広島県立高等学校長の自殺について

 

平成11年4月30日

広島県教育委員会

 

  はじめに

 

 卒業式を翌日に控えた平成11年2月28日の朝,広島県立世羅高等学校石川敏浩校長が自ら命を絶つという痛ましい事件があった。

 広島県教育委員会としてはこの事件を重く受け止め,石川校長の日記,備忘録及び関係者からの聴取等をもとに,石川校長の自殺に至る経過や背景・要因について,これまで可能な限り調査を行ってきた。

 ここに,現時点における調査結果を整理し報告する。

 

1 世羅高等学校の状況

 

 世羅高等学校は,世羅郡世羅町本郷に所在し,平成8年度に創立100周年を迎えた全日制の高等学校である。普通科,生活福祉科,環境科学科,生産情報科の4学科が置かれ,生徒数は,18学級647名(平成10年5月1日現在)である。

 平成10年度の教職員数は,校長1,教頭1,教諭45,養護教諭1,実習教諭6,事務長1,事務職員3,校務技術員2の計60名となっている。また,平成10年度,世羅高等学校には,広島県高等学校教職員組合(以下,高教組)尾道地区支部が置かれていた。

 

2 石川校長着任後の状況

 

 (1) 着任交渉について

 

 石川校長は,校長として3校目の学校である世羅高等学校に,平成10年4月1日着任した。

 世羅高等学校を含め広島県の県立学校では,新任・転任の管理職の着任に際して高教組分会がいわゆる着任交渉を申し入れる実態があり,着任交渉の冒頭,石川校長が,世羅高等学校は教員として最初に赴任した学校であるが,このたびは違う立場で来たので,よろしくお願いしたい旨の挨拶をしたところ,高教組世羅高校分会が「立場」という言葉に反発し,校長は分会から追及を受けることになった。

 この間,石川校長は,前任の高等学校で,ある教員を教頭に推薦するに際し,同校の分会の人事委員会の了解を得なかったこと,当該教員の昇任に伴い教員の欠員が生じ,臨時的職員の任用で対応することとなったこと等についてもあわせて追及を受け,反省の文書を書くよう求められた。校長と分会との交渉と反省文書の書き直しが繰り返され,この一連の問題に関する着任交渉は,石川校長の日記によれば,5月13日まで継続した。

 4月22日付けの石川校長の反省文書では,「まず,前任校の教職員に対して謝罪する。」,「本校へ着任早々,不信感を与えたことなどに対して,これからの教育活動を通じて信頼を得るよう努力していく。」,「97年度人事における人事推進の反省のもとに,今後このようなことがないよう本校における人事推進は協定書に反しないように進めていく。」などと記されている。

 

 (2) 文部省是正指導への対応について

 

 平成10年5月20日,広島県教育委員会(以下,県教委)は,本県の学校教育が学習指導要領等の法令に照らし逸脱しているとして,文部省から,異例の是正指導を受けた。是正指導の内容は,卒業式・入学式の国旗掲揚・国歌斉唱,職員会議の運営,校長と分会との確認書等の状況など多岐にわたっており,県教委は,指導通達の発出,県立学校長会議等の開催,校長ヒアリングの実施などを通じ,具体的な対応策を講じてきた。世羅高等学校を含め各県立学校においては,県教委の指導を受けて是正の取組みを進めてきた。

 

  @ 職員会議に関する校務運営規程・校務運営組織図の是正について

 高教組は,従来から,職員会議の権限と機能を強化することを運動の大きな柱の一つとし,学校の校務運営規程において,職員会議を「最高の議決機関」として定め,校務運営組織図の最高位に職員会議を位置付けるなどの取組みを継続してきた。

 学校運営は,法令に則り校長の権限と責任に基づき行われるべきものであり,職員会議を「最高の議決機関」と位置付けることは,法令に定められた校長権限を不当に制限するものであることから,文部省の是正指導を受けて,県教委は,6月16日付けで「学校運営の適正化について(通達)」を発出し,職員会議の適正化を図るよう指示した。

 8月11日には「校務運営規程等の是正について(事務連絡)」を発出し,9月10日を期限に校務運営規程と校務運営組織図の是正を行うよう校長に指示した。この指示は,上記のように職員会議を「最高の議決機関」と定める規定等を是正し,学校運営が校長の権限に基づき適切に行われるよう求めたものである。

 石川校長は,このことに関し,8月18日以降分会長と具体的な協議を行っている。分会長との数回の話合いを経て,9月9日の職員会議で提案したが,教職員の反対のため是正できなかった。

 県教委への9月10日の報告には,「……責任の重大さを知りながら,本校の現状では,この選択をせざるを得ませんでした。……」と記されている。

 9月10日の期限までに是正できなかった学校について,県教委は,重ねて指導を行い,世羅高等学校も含めて9月18日にはすべての県立学校の職員会議に関する校務運営規程等の是正を完了した。この間,分会との交渉において,石川校長は,分会からの要求を受け,職員の意向を尊重するという口頭での確認を行っている。

 

  A 人事協定書の締結について

 高教組は,従来から,人事は教職員組合と教育委員会・校長との交渉事項であるという主張のもと,「希望と納得」による人事を求める闘争を組んできた。具体的には,各分会に「人事委員会」を組織するとともに,分会員全員が「人事決議文」に署名捺印して校長に提示のうえ,校長と分会長との間で人事決議文に基づき人事異動を進めるという「人事協定書」を締結する取組みを行ってきた。

 人事決議文は,「本人の希望以外の人事については,(県教委に)意見具申しないこと。」「希望人事は,大幅に実現できるよう努力すること。」「本人への人事に関する話は,最低1ヵ月前から人事委員会を通じ実施すること。」などを内容とし,ほとんどの県立学校で人事協定書が締結されてきた実態があった。さらに,各教職員が異動希望調書を直接校長に提出するのではなく,分会長にこれを提出し,分会長が取りまとめて校長に提出するということが行われてきた。

 高教組は,9月22日の拡大委員会において,以上のような闘争を組むこととし,人事協定書を10月21日までに締結するよう取り組むことを決定した。

 県教委は,是正指導の趣旨に則り,10月8日,県校長協会支部長会において,人事協定書は校長自らの判断に基づく意見具申の権限を制約するものであり,これを締結してはならないことを指示するとともに,10月9日から29日まで各地区ごとに開催した県立学校長会議において,その徹底を図った。世羅高等学校の属する尾三地区(尾道・三原地区をいう)については,14日に県立学校長会議を開催した。

 県教委は教職員の異動希望調書の校長への提出期限を10月30日としていたが,これに対して高教組は,「質問状」「抗議と要請」等多数の文書を作成して,人事協定書締結の正当性を主張するとともに,分会長が回収した異動希望調書の校長への提出を凍結するよう各分会に対して指示した。

 石川校長は,人事協定書に関しては,10月21日から,分会と対応している。分会は着任交渉の時のことも引合いに出しながら,10月30日までの間に,8回にわたって校長と交渉を行っている。

  高教組は,人事協定書の締結期限を10月28日まで延期したが,最終的には,10月31日に,異動希望調書の校長への提出凍結を解除する指示を各分会に出した。

 石川校長は県教委に対して,10月30日現在で人事協定書を締結していないと報告している。

 

  B 国旗・国歌の実施について

 

 平成元年3月15日に現行の学習指導要領が告示され,国旗・国歌の実施に関しては,平成2年4月から実施することとなって後,広島県においては,学校において校長と教職員との間で,卒業式・入学式における国旗及び国歌の取扱いをめぐって対立が続いていた。

 こうした中で,広島県公立高等学校長協会(以下,県校長協会)会長と高教組委員長との間で取り交わされた平成3年12月5日付けの「日の丸・君が代の取り扱いについて」という協定書により,一定の整理が行われた結果,国旗については三脚で会場に設置することとなったが,国歌については,従来斉唱していなかった学校が新たに斉唱することは事実上困難となった。

 しかし,その後,一部の生徒が国旗掲揚に反発し,卒業式に出席しないと表明するなどの状況が生じた。このような当時における混乱を回避するため,県教委も,国旗及び国歌の取扱いについて,平成4年2月28日付けで,部落解放同盟広島県連合会(以下,解放同盟県連)委員長あて,及び高教組委員長あてに,広島県教育委員会教育長(以下,県教育長)名で見解を示した。

 このような状況のもとで,広島県の県立学校における国歌の実施状況は,全国的に見て,極めて低い実施率で推移していた。このため,平成10年5月20日の文部省是正指導において,卒業式・入学式の国旗掲揚・国歌斉唱が是正すべき事項の一つに挙げられることとなった。

 県教委としては,文部省是正指導後初めて迎える平成10年度卒業式及び11年度入学式に向けて,平成10年12月17日付けで「学校における国旗及び国歌の取扱いについて(通達)」を発出するとともに,通達の趣旨を徹底するため臨時県立学校長会議を開催し,卒業式・入学式において国旗及び国歌の取扱いを学習指導要領に基づいて適正に行うよう校長を指導した。

 

3  平成10年12月17日付け「学校における国旗及び国歌の取扱いについて(通達)」後の状況

 

 (1) 1月中旬までの状況

 

 国旗及び国歌の適正な取扱いについての県教委の通達を受け,12月21日,県校長協会は,高教組に対し,平成3年12月5日付けの協定書「日の丸・君が代の取り扱いについて」のうち,国歌について実施の妨げとなる第2項目の解消を申し入れた。

 

 県教委は,平成11年1月11日に開催された県立学校長会議において,卒業式・入学式における国旗及び国歌の適正な取扱いについて,学習指導要領の趣旨を踏まえ,「参加者に自然に目に留まるように国旗を掲揚し,国歌斉唱を式次第に位置付け,実施すること」という具体的な指示を行った。

 

 高教組は,1月12日,「『日の丸・君が代』強制阻止闘争をめぐる取り組みについて」の指示を発し,各分会において,平成3年12月5日の校長協会と高教組の協定書の第2項目を校長と再確認するよう指示した。

 

 これら県全体の情勢のなか,石川校長は,3学期に入り,近隣の中・高等学校長や前任の校長に国旗・国歌の件で連携や相談を行っており,高教組世羅高校分会の分会長とは1月7日と12日,13日に話をしている。(7日の日記には「国旗・国歌の件で分会長と話。なかなか厳しい状況」と記されている。)13日に開催された職員会議において,石川校長は,県教委の12月17日付け通達について教職員に口頭で伝えた。

 

 また,1月5日以降,たびたび県校長協会尾三支部(以下,尾三地区校長会)の会議が開かれたが,これらの場で石川校長は,副支部長として司会役をつとめ,国歌斉唱が行えるように取り組もうと,仲間の校長を激励していた。

 

 一方,解放同盟県連は,1月13日,県教委に対し,「君が代」と同和教育との関係についての見解を求めた。

 

 (2) 1月下旬の状況

 

 高教組は,1月26日に開催した拡大委員会において,「仮に,校長が協定第2項目目の再確認に応じないならば,協定そのものが維持できなくなります。したがって,当該分会においては,『整理』以前のスタンスに立ち返り,『日の丸・君が代』強制阻止闘争を闘うものとします。」という方針を決定した。なお,高教組は,この方針決定は,広島県教職員組合,広島県高等学校同和教育推進協議会,広島県同和教育研究協議会,解放同盟県連との五者で連携を取りつつ行ったものであるとしている。

 また同日,高教組は,執行委員長名で,県教育委員会教育委員長及び県教育長あてに「質問状」を発した。「質問状」は,「私たちは『2・28教育長確認』(国旗及び国歌の取扱いについての平成4年2月28日付けの県教育長見解のこと)を遵守すべきであると考えるが,県教委としてどのように考えるのか問う。」,「『2・28教育長確認』がありながら『君が代』を実施することは不可能であるととらえる。それでも強制するのなら(中略)『差別を許容せよ,さらには差別せよ』ということを県教委として表明するものと受け取らざるを得ないが,県教委の見解を問う。」,などを内容とするものであった。

 

  解放同盟県連は,1月22日,福山市解放会館において執行委員会を開催し,平成10年12月17日に県教委が通達を出したことは,平成4年2月28日付けの県教育長見解を無視したものであり,「君が代」の強制に対しては断固として反対するとの方針を決定した。

 これらの動きのなか,県教委は,各校長に対し,平成10年12月17日付け通達の趣旨を教職員に徹底するとともに,協定書の再確認には応じないよう指示した。また,1月13日の解放同盟県連からの要請をうけ,「君が代」と身分差別及び国民主権との関係等について,解放同盟県連との対応(1月22日,1月26日,2月3日,2月7日,2月20日)を行った。

 世羅高等学校では,1月27日の職員会議において,石川校長が教職員に,県教委の12月17日付け通達文を配布するとともに,1月11日の県教委からの指示について伝えたが,教職員から反対意見が出され,結果的には継続審議となった。

 

  (3) 2月中旬までの状況

 

 高教組は,県教委の協定書や国旗・国歌に係る指導等に反発し,2月19日,執行委員長名で県教育長不信任署名に取り組むよう指示を出した。

 

 解放同盟県連は,県校長協会の各支部や個々の学校に対し「話合い」の場をもつよう申入れを行うなど,国旗・国歌実施に対する反対運動を県内各地で展開した。個々の学校に対しては,解放同盟の市協・支部に話合いに来ること,国歌斉唱を式次第に入れないこと,「日の丸・君が代」を実施しないこと,県教委に抗議すること,君が代を強制しないという確認書に署名すること等が要求された。また,国歌を斉唱するならこれまでの差別事件の総括作業を全てやり直しにする,と言われた学校もあった。

 

 尾三地区校長会は,解放同盟南部協事務局長からの申入れを受けて,2月13日,三原市隣保館において南部協等と「話合い」をもった。

 当日は,解放同盟県連書記長,執行委員をはじめとする部落解放同盟員及び高教組尾道地区支部・竹原地区支部の各分会長ら約100名が出席していた。解放同盟は,尾三地区校長会に対し,「君が代」の歌詞と同和教育の整合性についての説明を県教委に求める要望書を書くよう求めた。校長会が口頭で「この度の卒業式において,学習指導要領に基づいて国歌斉唱を実施するよう通達がありました。君が代の歌詞と同和教育との整合性について苦慮しておりますので,このことについてお示しくださいますよう要望します。」との文案を示したのに対し,解放同盟からは,「国歌斉唱」の文言は認めない,「君が代の歌詞」の前に「身分差別につながる」の文言を入れよ,「整合性」を「整合性の矛盾」ないし「整合性のなさ」に変えよ,関係団体との話し合いを要望するという内容を入れよ,と求められた。その後,この校長会の要望書は,ほぼ解放同盟の主張どおりの文面で,2月17日付けで県教委に提出された。

 なお,尾三支部に先立ち,県校長協会福山支部(以下,福山地区校長会)は,解放同盟東部協事務局長から「同和地区生徒の保護者代表との話合い」をもつよう申入れを受け,2月11日,福山市解放会館において東部協等と「話合い」を行った。解放同盟県連顧問ほか約100名が出席しており,福山地区校長会は解放同盟の強い要求により,その場で県教委への要望書を書くこととなった。この要望書は,2月17日に県教委へ提出された。

 

 世羅高等学校では,2月5日に石川校長が,同校の部活動の一つである部落解放研究部(以下,解放研)の生徒と話をした。解放研生徒からは,どうしても「君が代」斉唱を実施するのなら卒業式には出席しない旨の発言があった。

 2月10日の職員会議で,石川校長は,県教委の通達の趣旨を踏まえて国旗・国歌を実施する立場にある旨発言した。これに対し,教職員から,校長の「君が代」に対する認識,通達についてのとらえ方,解放研生徒と話し合ったときの思い,同和教育と「君が代」の整合性などについて質問が出された。そして,「君が代」について指導する授業の学習指導案を作成し,12日の解放教育推進係会,15日の第3学年会,そして17日の職員会議の場に示すように求められた。

 2月17日の職員会議では,卒業式の式次第についての検討等が行われた。この場で,校長は,尾三地区校長会が17日に県教委へ提出した要望書への県教委からの回答を待っている状況であるので,現時点では「君が代」について保留し,従来と同様の卒業式の式次第を検討してほしい,また,県教委から回答があれば検討する余地を残しておいてほしい旨発言した。一方,教頭は,今までの解放教育の流れから,先生方の言うことも個人としてはわかるが,教頭という立場があるので理解してほしい旨の発言をした。この発言に対し,教職員から,「立場」とは何事かという追及があり,教頭は,教職員と同じ立場に立つよう求められた。

 石川校長は,この日の日記に「職会で対応。日の丸・君が代の取扱い八方ふさがり。全く希望無し。」と記している。

 2月22日,石川校長は,高教組尾道地区支部書記長である教員との対応や,解放研の顧問・生徒との対応をしている。この日の日記には「天皇身分のこと,生徒が出席しないことの重みについて,解放研の申し入れ。」と記されている。

 

 (4) 「君が代」に係る県教委見解について

 

 解放同盟県連との対応を続けてきた県教委は,2月20日,解放同盟県連顧問等との話合いの場において,「君が代」の歌詞に係る最終的な見解として,「『君が代』の指導にあたって は,その歌詞の意味は日本国憲法の枠組みの中で解釈されるべきものである」こと,また,「日本国憲法の下での『君が代』は,国民統合の象徴である天皇を持つ我が国が繁栄するようにとの願いを込めた歌であると解釈すべきものである。」ことを示した。また,県教委はこの「君が代」についての最終見解を直ちに県校長協会の各支部長等へ送付した。

 これに対して,解放同盟県連は,2月22日,各地協議長あてに,君が代阻止の取組みに万全を期すよう指示する通知を発した。

 

 (5) 石川校長自殺前一週間の状況

 

 《2月23日(火)》

 県教委は,2月20日に解放同盟県連に示した最終見解を,2月23日付けで各県立学校長に通知するとともに,この日に開いた臨時県立学校長会議で,その趣旨を説明した。また,この会議で,卒業式・入学式においては学習指導要領に基づき国旗及び国歌を適正に取り扱うよう,県教育長から各校長に対し,改めて指示を行った。そして,校長が厳しい状況に置かれることが予想されたため,校長と教職員との話合いの状況を逐次把握して適切な支援をすべく,翌日以降,会議の終了時刻と概要を県教委へ報告するよう指示した。

 この会議の後,引き続いて尾三地区校長会の会議が開かれたが,この席で石川校長は,卒業式での国歌斉唱の実施に向けて互いに頑張ろうと仲間の校長に語っていた。

 石川校長はこの日,日記に「臨時県立学校長会議。県教委の指示。その後地区校長会。(中略)(教頭)へ報告。反応わるし。本日の指示をまとめる。厳しい一日。」と記している。

 

 この日に,高教組は,代表者会議を開き,「校長協会として協定第2項目を再確認しないのであれば,高教組総体として91年の整理以前のスタンスに立ち戻って強制阻止闘争を闘う」ことを決定した。

 

 《2月24日(水)》

 この日の午前中,石川校長は,分会執行部と話をしたが,教職員のコンセンサスを得られていない,(平成3年12月5日付けの協定書の)第2項目を破棄するのであれば,「日の丸」もおろさざるを得ない,と拒否されている。

 16時22分から19時過ぎまで開かれた職員会議で,石川校長は,臨時県立学校長会議において県教育長から職務命令が出されたと報告し,国歌斉唱を卒業式の式次第に入れることを提案するが,教職員の抵抗が強く,取り上げられなかった。校長は,今日は(23日の臨時県立学校長会議と尾三地区校長会の)報告のみとするので,明日職員会議をもって結論を出してほしいと要請した。県教委は,この日,石川校長から,「職員会議の結果は継続審議。明日続きをもつ。明日南部協と話合い。結果は伝える。」という報告を受けた。この日の日記には,「午後職員会議で国旗国歌の提案。むずかしい状況」と記されている。

 

 《2月25日(木)》

 解放同盟南部協からの申入れにより,この日,10時から,尾三地区校長会と解放同盟南部協等との「話合い」が三原市隣保館で行われた。尾三地区校長会の支部長ら4名(石川校長は,副支部長として出席)と,解放同盟南部協議長・事務局長,東部協事務局次長,三原市内の支部長,高教組竹原地区支部長,尾道地区支部長ら10数名が出席した。「話合い」の場で,解放同盟は,県教委が示した「君が代」に係る見解についての尾三地区校長会の認識をただし,県教育長と県校長協会会長に抗議文を書くよう求めた。尾三地区校長会は,校長としては県教委の見解にしたがって国旗・国歌を実施せざるを得ない,抗議文は出せないと回答した。そして,この「話合い」をもって国旗・国歌に係る解放同盟県連との話合いを終え,各学校ごとに国旗及び国歌の適正な取扱いに向け取り組むよう方針を固めた。

 「話合い」の終了後,石川校長は「これから学校へ帰って会議をせんにゃいけん。しんどいのう。」と同行した他の校長に語っている。

 

 25日午後,世羅高等学校では分会会議が開かれた。同日開催された高教組尾道地区委員会で,校長協会が協定書の2項目目の破棄と言っているので,すべての学校で「日の丸」も「君が代」も実施しない取組みをするという方針が決定されたことが伝えられ,今後の取組みとして,国旗掲揚も国歌斉唱も実施しない取組みをすることが確認された。

 その後16時50分から開かれた臨時職員会議は,尾三地区校長会と解放同盟南部協等との「話合い」の報告から始まった。会議の中で,石川校長は,学習指導要領に則って「君が代」を実施するよう求めた。一方,できなければ昨年度のとおりでもよい旨の発言もしている。教職員からは,強制は絶対許さない,校長は地域との連携をしていないので至急やってもらいたい,などの意見が出された。

 職員会議の結論は,昨年度どおり「日の丸」は三脚で掲揚,「君が代」は実施しないこととし,これらの最終決定は2月28日の職員会議までは保留とし,対外的には「検討中」としておくこととなった。

 21時35分,石川校長は県教委へ電話し,「16時30分から21時30分まで職員会議を行った。次は2月26日だろう。」と報告した。(職員会議録では,会議終了は,18時22分となっている。)

 この日の石川校長の日記には「(南部協等との話合いから)帰校後,職会。厳しい状況。帰宅して,今後の進退を考える。2月17日の教頭発言で,救いなしの提案に切りかえる。」と記されている。

 

 《2月26日(金)》

 この日は,卒業式の予行が行われた。石川校長は,午後,卒業式における国旗及び国歌の取扱いにかかわって連携するため,解放同盟中部協世羅支部を訪問した。帰校後,16時38分から職員会議が開かれたが,卒業認定等が議題となっただけで,国旗・国歌の実施については議題にならなかった。

 21時50分,石川校長は県教委へ電話し,「16時から20時まで職員会議を行い,20時から21時40分まで分会執行部と協議した。28日の10時から職員会議を開催する予定である。本日の報告はこれで終了する。」と報告した。

 当日の日記には「卒業式の情報が入り,悩み深まる。10時頃まで教頭と協議。疲れが増す。(前任の校長へ)相談電話をする。」と記されている。

 日記に記されているように,石川校長は,22時頃,世羅高等学校の前任校長へ電話をした。石川校長は,この電話で,他にも国歌を実施できない学校があると思っていたため判断を誤った,国歌を実施するなら国旗もやらないと教職員に言われ,せめて「旗」だけでもという思いから,前日の職員会議で国歌斉唱はしないと言ってしまった,県教委にはそのことは報告していないがどうしたらいいだろうかと相談した。前任校長は,石川校長から,まだ28日に職員会議があると聞き,やらせてくれと言ってみるよう助言した。石川校長は,それじゃあやってみようと答え,電話を切った。

 

 (6) 石川校長自殺前日からの状況

 

 《2月27日(土)》

 この日,石川校長と教頭は,朝9時に学校へ出た。校長は,近隣の学校の校長へ電話をして卒業式をめぐる状況について情報を収集し,情勢分析を行った。その結果,尾三地区で国歌を実施しない学校は予想よりもはるかに少なく,ほとんどの学校では国歌斉唱を実施する見込みであることがわかった。これらの状況を踏まえ,翌日の職員会議で教職員にもう一度国歌について提案しようとした。

 このため石川校長は分会長へ電話したが,連絡がとれなかったため,世羅高校分会書記長に電話し,校長に電話するよう分会長への伝言を依頼した。

 校長は,卒業式の準備として,教頭に「君が代」のテープの用意をするよう指示し,また,教頭が14時過ぎに帰宅する際,分会長と連絡がとれて会う時間が決まったら連絡するので,一緒に話合いに参加してほしいと頼んだ。

 校長は,卒業式の式辞を作成し,17時頃一旦帰宅した。

 

 19時過ぎ,電話で石川校長と話をした尾三地区校長会の支部長(三原東高等学校長:石川校長の高校時代の同級生で旧くからの友人)は,石川校長から「『君が代』をすると言うのなら『日の丸』もやらない,駅伝の送迎も学力補充も非協力,と言われた。今回は実施できんかも。教員と話をし,頑張ってみる。」と聞いた。

 

 この日,高教組は拡大委員会を開き,国歌斉唱について当日朝まで抵抗は続けるが,校長判断の実施に対しては混乱を避け,それぞれの役割を持って式に臨むことを方針として決定した。この方針は,17時から開かれた尾道地区委員会において,尾道地区支部書記長(世羅高等学校教員)から各分会長へ伝えられた。世羅高校分会の分会長は,2月28日の職員会議を中止し職場会議に切り替える旨の連絡を,同分会書記長を通じて,電話連絡網で全分会員に伝えた。

 20時頃,連絡がほしいという校長からの伝言を聞いていた分会長は,校長に電話を入れた。石川校長夫人によれば,石川校長はこの電話で,かなり長い間分会長に必死に懇願する様子であった。

 20時30分頃,石川校長は分会長と会うことになったと教頭に電話し,待合せ場所(御調町内の喫茶店)を連絡した。しかし,喫茶店が閉まっていたため,近くの飲食店内にあるカラオケルームへ移動することにし,校長,教頭,分会長,尾道地区支部書記長の4人で21時頃から22時頃まで話合いをもった。

 石川校長は,22時過ぎに帰宅したが,非常に落胆した様子であり,普段の様子とは違うため,校長夫人は心配していた。

 

 一方,三原東高等学校長から,石川校長が元気がないので励ましてやってほしいとの連絡を受けた県教委は,石川校長の自宅等へ電話をしたが,石川校長の所在をつかむことはできなかった。

 

 午前1時45分頃,石川校長から県教委へ,「いま自宅へ帰った。生徒と話をしていた。特に連絡することはない。」との電話が入った。

 

 《2月28日(日)》

 この日の朝,三原東高等学校長は,解放同盟県連や高教組が昨日方針を転換したという情報を得,このことを早く伝えようと,朝8時頃石川校長宅へ電話をした。しかし,石川校長本人は電話口に出なかった。三原東高等学校長は,石川校長が昨日から元気がなかったこと,電話に出ないことを心配し,尾道教育事務所駐在の主幹指導主事に電話をして,様子を見に行ってくれるよう,また情勢の変化について伝えてくれるよう依頼した。(主幹指導主事は,石川校長と日頃から付合いが深い友人であり,自宅が石川校長宅の近くにある。)

 

 主幹指導主事は,9時10分頃から9時25分頃まで約15分間,石川校長の自宅を訪問した。パジャマ姿の石川校長が,憔悴しきった様子で出て来た。

 

 主幹指導主事:「どーしたん,元気出しなー。」

 校長:「 いやー,もうだめよー,どーにもならん。なんぼ言うても聞いてくれんのよ。一つ言うたら十も二十も返るんじゃ……いけん。」

 主幹指導主事:(高教組や解放同盟県連の動きについて伝え)「10時から会議をもつんじゃろ。いいことになるよ。」

 校長:「もーだめじゃのー。もー会議ももてんのじゃ。」

 主幹指導主事:「どしてねー」

 校長:「きのう分会長が(職員会議は)やらんとみんなに(連絡を)流しとるけーもーだめなんよ。できん。」

     「歌を言うんなら旗もやらさん,歌も旗も絶対やらさんと責められた。」

     「しかたがないけー,もー旗だけは揚げさしてくれーと折れとるんよ。」

 主幹指導主事:「卒業式(自体)はやる(と)ようる(言っている)んじゃろ。」

 校長:「うん………。」

 主幹指導主事:「 それならええんじゃないん。今できることだけ考えたらええんじゃないん。」

 校長:「うん………。」

 主幹指導主事:「一人じゃないんじゃけ。〇〇さん(友人である三原東高等学校長)がほんま心配しとってよ。みんながついとるんじゃけ,元気ださにゃ。」

 

 主幹指導主事は,校長の表情が少し緩んだようであったので自宅へ戻った。

 

 10時05分頃,石川校長の夫人が,校長が納屋で首を吊っているのを発見し,親族や知人(三原東高等学校長ら)へ知らせた。119番通報は10時08分であった。

 主幹指導主事は,10時10分頃,三原東高等学校長から知らせを受け,すぐに石川校長の自宅へ向かうが,病院へ運ばれたと聞き,病院へと向かった。

 

 この日の朝9時30分頃,県教委は,三原東高等学校長から,「石川校長が,自宅には居るが,電話口に出ない。」という連絡を受けた。また,自宅に戻った主幹指導主事から「石川校長が憔悴しきっている。」と報告を受けた。指導課長が石川校長宅へ電話をしたが,つながらなかった。このため,9時35分頃,指導課長は,自宅にいた教育部次長に連絡をとり,石川校長宅へ様子を見に行ってくれるよう依頼した。

 

 石川校長の自宅へ自家用車で向かっていた教育部次長は,道案内を頼んだ主幹指導主事との待合せ場所である御調町内のバス営業所に,10時20分過ぎに到着した。ここで,主幹指導主事夫人から石川校長自殺の報を受け,校長宅へ向かったが,病院へ運ばれたと聞き,病院へ急いだ。

 次長は,病院で石川校長が死亡したと聞き,11時02分,県教委へ「10時58分,石川校長が亡くなった。」と連絡を入れた。

 

 石川校長の死後,本人手書きのメモが,自家用車の中から発見された。そこには,「何が正 しいのかわからない 管理能力はないことかもしれないが,自分の選ぶ道がどこにもない。」と記されていた。

 

 

 おわりに

 

 このたびの石川校長の突然の死は,御家族をはじめ関係の方々にとってこの上ない不幸であるとともに,本県教育界にとって大きな損失であり,先生の御冥福を心よりお祈り申し上げたい。

 

 石川校長が死を選ぶに至った真相を断定することは困難であるが,一連の経過をみると,卒業式を翌日に控えた死の直前の段階において,石川校長が深い孤立感と無力感に陥っていたことがうかがえる。

 石川校長は,卒業式における国旗・国歌の適正な実施について,早くからその姿勢を明らかにし,最後まで校長としての職責を全うすべく,努力を続けてきた。しかし,学校内外の厳しい状況の中で,その実施が困難となり,卒業式の直前,地区のほとんどの県立学校で国歌斉唱を行う状況が明らかになる中で,職員会議を開き,実施を表明しようとしたが,その最後の途も絶たれ,深い苦悩と孤立感を抱くに至ったものと推測される。

 

 このような状況に至った主な背景・要因としては,次のような点が挙げられる。

 

(1) 校長権限が大きく制約されていたこと

 世羅高等学校においては,実質的に職員会議が最高議決機関として機能し,校長の主体的な権限の発揮が阻害されていた。また,石川校長は,着任当初から反省文書を書かされるなど,校長としての職務を遂行するうえで大きな制約を受けていた。

 

(2) 校長を中心とした教職員の協力態勢が確立されていなかったこと

 校長を中心にすべて教職員が協力して組織的に学校運営を行っていくという態勢が十分に確立しておらず,特に国旗・国歌の実施に関しては,最終的には校長一人が全く孤立する状況に陥っていた。

 

(3) 職員団体等による組織的な反対運動が展開されていたこと

 文部省からの是正指導の実施等にかかわって,高教組を中心とする組織的な反対運動が全県的に展開された。特に国旗及び国歌の実施については,更に解放同盟県連の組織的な反対運動が加わり,厳しい状況となっていた。

 

 これらは,県内の幾多の学校にも共通するものであるが,特に世羅高等学校は,高教組の地区支部長校として地区の組合活動の中心的な役割を果たすとともに,長期在職者の割合が高く,そのため教職員の間に閉鎖的な考え方が醸成されがちであったことも,その要因として考えられる。

 一方,県教委としても,世羅高等学校におけるこのような実態や状況の把握が十分でなく,石川校長に対するきめ細かな支援を行うことができなかったことが大きな反省点として挙げられる。

 これらを踏まえ,二度と今回のような不幸な事態を起こさないようにしていくことが必要である。

 また,そもそも,校長が法令に則り,その職責を果たそうとするとき,そのことが十分に行えないということ自体が大きな問題であり,このことが本県が文部省是正指導を受けるに至った大きな背景の一つと考えられる。

 このため,各学校においては,校長の権限と責任のもとに適切な学校運営が行われ,教職員がその職責を自覚し,一致協力して教育活動に取り組む学校態勢づくりが図られる必要がある。

 県教委としては,これらを通じ,風通しの良い創造的で開かれた学校づくりを進め,県民に信頼される公教育を確立していくため,今後,全力を挙げて取り組んでいきたい。