとはためく日の丸を見つめていました。私はその時、この子供が将来“日の丸の赤は血の色だ”等と洗脳されない事を祈る気持ちで一杯でした。各家庭で国旗を掲揚することによって、イデオロギーなどに毒されない“旗を掲げる”という行為の本当の意味を理解してくれる人々が増え、また翻る国旗に誇りを持てる子供が増えることを祈るものであります。尚、国旗掲揚に関しては旗御飯氏による「旗日には日の丸」を是非御覧ください。 | |||||||||||||||||||||||
| 9.靖国神社・護国神社への参拝 | |||||||||||||||||||||||
| 東京九段の靖国神社には、二百四十六万六千余柱の御英霊が祀られています。祖国の繁栄と愛する家族や故郷のために尊い命を捧げられた、現代の我が国の根幹を支えた方々です。森羅万象に神々を見い出してきた日本人は太古の時代からその神々と共に日々を暮らしてきました。それは現代も変わりません。そして靖国神社・護国神社の御英霊こそ、最も我々の生活に密着した神々なのです。私達現代日本人は何かに感謝しながら生きるという謙虚な気持ちを忘れがちだと感じます。謙虚に感謝し祈る気持ち。今現在でも正月になれば何百万、何千万という人達が初詣でに出かけます。誰に強制される訳でもないのに、あれだけ大勢が同じ時に「祈る」ために集まってくる姿を見る時、私は大いに感銘をうけます。日本人としての遺伝子に組み込まれた「神へ詣でる」という行為をはっきりと自覚して続けていくことが大切だと考えています。靖国神社または地元の護国神社へ参拝に行ったことがないという方がいらっしゃいましたら、是非一度足を運んでください。坂本竜馬や高杉晋作を始め、明治・大正・昭和と多くの戦いの中で散華された方々、私達の生活の基礎を培ってこられた方の前で深く頭を下げる時、日本人として生まれた事に幸せを感じるはずです。以前私は“とある”市民団体(日本を相手取って訴訟を起こすアジアの自称戦争被害者を支援する団体、要はアカ団体です)の団体員とある掲示板で議論をくり返した事があります。その中で彼はこう発言したことがありました。「国家によって戦争に駆り出され、無念の内に戦場で散った後は、無理矢理靖国へ祀られる。一刻も早く戦没者を靖国から救い出す事が本当の供養になる」と。アカ相手にあまりむきにならない様にしている私ですが、この時ばかりは激高しました。思い出しても胸がムカつくので、あまり書きませんが、とにかく御英霊に対する最大級の侮辱です。考え方は個人の自由ですが、私はこういった発言をする感覚の持ち主を最大級に軽蔑します。こういう人達は「恨みつらみ憎み蔑む」事しか自己を主張する術を持たないのかもしれません。我々がすべきことは多くの御英霊の気持ちを察し、全てを受け入れた上で感謝することだと考えます。 | |||||||||||||||||||||||
| 10.正常な民主国家としての総合的な自主憲法制定 | |||||||||||||||||||||||
| 日本国憲法の制定には戦勝国としてのアメリカの意思が大きく関わっています。事の経緯からすればその事自体には大きな疑問は感じません。あれだけの闘いを繰り広げた国同士ですから、勝った方が自国に有利な施策を施すことはある意味正当でしょう。しかし、昭和26年に我が国が独立国家としての地位を回復した時点で、この「アメリカ製憲法」は全面破棄すべきであったと私は考えます。現代日本の社会構造の歪みや、政治・官僚どころか警察、自衛隊にまで広がっている利己的価値基準の根っこには、既に時代に合わなくなって久しい日本国憲法が多いに関わっている感は否めません。憲法とは国家を繁栄させ、国民生活を豊かに安全に維持してゆくための言わば“道具”に過ぎません。道具であれば時代や必要に応じてどんどん使い易い物に変えて行けば、より効率良く円滑に機能する事ができます。しかし“改憲”と言う言葉が出ると目くじら立てて“慎重に!”とか“改悪だ!”などと難癖つけて先延ばしにする政党がある事も、またそう言った国民感情があることも事実です。もちろん改正にあたっては慎重なる調査や議論は必要でしょうが、漸く機能し始めた昨今の憲法調査会を見ていると、多いに疑問を感じます。のっけから保守と革新が「改憲」か「護憲」かという非常に分かりやすいイデオロギー闘争の色をにじませていて、憲法調査の本質があまり伝わってこない。(通常ならば保守が“護憲”で革新が“改憲”なのだが、事日本国憲法に関してはまったく逆である。それを見てもいかに日本国憲法が日本にとって不都合に出来ているかが良く分かる)また「護憲派」は何かというと“憲法九条は堅持”というこれまたアカい臭いがプンプンする発言を繰り返します。堅持することを前提とした憲法調査に何の意味があるのはさっぱり分かりません。何故“改憲”というとそこまで九条にこだわるのか?憲法には他にも大事な事が沢山あるはずです。前述のように憲法とはあくまでも“道具”であって、決して永劫不変の“経典”ではありません。それを後生大事に“究極の平和憲法”と言わんばかりに護ろうとする姿は、もはや滑稽ですらあります。笑い事ではありませんが・・・。国際的に見てもこれほど憲法を改正しない法治国家は珍しい。人治国家と違い法治国家での憲法の存在は絶対であると同時に、信頼に足る内容でなければならないのは当然の事です。戦後50年以上に渡って幾度と無く改憲論が取り沙汰されて来ましたが、事ここに至ってはもはや中途半端な改正で対応できる状況ではなくなってきています(何しろ日本の政治は時間がかかる由)。戦後日本の繁栄に日本国憲法が関わって来たことも事実です。しかし、現憲法はもはやその役目を終えたと感じます。日本が現憲法を破棄し、新日本国憲法を制定する事は茨の道ではあります。たとえ新日本国憲法制定が新時代の国家繁栄と国民の幸福を願っての制定であっても、国内・海外の反日勢力は合法・非合法を問わずに猛然と反発するでしょう。そのことだけを取ってみても、左派勢力がいかに「後ろ向きな見せかけの安定」を主張しているかが分かります。先人から受け継いだこの国をより良い形で子孫に託すためには、今こそ「日本人による日本人と日本国のための憲法」を作らねばなりません。日本が自らの有りようを自主という形で世界に主張することが、日本の信頼と国民の気概を取り戻す最も有効な道だと主張します。 | |||||||||||||||||||||||
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| 以上の10項目はこれまでも多くの人達が主張し議論し実践してきたことですので、今さら私ごときが偉そうに説くまでもないことです。もし上記の事を実践、または達成できれば果たして我等が祖国神州日本は誇り高く住み良く力強い国になるのでしょうか?残念ながら「なる」と100%の自信を持って言うことはできません。しかし、国体を筆頭に日本の伝統と良き習わしを受け継ぐことが国民に課せられた大きな仕事の一つでもあります。そのための一手段として上記10項目を主張することは決して「後ろ向きな保守」ではなく、常に時代に合った日本を模索する「前向きな保守」であると言えるはずです。頑に守るべきものと、常に変化を与えねばならぬ物があります。現代日本人はその選別眼を大いに養い目先の利権や一時の安定にとらわれない深く鋭い思考を備えねばならないと断言します。 | |||||||||||||||||||||||
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